自分は、いつだって他人を優先していたと思う。
地獄の獄卒以前に、ただの猫畜生だった頃も。猫の生き方であれ、主人を蔑ろにせずに過ごしてきた。
それが死してまさか、地獄の獄卒。さらには、閻魔大王の第四補佐官に任命された後でも。
いつだって、自分のことよりも他人の事を優先していた。その生き方に後悔はなかったが、いざ自分の事となるとどうしていいのか。年甲斐もなく、慌てていた。
ぬらりひょんの間半に背中を押され、妖界隈から自宅に帰る途中の湖沼美兎を探しているのだが。
猫人なので、火坑はそこまで鼻が効かない。常人以上、犬以下なので繁華街の匂いに紛れて探せないのだ。
とにかく、急いで急いで美兎とその守護についている座敷童子の真穂を探しているのだが。人間界と同じく碁盤のように区切られている、この広小路はとにかく迷路と同じだ。
どこがどうで、目印があるようでない。店とかも、大体が似通っているために同じく目印にならない。
どこだどこだ、といくつか角を曲がったところで。火坑はようやく見覚えのある二人組の女性の背中が見えたのだった。
「こ……ぬま、さん!」
やっと見つけた。
けど、まずい。
あの道順を辿れば、すぐに人間界へと戻ってしまう。真穂や間半のように、人間に似せているどころか猫の頭である火坑だと人間界に行ったら騒ぎを起こしてしまう。
だから、疲れていても、全速力で二人の背を追った。
「こ、ぬまさん…………み、うさ。美兎さん!」
「うぇ!? はい!?」
「あら?」
なんとか、人間界に通じる角を曲がるギリギリ手前で捕まえられた。
勢いで名前まで呼んでしまったが、美兎は大きく肩を跳ね上がらせただけだった。
「す、すみませ……ぜーっ、ぜー……」
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫ですか、火坑さん!?」
とにかく、全速力で駆け寄ったのでなかなか息が整わない。獄卒だった頃は体力諸々丈夫ではあったのに、妖に転生したら同じではなかった。全く、情けない。
しかし、言うべきことは決まっているので。美兎に伝えたい。言いたい。
だから、と思ったら。何故か真穂に軽く肩を引っ張られた。
「ちょっと。大事な話をこんな道端でするつもり?」
「真穂、さん?」
「『かごめ』に行こ? 季伯なら場所を貸してもらえるだろうし」
「え、こんな時間に行っていいの?」
「妖の領分は夜だもん。行こ行こ」
と言うわけで、火坑が来た道を戻りつつ喫茶『かごめ』に場所を移して。
そして、マスターの季伯が喜んで迎えてくれてから。火坑は美兎と向かい合って座ることになった。真穂は一人カウンターで季伯とあえて話をしてくれている。
緊張はしてきたが、火坑は言うと決めて追いかけてきたのだから、と。季伯が出してくれたブレンドコーヒーをひと口飲んだ。
「あの、どうして追いかけてきたんですか?」
火坑から話そうと思ったら、美兎から話しかけてきた。その表情は、少し不安を抱いているが火坑を見ながらも頬を赤らめていた。
ああ、それがもう。
今まで、何故気付かなかったかと後悔しか浮かんでこなかった。
「……あなたにお伝えしたいことがありまして」
「えっと。何か忘れ物でも?」
「いえ。忘れ物は僕にあります」
「火坑さんが?」
ああ、恋愛事に鈍い様子も酷く愛らしい。顔立ちも愛らしいのに、何故相手がいなかったのか。
いや、過去に相手はいたかもしれないが。彼女は火坑と知り合い、火坑自身を好いてくれてから誰も見向きをしなかったのだろう。
常連仲間の、美作辰也も悪くない好青年ではあるのに。人間ではなく、猫人の自分に好意を向けてくれてただなんて。
間半に言われなければ、本当に気づかなかった。自分で気づこうにも、相手にされないと勝手に決めつけていたからだ。
そんな臆病者に、こんなにも愛らしい好意を向けてくれているのだ。火坑は、もう迷わないと決めた。
「湖沼さんに……美兎さんに、お伝えしたいことがあるからです」
「な、まえ」
「率直に言います。僕は、あなたに惹かれているんです。お付き合い、していただけませんか?」
「え…………え、え、え!?」
「やるじゃん、火坑?」
真穂の合いの手も入ったが、美兎は顔をさらに赤らめてからあわあわと口を上下に動かしていた。
「か、かかか、火坑……さんが、私を?」
「いつから……と言うのは、僕にもわかりません。ですが、気がついたらあなたを想っていました。おそらく、ケサランパサランのことがあった辺りに」
「あ、あれは。わ、私のせいじゃ」
「え?」
「……私、が。火坑さんを……す、好きな気持ちが。霊力になって溜まったって」
「ふふ。あなただけじゃありません。僕の気持ちも溢れ返ったんですよ」
「え、じゃあ……!」
「はい。色んな人に言われて気づいて。でも、自信がなかったもので、今日までお伝え出来なかったんです」
「ほ、本当に……?」
「はい、美兎さん」
基本的に名字を持たない妖以外で、客を名前で呼ぶことがなかったのだが。
名が短い呪いと言われているくらい、呼ぶだけで胸の中が温かくなっていく。こんな経験は、火坑にとって初めてだった。
「わ、わわわ、私……も。火坑、さんが好きです!」
そして、きちんと返事をしてくれた美兎の顔は。
泣きながら笑っているのだが、火坑が見てきたどの表情よりも魅力的で。
思わず、席から立ち上がって抱きついてしまったのだった。
「妖と結ばれても。後悔はさせません」
そう固く誓った言葉を告げると、美兎の力が抜けたので覗いてみると。
「美兎さん!?」
「いきなり刺激的な行動するからよ」
真穂には呆れられてしまったが。美兎は気持ちの受け止めがうまくいかずに気絶してしまったようだ。
なので、起きるまで季伯に休憩室を借りて、膝枕したのだが。彼女はなかなか起きなかった。
「……絶対、幸せにします」
すよすよと寝ている美兎の前髪を手でよけて、火坑は額に軽くキスを贈ったのだった。