久しく会うことのなかった、己の第四補佐官であった妖猫となった火坑。
今日は、奴が拠点を構えている、名古屋の錦町から地獄までやってきたのだが。荷物の大半を占めていた弁当箱と言うよりも、重箱を取り出して。
一番上には、大量の握り飯が入っていたのだが、海苔ではなく薄焼き卵で巻いている握り飯には見覚えがあった。
「おや、オムライスをおにぎりに出来るのかな?」
「現世では、コンビニに売られているくらい定番の品なのです。僕のはあの味に到達はしていませんが」
「何を言う! 火坑の料理はどれもが美味揃いだ!」
「けれど、大王? 火坑の用件もきちんと聞きましょうね?」
「……応」
たしかに、用件もなく現世から地獄にやってくる意味はない。火坑は、己の課した修行の意味を込めて現世に、しかも人間ではなく妖に転生させた。
生真面目で、気配り上手で、手際もいい。
そんな愛猫に、最近気に入りの女が出来たと、第一補佐官である亜条から確認の報告があったのだが。どうやら、そちらの用件ではないようだ。
休憩の間で、火坑からオムライスの握り飯の皿を渡してくれると、我慢出来ずに素手で持ってひと口頬張る。
「!……冷めるのを考慮して、あえて濃い目の味付け。中には伸びないがチーズも入っておる!」
「大王の好みかと思いまして」
「うむ! 実に美味い! して、用件とはなんぞ?」
「はい、実は……」
昼休憩もだが、そろそろ出雲の縁結びでの宴に出向かなくてはいけないので時間はあまりない。しかし、先日たまたま亜条を使いにやっても、解決していないと言うことはなにか。
肉球のない手をもじもじとしながら、俯く様子は補佐官時代と変わらず愛らしい。が、愛でている場合じゃないので閻魔は握り飯を食べながらも聞くことにした。
「ふむ。先日、わたくしが追い払った袈裟羅・婆娑羅がまた戻ってきたのかな?」
「その通りです。僕の妖術でも幾らか散ったりしたのですが。亜条さんに来ていただいた時以上に増えまして」
「先週だからね? ちょっと立て込んで、調査の方は部下達に頼んでいるのだれど」
「ほう? 袈裟羅の大量発生か? 今時白粉を使うのは人間達でもごく限られているのに。火坑よ、お前は白粉を与えたのか?」
「いえ。桐箱に入れてただけで。そこからあふれるくらいに、店先まで増えてしまったんです」
「ふむ。興味深い」
亜条から小耳に挟んではいたが、袈裟羅・婆娑羅。今風に言えば、ケサランパサランの大量発生。
しかも、人間の界隈ではなくて、妖の界隈。先日の亜条の来訪日に、座敷童子の真穂が言っていたようにデパートまではびこっているそうだ。これは、地獄の管理を任されている閻魔も、見逃すわけにはいかない。
「であれば、白粉を与えずに増える方法。何かを求めて、もしくは火坑の店先に美味しいものがあるかもしれませんね、大王?」
「お前……儂の言いたいことを全部言ったな?」
「大王が考え過ぎだからですよ」
相も変わらず、見た目に反して可愛くない奴だ。だが、有能過ぎて閻魔はこの補佐官を第一から外すことは出来ないでいる。
とりあえず、亜条の仮説と閻魔の考えもだいたい同じではあったので、それをヒントに考察していくことにした。
ついでに、弁当は三人で程よく食べているのだが。どれもこれも美味過ぎて、よく味わって食べている。
「火坑よ、具体的にはいつ頃から袈裟羅達が増えたのだ?」
「と言いますと?」
「亜条の仮説を推奨するのであれば、お前の店に何かを美味い霊力や妖力が貯まってきているのかもしれぬぞ?」
「美味しい、霊力か妖力……?」
すると、ニコニコしていた妖猫の表情が何かを思いついたかのように、驚きの変化を見せた。
「思い当たったか?」
「え、いえ。その……湖沼さんと真穂さんが? それに、おそらく美作さん達も」
「もう、今は亡いでいる先の常連達とは違い、まだまだ幼いのだろう? であれば、その人間達と守護になった妖らの気が美味いのであろうな? 袈裟羅達は時に白粉よりも好むゆえに」
「……けれど、皆さんは大事なお客様です」
「なに、追い払えと言った訳ではない。おそらく、お前の妖力のカスも食ったことで、増え続けているのだろう。なら、お前はさっさと、その湖沼と言う女に告げよ?」
「え、大王?」
「憎からず想っているのなら、さっさと言え。そして、いつかは契れ。お前の子が出来たら、儂も是非抱き上げてみたいのぉ」
「だ、だだだ、大王!?」
望みを口にすれば、火坑は珍し茹で蛸のように白い毛並みを赤くしてしまい、そして想像したのか後ろに倒れ込んでしまった。適当に座布団を敷いていたお陰か、頭を強く打つことはなかったが。
「うむ。気を失ったか?」
「いきなり、まくしたて過ぎですよ。大王」
「じゃが、あの女子も此奴を憎からず想っているのだろう?」
「ええ。であれば、大半は湖沼さんの火坑を想う気持ちが、霊力で埃のように溜まって袈裟羅達が寄ってきているのでしょう? 大王、どうします?」
「ふむ。今回はお前と儂の手製で、木札でも作ってやろう。一時的とは言え、此奴の気に入りの女子などが、あの店に行けぬのも可哀想だ」
