まったく、目出度い事だ。
小生意気な弟弟子の火坑が、件の人間の女、湖沼美兎と恋仲になったと知れたのだから。
これが、生ビールの肴にぴったりだった。
蘭霊は、もう何杯飲んだか数え切れないくらいジョッキを傾け、スッポンの雑炊をつまみにした。
「……先輩、飲み過ぎですよ?」
「……我もそう思うが」
「いいだろ? 目出度い事だしよ?」
「あの。僕と美兎さんを理由に飲み過ぎないでください。タンクの中身を空にする気ですか?」
「俺と師匠が設置したようなもんだろ?」
「……はあ。仕方がありませんね」
代金は支払うのに、相変わらず客思いの律儀な性格だ。蘭霊もそう言うわけではないが、師匠の霊夢に様子を見るついでに早上がりしていいと言われたので、いるのだから。
ちなみに、美兎と座敷童子の真穂は既に帰宅済みだ。今日が週末ではないので、明日も人間界の会社で仕事がある彼女だから仕方がない。
最後に、火坑も気に入りの洋菓子店で買ってきたマカロンをデザートにどうぞと言い残してから帰っていったのだ。
以前に一度出会った時は、蘭霊の狗神の顔を恐れてはいたが。今日はそうでもなかった。緊張はしていたが、表情に恐れは感じ取れなかったのだ。おそらく、だが前回馳走したお陰で慣れたのかもしれない。
憶測でしかないが。
「で、坊。師匠には俺から伝えておくが。あのお嬢さんとどう言うデートを考えてんだ?」
蘭霊が楽しげに聞けば、火坑はピンと猫耳を立てた。
「その……まだ、具体的には何も」
「ふむ。その日に契りを交わすつもりか?」
「絵門さん!? 平安とかの時代とは違うんですから!!」
「その日のうちにしないのか?」
「美兎さんの心構えもなく、妖として契れませんよ……」
「ま。あのお嬢さんは生娘だしな?」
「……え、先輩?」
「いきなりひっくい声出すな! 俺の鼻でわかっただけだ!?」
「……そうですか」
人間の年頃はいくらか変わってはきたが、あの女は社会人の新人でもまだ誰にも触れられたことがないようだ。
前回同様に、匂いでわかっただけだが火坑には地雷だったかもしれない。美兎には見せれない、鬼のような形相になったので慌てて弁明したのだ。
「たしかに。彼奴は年頃の女子にしては清いな? 火坑よ、大事にするのだぞ?」
「もちろんですよ」
「……温度差激しくね?」
「なんですか、先輩?」
「別にー」
家族ではないが、身内には小生意気過ぎる奴だ。ジョッキに残っているビールを煽り、雑炊の方も完全に冷めないうちに流し込んだ。
「んで? 絵門は珍しく錦にいやがるじゃねぇか? 間半は一緒じゃないのか?」
「……近頃はお会い出来ていない」
「そうか。まあ、あいつは神出鬼没だかんな?」
種族名であるぬらりひょんの如く、いきなり現れたりするからだ。そう、今いきなり隣に座っているように。
「!?」
「お?」
「いらっしゃいませ、間半さん」
「ああ。絵門よ、息災か?」
「も、申し訳ありません! このような」
「よいよい。お前も猫坊主の料理が恋しくなったのだろう? 百鬼夜行には問題ないし、好きになさい?」
「は!」
「……お前も相変わらずだなあ?」
「久しいね? 蘭霊」
そして彼は、生ビールがあるのに気づいてすぐに注文するのだった。
「あんた。あのお嬢さんに何かしたのか?」
「ほう? 何故わかる?」
「あのお嬢さんから、あんたの妖気が匂った」
「……我もです」
「なぁに? この猫坊主との恋路が焦った過ぎて、少々手助けしただけさ?」
「……お世話になりました」
「おいおい、坊?」
妖の総大将の力を借りなければ、恋仲になれなかったとは。しかし、おそらくだが火坑の前世での上司である閻魔大王が頼み事をしたかもしれない。
でなければ、面倒事が苦手なこの見た目がクソじじいである間半が動くわけがないのだ。狗神だった頃からの付き合いである蘭霊は、それをよく知っている。
「うん、美味い! 夏もいいが、冬の生ビールもいいねえ!」
「ありがとうございます」
そして、ジジイは見た目だけなのか蘭霊に負けないくらいの飲みっぷりだった。
「……総大将、ここは我が」
「いいのかい? これがあると僕はなんでも飲み食いしちゃうよ?」
「総大将程ではありませんが、懐は潤っていますので」
「そうかい。なら頼もう」
時間も時間だが、ここからは妖の本分。
気が済むまで飲み食いするまでだ。ここにいる面子は誰もが酒にめっぽう強いので、潰れる事はない。ある程度、ほろ酔いになってから火坑が美兎からもらったマカロンをデザート代わりに出してきた。
「ほう? 抹茶のマカロンか?」
クリームは白だが、火坑の好みを考えると甘過ぎないものを選んでいるはず。
ひと口食べると、サクッとした食感の後に甘さとほんのり酸っぱさを感じた。
「クリームチーズだな?」
「おや、以前試食で食べたのと似てるねぇ?」
「まか……ろ? くりーむちーず?」
「お前は相変わらず、現世に疎いね?」
「……申し訳ありません」
「面白いからいいけど」
ひとりにつき二個出されたマカロンだが、絵門は初めて見る菓子なので食べ物と思えなかったようだ。だが、ひと口で頬張ると気に入ったのか人化の術が解けそうになって、蜘蛛の足が着物から伸びてきたのだった。
「おいおいおい!?」
「まったく。なんだかんだ新しい物好きだからね? すまないが、ちょっと揺れるよ?」
と、絵門の首元に向かって手刀をお見舞いしただけなのに。地震が起きたかのように一瞬揺れたのだ。そして、絵門はそのまま気絶してしまった。
「大丈夫か?」
「しばらく寝てるだけさ。しかし、美兎ちゃんのチョイスはいいねえ? 猫坊主、デートは計画とかしてるのかい?」
「はい。その……今日真穂さんに言われるまで、考えていませんでした」
「全く。お前だから、美兎ちゃんの事を考えたんだろう?」
「はい。僕以上にお仕事を頑張っていらっしゃいますし、休日はゆっくりして欲しくて」
「けど。その様子だと決めたようだね?」
「はい。僕の今の生誕日に、デートを考えることにしました」
「それはいい。いい思い出にしてあげるんだよ? お前もね?」
「はい」
全く、このクソじじいは。蘭霊の台詞を全部かっさらってくれやがった。
しかし、絵門の術が解けるのを止めてくれたのだから仕方がない。
とりあえず、絵門が起きるまで蘭霊も加わってデートの計画をすることになり。
絵門は起きた後、五体投地の如く、間半に謝罪しまくったのだった。