少し時をさかのぼる。
雪女である、花菜は思った。
まさか、まさか。自分が危険因子と思いかけていた、人間の女と結果的に友達になるとは思わないでいた。
花菜が思いを寄せている、ろくろ首の盧翔に気に入られたと、たまたま知己である夢喰いの宝来に教えてもらったのだが。
盧翔に、いよいよ想い人が出来てしまったのかと、花菜は勘違いしてしまい。その女性、湖沼美兎にもだが、守護になっている座敷童子の真穂にも迷惑をかけてしまった。
なのに、美兎は少々驚いた以外、あまり気にもとめていなかった。それどころか、花菜の兄弟子である火坑に想いを寄せているらしい。それを知ってたら、吹雪で尋問などしなかったのに。彼女は、花菜の事情を知ったら。逆に友達になってくれと、出来れば火坑のことを教えて欲しいと申し出てくれたのだ。
元来、極度の恥ずかしがり屋である花菜には、友人が少なかった。知人を除いたら、いないに等しい花菜に初めての。しかも、人間の友人。
可愛らしくて、明るくて。言葉遣いはハキハキしていてとても好ましい印象だ。一瞬、盧翔が気にかけているかと思ったが、真穂からお叱りを受けたので考えを改めたが。
だから、詫びも兼ねて、修行先でもある楽養に案内したのだ。最古参の兄弟子である蘭霊には大層驚いていたが、それは無理もない。蘭霊のかつての姿は、人にも畏れられていた狼のような狗神だったから。
「花菜ちゃん、すっごく美味しかったよ!」
花菜は意識を戻した。
今は、師である霊夢に言い渡されて、錦の妖界隈の端まで送っていたのだ。真穂も満足していたが、美兎も霊夢達の作った料理を美味しいと言ってくれたから。
「う、ううん。茶碗蒸ししか作ってないけど」
「でも。ちゃんと心が籠ってるってわかったよ。優しい味だったもん」
「そ、そんな!」
「謙遜しなくていいよ、花菜? 美兎のこれは本心だから」
「うん、本当!」
「あ……りがと」
素直、素直過ぎる。人間の女性として気にいるなら、たしかに盧翔の興味の枠にも入るだろう。これは、完全に花菜の勘違いだった。
しかし、火坑が好きなら何故今日は行かなかったのだろうか。
霊夢が言っていたように、楽庵のケサランパサラン問題は解決を迎えたと風の噂で聞いていたのに、美兎は、それが終わってもあの店に行かなかった。
なら、花菜が盧翔の噂を聞いたのと同じように。なにか美兎にも思うことがあったのだろうか。けれど、そこに踏み込むにはまだ花菜と美兎の溝は浅い。
であれば、一度霊夢達に聞いてみよう。
花菜はそう決意して、美兎達を端に送り届けてから。雪女の装束になって店に飛んでいくことにした。
「おう。早かったな?」
「た、ただいま、戻りました」
店に戻ると、蘭霊が調理をしているのか霊夢が代わりに出迎えてくれた。
「今、蘭の奴が例のアヒージョを作ってくれてんだ。食うだろ?」
「是非! あ、あの、師匠」
「あ?」
「火坑兄さんのお店、もう営業再開されたんですよね?」
「ああ。そう聞いているぜ?」
「ですよね。……美兎ちゃん、なんで行かなかったんでしょう?」
「あ〜、俺も今日会ったばっかだが。俺達妖と人間は交わるまで寿命が違うのは覚えてんだろ?」
「は、はい」
「火坑のアホがどう思ってるかはわかんねーが。お嬢さんの方は、種族の違いに思い悩んでんじゃねーか?」
「種族……」
長命の、妖や神。
短命な人間。
その違いを、花菜は今日美兎と出会うまで考えもしなかった。
いや、少し語弊があるか。客としてやってくる、人間の数が減ってきたのがその表れか。花菜も今日美兎と出会うまで、随分と人間の客をここのところ見てこなかった。
口コミでしか知られていない、この界隈のどの店でも。最近、人間も来ないし心の欠片も妖がほんの少し提供出来る部類でしか、手に入らない。
けど、美兎は。
他にも守護を受けた人間もいるらしいが、楽庵には今年から通い出したそうだ。なら、火坑に想いを寄せてしまうのも必然か。
「その阿呆に確認しにいくのに、近いうちに楽庵に行こうと思ってんだが。蘭は参加するが、お前はどーする?」
「い、行きます! 兄さんにも久しぶりにお会いしたいですし!」
「よし! 客足も今日はあのお嬢さん達くらいだったな? 早仕舞いにして、アヒージョ食おうぜ?」
「お、表の掃除してきます!」
「おう」
見入りはそれなりにある楽養なので、こんな日もしばしばある。それに今日は、久しぶりの人間から得た心の欠片での料理。
蘭霊の腕前を信じているのもあるが、花菜も早く食べたかった。雪女なのに熱い料理を食べれないと思われるかもしれないが、例の特殊加工のゴム手袋をつければ大丈夫だ。
掃除を粗方終わらせて、店の暖簾なども丁寧に片付けて。
さあ、蘭霊のアヒージョをば、と意気込んでカウンター席に霊夢と待っていれば。アヒージョ専用の陶器で出来たポットに、ぐらぐら沸いた油の中に心の欠片である銀杏に加えて美兎が苦手としているマッシュルームが顔を出していた。
「お待ち」
「さ、食おうぜ」
「は、はい!」
そして、久しぶりに食せた心の欠片のおかげもあるが。
ほくほくとした銀杏の食感に、油がよくしみ込んだマッシュルームの食感がなんとも言い難い幸福感を得たのだった。