「そうしましょうか?」
そして、火坑の方は小一時間で目を覚ましたのだが。終始赤くなったままで、弁当の残りは閻魔と亜条とですべて平らげた。
地獄から現世に帰る分には、支障がなかろうが。幾らかは休ませてもいいだろう。
その間に、休憩の間で木札を用意して。終わってから、気絶したままの火坑の頬を軽く叩いた。
「ん、んん? だ……いお?」
「処置の策はしておいた。儂と亜条手製の木札を店先に置いておけば、袈裟羅達は立ち去るであろう」
が、根本的な問題は解決しないだろうと告げれば、形の良い耳を火坑は畳んだのであった。
「僕が……湖沼さんにですか?」
「なにも疾しい気持ちがないのであろう? その湖沼とやらも、お前の店に通うくらいなのだから……ひょっとしたら同じ気持ちかもしれぬぞ?」
「え!?」
そうして、空になった重箱をリュックサックに入れて、大事に木札を持って行った火坑の店は。
木札を置いてしばらく経ってから、ケサランパサラン達が集まらなくなったと、後日火坑本人からの式神で閻魔は知ったのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
秋も暮れに差し掛かり。
新人デザイナー見習いであり、社会人一年目の湖沼美兎は、今日も仕事に明け暮れていた。
守護についてくれている、妖であり座敷童子の部類でいる少女の真穂のお陰で、日々充実した日常を過ごせている。
けれど、今年の夏から想いを寄せている、猫人の妖である火坑の店である、小料理屋の楽庵にはなかなかいけないでいた。
真穂からの連絡で、件のケサランパサラン問題は解決となって、店先もいつもどおりに戻ったと教えてはもらったのだが。
最後に錦に来た時に、夢喰いの宝来に奢ってもらったろくろ首が店主のイタリアレストランへ来た以来。
どうしても、錦に赴くことが出来ないでいた。
理由は、美兎自身もよく理解はしている。単純に火坑に会いにいくのが、少し怖いのだ。見透かされているかはわからないが、美兎が火坑に惚れ込んでしまっていることは人間にも妖達にもバレてしまっている。
だから、火坑本人にもバレてしまっているのではないかと。それを聞くのが、人間特有の臆病さが出てしまって美兎は錦を意識的に避けてしまっている。
ろくろ首の盧翔が言っていたように、後悔のない生き方をしろと助言をもらっても、すぐに実行出来ないのが決断力の弱い人間だ。
美兎も漏れなくその部類なので、どうしても弱気になってしまう。真穂からは、じっくり考えろと言われたので今は時々部屋にやって来ては美兎の料理を食べに来るだけと、以前と変わりなく過ごしている。
「……今日も、真穂ちゃん来るかな?」
栄の地下街に続く順路を歩こうかと思ったが、たまには界隈に近いお菓子屋さんで彼女への手土産を考えようとしたら。
背後からいきなり、秋にしては冷たい風が吹き上がって来たので、慌てて振り向いた。
「な……なに!?」
まさか、人間界にまで妖が関与してるんじゃ。と、美兎は常連仲間である美作辰也のことを思い出したが、かまいたちは風で人を転ばせる程度。
こんな冬の寒風を思い出すような芸当ではないはず。
そして、振り返った先には。艶やかな長い黒髪に、真穂以上に透けそうなくらいの白い肌の女性。服装は、今時の若者らしい感じではあるが、一点だけおかしかった。冬にはまだ早いのに、スヌード、つまりは輪っか状のマフラーを着込んでいるのだ。
あと、人混みが多かったはずなのに、美兎と彼女以外誰もいなくなっていた。おそらく、そんな芸当が出来るのは目の前の彼女しかいない。
「あ、あの」
「あの!」
彼女から、やっと声をかけられた。
そしてその可愛らしさに、思わず胸が高鳴りかけたが。全員が全員、友好な妖ではないと真穂から注意を受けたので。近づくのはやめておいた。
「え……と?」
「あ、あああ、あの! いきなり……すみません! あなたがその」
「は、はい?」
「ろ……盧翔さんと少し前にお知り合いになられた、湖沼さんですか!?」
「は、はい」
異様にかみかみな口調ではあるが、言いたいことはなんとなくわかって来た。
どうやら、この綺麗な女性は以前立ち寄った、イタリアレストランっぽいサルーテと言うお店の店主。盧翔に気があるようだ。美兎は他人の気持ちには過敏に読み取れるのだが、自分に関しては鈍感だった。
「あ、あのあの! 盧翔さんのこと、どう思っていますか!?」
「え……ピザの美味しいお店の店長さんとしか?」
「え?」
そう言いたいのはこちら側だ。早とちりとは言え、他人の恋心を初対面の人間に聞こうとするのはいかがなのものか。
いや、妖だから、大胆な行動に実行してしまうのか。非常に恥ずかしがり屋な感じではいるが。
「あの。不躾だとは思いますが、私が盧翔さんのことを、恋愛感情で見ていたと勘違いなさったんですか?」
「ち、ちちち、違うんですか?」
「違います。私、好きな方は別にいますし。あのお店には恩人が連れて行ってくださっただけで」
「う、ううううう〜〜〜〜!? またやっちゃったぁああああああ!!」
女性はペタリと地面に膝をついてしまい、恥ずかしいのが両手で顔を覆うのだった。
そして、ほぼ同時に冬も真っ青な寒風が彼女を中心に吹き荒れていく。なんだなんだと思っても、美兎には何も出来ないので飛ばされないように耐えていたら。
ふわっと、暖かい風のようなものに包まれていった。
「……まったく、勘違いも大概にしなさいっていつも言っているでしょ? 花菜!」
聞き覚えのある少女の声。
美兎の前に立ち、守ってくれるかのように寒風から遮ってくれている。座敷童子の真穂だ。
「真穂、ちゃん!」
「んもぉ、帰って来ないし、錦に久しぶりに来そうだったから迎えに来たらこれだもん。美兎はとことん、巻き込まれ体質だね?」
「真穂ちゃんが言う?」
「ふふーん」
近づいて来た、今日は子供の姿の彼女にツン、と軽く突いてもどこ吹く風な感じだ。これが彼女だから、美兎は憎めないでいる。
「す、すすす、すみません……! 真穂様が、守護なさっていらっしゃる方とは」
そして、花菜と呼ばれた女性の妖は、白い着物に白い羽織り。髪には雪化粧の髪飾りをつけた、いわゆる妖の姿になっていたのだった。
「雪、女?」
「そう、雪女の花菜。盧翔に首っ丈の女だよ?」
「今時、首っ丈って使わないよ?」
「そう? じゃあ、らぶらぶ?」
「まあ?」
とりあえず、泣き崩れているこの雪女をどうすべきか。
ひとまず、真穂が気に入りでもある喫茶店に行くかと言うことになり、真穂が大きくなって連れていくまでは良かったが。
「ま、ほ……様ぁ!?」
「真穂ちゃん、扱いが雑!」
「だって、美兎にちょっかいかけたんだもん」
着物の首根っこを掴んで引きずると言う、古典的な行動に美兎は驚いたが。罰は罰、と真穂が言い切るので喫茶店までその状態だったのだ。
喫茶『かごめ』。
妖界隈のどの店もだが、ここももれなく落ち着いた雰囲気である。店主は、座敷童子の真穂の遠い親戚らしく。しかし、人間と妖との婚姻を繰り返した血族だそうなので、寿命は少しばかり妖に近いそうだ。
見た目だいたい五十代後半くらいなのに、妖界隈に店を構えて妖力を含む空気を吸い続けたせいか、実際はその倍近く生きているらしい。
そんな店主の、サイフォンで淹れてもらった手製のコーヒーを一杯ずつ注文して。まずは、状況整理をするのにひと口ずつ飲もうとしたが。
「あ」
美兎に近づいてきた、雪女の花菜のカップが。表面だけ薄っすら凍っていくのだった。彼女は、それを見てから砂糖のポットから二個ほど角砂糖を取ってコーヒーの中に落としていく。どうやら、見た目の可憐さにもれなく、甘いものを好む性格らしい。
「そ、そそそ、その! か……勘違いしてすみませんでした!」
そして、そのコーヒーをひと息で飲み干してから。花菜は勢いよく腰を折って、また美兎に謝罪してきたのだった。
「え、いえ。間違いに気づいたのなら、私は全然」
「ううん。美兎はもっと怒った方がいいよー? こいつ、美兎が盧翔に気があるとわかったら……絶対氷漬けにして殺してたね?」
「え」
「う、うう……そこまで、しませんけどぉ」
「いいや! あんたの能力で、人間界からあえて妖界隈に呼び込むくらいなんだよ? あんたの盧翔へのベタ惚れは、自制心飛んだら何が起こるかわかんないんだから!」
「うう……はいぃ」
どうやら、色々拗れた性格の妖でいるらしい。
人間の、雪女へのイメージはどちらかと言えばもっと冷たくかつクールビューティーなものだが。花菜を見ていると、どうも若かりし大学生だと思ってしまいがちだ。恋愛にうぶと言うか、拗れた性格の旧友となんとなく被っているなと。
コーヒーの方は、酸味が程よく苦味も尖っていなくてまろやか。ブラックでも充分美味しく飲めるのだが、苦手な者には苦手なのだろう。花菜を見てると、そう思えた。
「えと、再確認ですけど。私がろくろ首の盧翔さんのお店に行ったのは、どこから得た情報なんですか?」
基本的にプライバシーが守られているようで、そうでない妖界隈だが。美兎の質問に、花菜は猫のように肩を跳ねさせてから、またしゅんという感じに首を垂れた。
「その……湖沼さん」
「あ、美兎でいいですよ?」
「!……えと、美兎さん。夢喰いの宝来さんはご存知です……よね?」
「ええ。恩人です」
「その……た、たまたま、宝来さんと出会うきっかけがありまして。美兎さんのことを……褒めちぎっていました。盧翔さんもサービスしたくなるくらい可愛い、人だって」
「宝来さん!?」
「あいつ、酔っ払いついでにペラペラと美兎の情報くっちゃべったのね……?」
少々、真穂の周りが怖い空気になった気がしたが。それは一旦置いておいて、花菜が少し泣きそうな雰囲気だったので慌てて振り返った。
「だから……だから、盧翔さんに新しい恋人が出来そうじゃないかって。いても経ってもいられずに……美兎さんに、あんなことを!」
「だ、大丈夫ですから! わ、私が好きなのは別の人ですし!」
「……美兎は火坑にぞっこんだもんねー?」
「真穂ちゃん、それもあんまり言わないよ?」
「あれー?」
「火坑、兄さんに……ですか?」
「お兄さん?」
雪女と、猫人が兄弟。
少し不思議に思って聞き返すと、花菜は顔の前で手を振りながら訂正の意志を示してきた。
「あ、す、すみません! 兄さん……火坑さんは私とは兄弟弟子の間柄でして。し、師匠が同じなんです」
「この慌てっぷりだけど、花菜は火坑に次ぐ料理人の端くれなんだよ〜?」
「ま、真穂様!」
「え、じゃあ。花菜さんもお店を?」
「いえ! まだ暖簾分けまでは……。し、師匠の元で働いて、います」
なるほど、それなら合点がいく。
しかし、火坑とともに修行してきた間柄はとても羨ましく思えた。種族以上に密接な関係に。けど、美兎はあの日飲んだくれになっていなければ、火坑にも宝来にも出会わなかった。
だから、その縁を大事にしたい。
「そうなんですか。花菜さんも料理人だったんですね?」
「まだ……その、端くれですが」
「私は火坑さんのお店ばっかり行っているんですが、やっぱり和食メインですか?」
「そ、そそそ、そうですね! アレンジはたまに師匠もするんですけど、基本的には和をお届けするようにしています!」
相変わらずのかみかみ口調だが、少しばかり生き生きとしてきた。やはり、今の仕事が好きなのだろう。美兎も今の会社に勤めて生きがいを見出せたばかりだが、気持ちは同じだ。
「なにやら楽しそうですね?」
店主がトレーを片手にやってきた。火坑や先日少し会った亜条に似た雰囲気の柔らかい笑み。真穂の親戚には見えないような落ち着きぶりだが、トレーに載せていたものを美兎達のテーブル置くと軽く会釈してくれた。
「真穂さんのお知り合いと言うことで、サービスです。小布施の栗を使ったモンブランアイスです」
「季伯、ふとっぱらじゃない?」
「真穂さんが久しぶりにお客様をお連れくださったからですよ?」
「おぶせ……の栗?」
「えと。長野の小布施と言う地域特産の栗ですね? この時期にあると言うことはシロップ漬けとか加工品が多いですが。あの、マスターさんも加工されたのですか?」
急な、花菜の饒舌っぷりにも驚いたが。やはり、料理人であるがために調理法も熟知しているのだろう。店主の季伯は、花菜の質問にもニコニコと笑顔で答えてくれた。
「シロップ漬けは、あとで混ぜ込んだ栗の方ですね? ペーストにしたのは茹でて冷凍にしたものです。私は小布施の栗が好きでして、仕入れてからは自分で楽しむ以外にもこう言うお菓子を作ります」
「なるほど……茹で栗の冷凍」
「さあ、完全に手作りなので溶けやすいです。お早めにお召し上がりください」
「いっただきまーす!」
「いただきます」
「い、いただき、ます」
見た感じ、小ぶりのモンブランケーキにも見えるが。全て店主の手製であるアイスらしい。美兎は溶けやすいからとアイススプーンを手に取り、ゆっくりとすくい上げてから口に入れた。
「! とっても、優しい甘さです!」
「ありがとうございます」
「モンブランって、結構濃いイメージが強いんですけど。これは、口当たりが滑らかで優しい味わいですね!」
「シロップ漬けの方の甘みを、贅沢に和三盆で仕上げているからでしょうか?」
「相変わらずの、凝り性ね?」
「はは。花菜さんや火坑さんのお師匠様程ではないですが」
「店主さんも、火坑さんのことを?」
「ごくたまに、ですが。あそこのスッポンスープとポートワインの虜になった一人でして」
世間が狭いのは、人間だけでなく妖界隈も当てはまるのだろう。季伯はごゆっくりと告げてから、また仕事に戻っていった。
「ねえ、花菜さん」
「は、はい」
「勘違いはもう終わりにしましょう? そのかわり、ひとつお願いがあるんですけど。いや、交換条件というか」
「美兎?」
「??」
「盧翔さんのことは応援しますから、私に火坑さんと過ごしてきた修行時代のお話してくれませんか?」
「! よ、よよよ、喜んで!」
「じゃ、今からはタメ口でもいい?」
「い、いいい、いい……よ」
「あ、美兎。ずっるーい!」
「真穂ちゃんは真穂ちゃんだもん」
「ふふ」
わだかまりが解決したことで、美兎は初めて。花菜の年相応のような愛らしい笑顔を見ることが出来たのだった。
ちなみに、花菜の実年齢は季伯と同じだったのだが。
待ち人来ず。
その文言がしっくりくる位、秋も暮れに差し掛かってしまったが。錦町の妖界隈に小料理屋の楽庵を構えている、猫人の店主・火坑の元に。
座敷童子の真穂の守護を受けている、人間であり、店の常連客でもあり、そして想い人でもある湖沼美兎が。ちっとも店に来ないのに、どうしようか考えあぐねていた。
本当に、件のケサランパサラン問題は一応解決の方向になり、店の営業も再開出来たと言うのに。
なんの音沙汰もなく、ぷつりと糸が切れたように来ないのだ。同じ常連仲間の美作辰也にそれとなく聞いても、聞いていないと首を振られてしまったのだ。
そして、案の定。彼にも火坑自身が美兎を想っているのがバレてしまった。
「くく。……外野の俺でもわかるくらいでしたよ?」
「も、申し訳ありません……」
「なんで? いいことじゃないっすか? 奈雲達にも時々聞きましたよ? 人間と妖が結婚するのも珍しくないって」
「まあ、珍しくはありませんが……」
何故、美兎と付き合っている前提で話が進んでいるのだろうか。一応否定はしても、辰也には笑われているだけだった。
「空いてるかーい?」
「お、辰也じゃねーかぃ?」
次にやってきたのは、見た目は人間とあまり変わりがないろくろ首の盧翔。もう一人は小さな二足歩行のマレーバクのようでいる、夢喰いの宝来だった。
「あ、宝来さん。久しぶりです!……そちらの方は?」
「お、初めまして! 俺はろくろ首の盧翔ってもんだ!」
「ろくろ首? 首が長い?」
「そうそう、ほれ」
「お、おおお」
首が伸びるのを見てもらえないと、最初の人間にはわからない盧翔の特徴だが。正体を現すと、辰也は少し驚いていたが。首を元に戻されると少しほっとしていた。
「どうぞ。おかけください」
客入りは、今のところ辰也だけなので他の妖とかはいない。彼の守護についているかまいたち三兄弟は、ちょっとだけ用事があると今はいないのだ。
少し冷え込んできたので、熱いおしぼりをそれぞれ渡して手を清めてもらってから、注文を聞くことにした。
「本日はいかがなさいましょう?」
「俺、スッポンスープあるなら。それと芋のロック!」
「俺っちも! あと適当につまめるもん!」
「かしこまりました。先付けは自家製の甘辛キムチ です」
「お、嬉しいね!」
「旦那の漬物とかも、天下一品だからねぃ?」
飲むエンジンがかかってきたのか、ゆっくりと味わうように食べている間に。火坑も仕事の顔に戻しながら、酒や料理を仕上げていく。
「盧翔さん、当たりですよ? 今日は頭の部分が残っていたので」
「マジ! 俺好きー!」
「俺無理ですよ。だって、捌いた頭をそのままだなんて」
「兄さん、ゲテモノは無理かい? スッポンの脳味噌とか美味いのに」
「や、や、ちょっとハードル高いです」
「慣れれば、女でも平気らしいぜ?」
「……ああ。湖沼さんもそう言えば食べていたような」
「! あの美兎の嬢ちゃんか! そういや、ここに通ってるって聞いてたけど」
「! 盧翔さん、お会いになられたのですか?」
「おん! 俺っちが、旦那の店が休業中ん時にこいつんとこの店に連れていったのさ?」
「…………なるほど」
宝来の誘いになら、あの女性もついていくのは仕方がない。何せ、吉夢を与えただけでなく、吉夢を返したのだから。
他にも、座敷童子の真穂が気に入るくらいの霊力の持ち主。そして、いつも笑顔で店にやってきては菓子折を持ってきてくれるのだが。火坑は、それだけしか彼女を知らないでいる。
「へー? 盧翔さんも料理人なんですか?」
「盧翔でいいぜ? 兄さんはなんてんだ?」
「あ、俺は美作辰也」
「辰也って言うのか! おう、俺も料理人だぜ? ピッツァ中心のイタリア系だ!」
「へー! ピザは最近食ってないなあ?」
「へへーん! ここで出会ったのも何かの縁だ。うちに来てくれたらサービスするぜ? サルーテってんで、こっからもそんな離れてねーんだ」
「そっか。奈雲達なら知ってるかも」
「おっと? 不思議な霊力かと思えば、守護持ちか? 美兎の嬢ちゃんと同じだなあ?」
見た目だけの年齢ならば、二人は同じ年頃のせいか。すぐに打ち解けてしまった。それにしても、美兎が盧翔の店に行ったとは。
火坑のはらわたが煮えくり帰りそうになったが、どこに行くのも彼女の自由なのに、とこっそりため息を吐いた。
「機嫌が悪そうだねぃ、旦那?」
「……そうですか?」
盧翔と辰也が話に花を咲かせている間に、宝来がすぐに出した芋焼酎のロックを飲みながらくすくすと笑い出した。
「相変わらず、お前さんが嬢ちゃんを想っているのはバレバレだぜぃ?」
「! 宝来、さん!」
「ああ、安心しな? 嬢ちゃんにはバレてねーぜぃ?」
「……安心してもいいものか」
盧翔とは違い、猫の半人。手に肉球はないとは言え、猫の半分人間。のような、出で立ちでいるから絶対好意の対象には思われていないだろう。嫌われてはいないのだと、よく見ればわかるのだが。
だが、何故。
きっと真穂から連絡が行っているはずなのに、地獄に訪れる少し前から姿を見せてくれない。それが、非常に寂しく思えるのだ。
「うっわ、やっぱりえぐいよ。盧翔!」
何事かと、辰也達の方を振り向けば。盧翔が実に美味しそうにスッポンの頭の部分をしゃぶっていた。
皮が外れれば、すぐに頭蓋骨ごと骨が現れ。その頭蓋骨を割れば、小さな小さな脳味噌が出てくる。彼の言う通り、そこはぷりぷりとして実に珍味であるのだが。
「うっめ! しょっちゅうはこれねーけど、これがあるからたまんねぇんだよなあ?」
「ま。一から調理してくれるから、美味しいとは思うけど」
「辰也も今度挑戦してみなって?」
「んー、まあ?」
この空返事だと、まだまだ挑戦するのは無理そうだ。しかし、美兎も好きなスッポンの雑炊はとても好きらしい。
辰也の方の御燗を追加で注文を受けたら、すぐにそちらの調理に移るのだった。
「っ、くぅうううう! 締めの雑炊はたまんないなあ!」
「叩いた肝も生臭くないし、いいよな? 火坑さん、なんか秘訣でもあるんですか?」
「臭み消しに、ニンニクの粒と青ネギの青い部分と一緒に煮込んでいるんです」
「へー!」
「食うだけでなく、これから増えてくネギは格別だしなあ? 俺の店でも季節のピッツァに和風タイプ増やそうかなあ?」
「旦那! 俺っちに熱燗!」
「かしこまりました」
美兎や真穂がいない男所帯な今晩ではあるが。たまには、こんな日があってもいいかもしれない。
けれど、このままでは、いつまで経っても火坑は前に進めない。ケサランパサラン発生の原因にもなった、自分の想いをあの可愛らしい女性に伝えるためにも。
かごめでデザートを堪能したわけだが、まだまだお腹は空腹状態。
色々あり、結局友達になれた雪女の花菜や守護についてくれている、座敷童子の真穂と一緒にいるわけだが。
せっかくなら、女子会でもしようと意気込んだものの。美兎は妖界隈に然程詳しくないので、どの店に行こうか悩んだ。
火坑の楽庵か、妖デパートの鏡湖。花菜が想いを寄せている、ろくろ首が営むサルーテ。
最初、美兎がせっかくならサルーテに行こうかと誘おうとしたが。真穂から今日は定休日だと教わったので、がっくしするしかなかった。
「じゃ、じゃあ! 私が働いているお店に来ないかな?」
「マジ!?」
「火坑さんの、修行時代のお店……!」
行く、絶対行く、と決まり。花菜の案内で袋小路である錦の妖界隈を歩いて。
楽庵よりは大きいけれど、一見高級お寿司屋をイメージするような店構え。お金は、お金はと美兎は思わず財布を確認しそうになったが、花菜の方からひとつ提案があった。
「美兎……ちゃん。火坑兄さんのお店では支払いってどうしてる?」
「え、と……心の欠片で、だけど」
「じゃ、じゃあ! 師匠達も大丈夫だと思うよ! 妖より人間のお客様、最近どこも少ないし」
「……いいの?」
「うん。妖力とは違う、私達妖の……栄養剤みたいなものだから」
「へー!」
火坑の店に通って、随分と時間が経ったはずなのに。その理由は知らなかった。彼からは生きる糧、もしくは賃金の代わりとしか聞いていなかったから。
とりあえず、先に花菜が入って説明をするらしく、少し待つように言われた。
「…………楽養?」
なんとなく読めた字だが、楽庵と似ていたので、つい頬が緩んでしまう。
「たーしか。火坑が暖簾分けに一字もらったって聞いたことがあるよ?」
「そうなんだ? やっぱり、お師匠さんのお店だから?」
「多分? 真穂もこっちに来るの随分と久しぶりだし?」
「へー?」
丁寧に掃除がされているが、それだけ歴史があるところなのだろう。花菜の年齢もだが、火坑が妖になってどれくらい経つのか。
そう言えば、あとひと月程で。彼の生誕日が来てしまう。何か用意しようにも、楽庵に行っていいものか悩んでしまう。
また、ケサランパサランを引き寄せてしまうから。
「おう、いらっしゃい。花菜から聞いてはいるよ?」
「わぉ?」
「ひぇ!?」
いきなり、暖簾の向こうから出てきたのは。口の長い犬と言うか狼と言うか。背丈も美兎以上にあって、少し恐ろしかった。
思わず、美兎は真穂に抱きついてしまう。
「えー、美兎? こいつも怖い?」
「こここここ、こわ、怖くは!」
「あー……なんだったら、人化しようか?」
「大丈夫大丈夫。慣れさせなきゃ?」
「真穂ちゃんぅううう!?」
「本当に大丈夫か?」
ケラケラ笑いながら、狼ではあっても火坑のような割烹着を着ていて、まるでぬいぐるみを見ているような。そう思うと、ちょっと安心できるかと思いきや、笑うたびに見え隠れする牙が怖い。やはり、怖い。
花菜は中にいるかと思えば、カウンター席しか無い店にはもう一人、誰かが立っていた。
「らっしゃい。花菜が世話になったって聞いたが?」
黒、真っ黒。
けど、目は金色。耳は丸っこくて可愛らしい。
たしか、動物園で見るような、黒豹だったはず。そういう妖がいるのか、と美兎は驚くと同時に疑問に思うのだった。
「は、はじめ……まして」
「おう。俺ぁ、黒豹の霊夢っつーもんだ。お嬢さんが普段行ってる、楽庵の火坑とは師弟関係を結んでるぜ?」
「火坑さんの、お師匠さん?」
「おぅ、花菜は妹弟子で。そっちの狗神だった蘭霊ってんで、あいつには兄弟子にあたる」
「ども」
自己紹介をしてもらってから、霊夢に前に座りなと言われたのでカウンターの席に真穂と腰かけていたら。花菜がゴム製の薄い手袋をはめて、髪をまとめた日本料理人のような服装で奥の方から出てきたのだった。
「お、お待たせしました!」
「おう、花菜。えらい吉夢を持ってるお嬢さんを連れてきたな?」
「は、はい! い、色々……ありまして」
「色々?」
「おーめ、まさか。また」
「わーわーわー! 兄さん!」
「…………花菜、今ので台無しだぞ?」
「あ、し、師匠ぉ!」
そして、だが。
盧翔の恋人と勘違いしかけてたことが、師である霊夢達にバレてしまい。盛大にお叱りを受けた花菜は今日、お詫びに霊夢達と共に美兎らをもてなすことになった。
いつもなら、心の欠片をもらうらしいが、ここは美兎も提案した。
「あ、あの! 火坑さんについて色々知りたいんです! 花菜ちゃんとは、そのお願いもあって友達になったんです」
「!……そうか。件の袈裟羅・婆娑羅達が寄り集まった騒ぎには、お嬢さんが」
「え、お師匠さんも。知って?」
「おう。俺んとこにまで知らせは届くさ? けど、あいつ。俺より閻魔大王に策を授かるとは、少し生意気だなあ? まあ、あっちの方が縁は強いし」
けど、と霊夢は金色の目を優しく細めた。
「あの?」
「座敷童子の一角まで守護を受けるとか。お嬢さんになら、あいつをやってもいいねぇ?」
「や、やる!?」
「霊夢のお眼鏡にもかなったわけだね!」
「おう。せっかくだ、駄賃と言うか。お嬢さんの心の欠片も見てみたいね?」
「あ、じゃあ……」
色々気恥ずかしくはなったが、お腹は正直なので彼の前に手を出すと。霊夢が肉球のない黒い手で美兎の手をぽんぽんと叩いた。
途端、光と共に粒状の何かが現れた。
「ほーう? 時期外れではあるが、銀杏か?」
「これ、銀杏なんですか?」
ピスタチオに似た殻に包まれたものは、どうやら銀杏であるらしかった。
心の欠片での、食材の取り出し方については未だに不思議過ぎではあるが。火坑が生み出した料理はどれもが絶品揃いだった。
なら、その師である霊夢の料理も一級品であるはず。
だが、すぐに調理に取り掛からずに、黒豹の彼は考えているのか顎に手を添えていた。それが、人間だったらイケオジに部類されるくらい様になっている。彼の年齢もだが、火坑の年齢も知らないのにイケオジと思ってはいけないだろうが。
「そうだなあ? 秋も暮れてっし、茶碗蒸しには少し早いか。心の欠片だから毒性は気にしなくてはいいが……」
彼の独り言に、とんでもない言葉が混じっていた。
「え、銀杏に毒があるんですか?」
「お、聞こえてたか? そうだ。植物は大概鳥とか虫を外敵にしてっから、食用出来る部分に毒性を少なくとも含んでんだ。ま、お嬢さんから取り出したこいつは心配ないが。銀杏の食い過ぎで気分が悪くなる人間や妖も少なくねーんだよ」
「へー」
火坑に聞けば、同じ返答をしれくれるだろうが。またひとつ料理の勉強になったのだった。
「けど、見たところ腹は空かしているだろうし。かやく飯やおこわは炊くのに時間がかかるからなあ? 普通の炒り銀杏とかじゃ、腹は膨れねーしよ?」
「師匠、アレンジでアヒージョとかどうだい? 俺、この間作ったけど。手軽で美味かったぜ?」
「ほう。けど、ニンニク強いぞ? このお嬢さんは他の人間と接するのが多くないか?」
「あ、そっか」
火坑の兄弟子である、いぬがみと言う部類らしい蘭霊が提案はしてくれたが。すぐに霊夢が渋い顔をしたのと、美兎の仕事を思うと難しいのではと却下したのだった。
美兎としては、アヒージョを過去に食べたことがあるので。マッシュルームとかを入れられたらとてもじゃないが、完食する自信はなかったので助かった。隣にいる真穂は知っているのでくすくすと笑われたが。
「あ、あの! 師匠、兄さん」
「あ?」
「ん?」
「その……美兎ちゃん、きのこ全般がダメだそうで。兄さんのアヒージョとかは、多分食べられそうに……ない、です」
「おっと」
「先に聞いとくべきだったな? お嬢さん、他に嫌いな食いもんあるか?」
「えっと……こんにゃく、が」
「おっし。それも除外すっか。んで、腹にたまるなら……やっぱり、茶碗蒸しだな? ついでにつまみ用に炒り銀杏作ってやるよ」
雪女の花菜や蘭霊に指示を飛ばしながら、霊夢は丁寧に銀杏の殻をペンチのようなもので、少し割っていく。それから厚手の鉄鍋のようなものに、おそらく塩だけしか入っていないが。その中に銀杏をふたつかみ入れてから、火の上でゆっくりと鍋を振るうのだった。
「炒り器とか今時はあるんだが。こう言う方法もあんだぜ?」
美兎がじっと見ていたせいか、霊夢が喉の奥で笑いながら答えてくれた。
「お嬢さん、あいつを必要以上に気にかけてくれてんだろ?」
「え!?」
「なんで、と続けるなら。……そうだな? 強いて言えば、あいつの師匠だから。かな?」
「え、え、え、火坑さんに、何か聞いたんですか?」
「いいや? ケサランパサランの件も風の噂で聞いた程度だ。ここ一年くらい会ってねーよ?」
「けど……」
「ま。ここは女ならぬ、男の勘ってやつか? それと、真穂ちゃんの守護がついたお嬢さんは、ちょっとした有名人だからな? まさか、うちの馬鹿弟子が連れてくるとは思わなかったが」
馬鹿の部分を強調すると、鶏肉か何かにお湯をかけていた花菜の肩がびくんと大きく揺れたのだった。それをわかっているのか、霊夢はまた、くくくと笑い出した。
「ま、経緯はなんであれ。一度うちの店に来てくれて嬉しいぜ?…………っと、跳ねてきやがった。ちょいと気をつけてくれよ?」
ぽん、ぱん、と音が聞こえてくると、彼の手にある塩の鍋から銀杏がぴょんぴょんと跳ね上がっていた。
「こう言うのはしょうがねーからな? っと、いい具合だ。ほらよ、熱いから気をつけな?」
塩ごとざるに入れて、余分な塩を取ってから器に盛り付けてくれた。ご丁寧に、殻用の器まで差し出してくれて、お酒もよく冷えた冷酒を。
「じゃ、かんぱーい」
「うん、乾杯」
涼しげなガラスの猪口を軽く打ち合い、ほんのひと口含む。甘めだが、スッキリとした味わい。この味は楽庵になかった。
「飲みやすいだろう? 妖でも人間でも、女性客には人気のやつだ」
「すっごく、飲みやすいです」
「水とまではいかねーが、飲みやすくて結構酔っ払っちまうのが難点だが。つまみと一緒に飲んでみな?」
なので、剥きやすくしてくれた銀杏の殻を割り、薄皮をめくって口に放り込む。
温かく、甘く、ほのかに苦くて少し塩っぱい。
その後に、冷酒を口に含んだら。幸せの循環が訪れた。
「美味しいです!」
「簡単なように見えるつまみもなかなかのもんだろ?」
「はい。火坑さんのお店では、自家製の梅酒ばかり飲んでましたが」
「杏と高麗人参入りのか? あれも、俺が教えたんだぜ? お嬢さんの気に入りなら良かった」
「ここでもあるんですか?」
「おう、仕込みはここ数年は蘭霊に任せてるんだが。蘭霊、お嬢さん達にロックで一杯ずつ」
「あいよ」
本家本元なら、どんな味か。美兎はウキウキし出してしまい、炒り銀杏をぱくぱくと口に頬張っていく。
この銀杏は気にしなくていいらしいが、とても毒があるだなんて思えない。が、花には毒があるとも言うし、実にも毒があってもおかしくないのだろう。
蘭霊が、ルビーのように赤い梅酒のロックを持って来てくれたと同時に。
花菜が作った、特製の茶碗蒸しが出来上がったらしい。出汁の良い香りが鼻をくすぐった。
「お、お待たせ致しました。銀杏と鶏肉の茶碗蒸しです! キノコは入っていません」
「花菜ちゃん、ありがとう!」
「うわ〜、良い匂い!」
「あ、熱いので火傷にはご注意ください」
「うん!」
「食べよ食べよ!」
さて、ひと口。とまずは、梅酒の方から口にしたが。
味わいが火坑の店のものと比べようがなくて、甘くてスッキリしていて、とても喉越しが良かった。
少々ど天然の、末の弟子が連れてきた人間の女に。その守護についてる顔見知りであり、最強の妖の一角でもある座敷童子の真穂。
風の噂では聞いていたが。自分のところから旅立った猫人の火坑の店の常連らしい、湖沼美兎と言う女だが。
どうやら、必要以上に火坑に惚れているようだ。
霊夢が火坑の事を話すと、まるで恋する乙女。しかも、少女のように生き生きとした表情になっていくのだ。
今は、末の弟子である雪女の花菜が拵えた、椎茸もかまぼこも入っていない、シンプルに鶏肉と銀杏。あと、三つ葉を入れた茶碗蒸しを口にしようとしていた。
雪女なのに、花菜が温かい料理を作れるのは、特殊加工してあるビニール製の手袋のお陰だ。彼女に限らず。雪女もしくは雪男が調理や作業をする際に、物質を凍らせないため。だから、花菜のも特注品だ。
花菜は、元来臆病な性格をしているせいか。美兎が朱塗りの匙で息を吹きかけてから口に運ぶのを見ながらも、肩を揺らしてビクビクしていた。
「……うん。うん! すっごく美味しいよ、花菜ちゃん!」
「ねー?」
「よ、よかったぁ……」
そのまま、へなへなと床に膝をつきそうだったので。近くにいた兄弟子の蘭霊が制服の首根っこを掴んで止めた。
「え、大丈夫!?」
「気にしなくていいぜ、お嬢ちゃん。こいつは、いつもこんな感じだ」
「あ、そう……なんですか?」
まだ、狗神だった蘭霊を少し怖がっている節があるが、黒豹の霊夢よりも迫力のある狗神だったから仕様がないかもしれない。日本狼の祖でもあったとされる神の使い。妖とは微妙なラインを保ってはいるが、彼は彼だ。
ぼろぼろで何もやる気のなかった、あのボロ雑巾だった狗神はもういない。店こそ出していないが、この楽養に親身に尽くしてくれて、日々料理の研究をしているこの狼に霊夢は感謝している。
先程提案してくれて、アヒージョも気にはなっているので、目の前の人間の女性と真穂が帰ってから作ろう。花菜には出すかどうかはわからないが。
とにかく、花菜が調理した茶碗蒸しを二人は本当に美味しそうに口に運んでいた。
「お出汁がしっかり取ってあるのに、優しい味わいで。お肉も柔らかくて銀杏がさっきより甘いです! 三つ葉の香りとすっごく合ってる!」
「あ、あ、あ……ありがとぉ」
「はっはっ! 曲がりなりにも俺の弟子だからなあ? 手抜きはさせねーぜ?」
「師匠、そろそろ飯も出来上がる」
「なら、蘭霊。お嬢さん達に簡単にだが飯ものも作ってやってくれ。花菜も一緒に」
「あいよ」
「は、はい!」
その間に、霊夢もデザートなどに出すための銀杏料理を作っていく。殻と薄皮を取った銀杏を、色良く塩茹でするのが少々手間だが。
「霊夢さんは、何を作っているんですか?」
「おう。きっとお嬢さんには気にいると思うぜ? グラッセと言うのはわかるか?」
「えっと……マロングラッセ以外だと、人参とかの?」
「そうだ。それの銀杏版ってとこだ」
「わ、美味しそう!」
「お、お待たせ致しました! 塩昆布の銀杏ご飯です!」
「あら、さっきすごい音がしたけれど?」
真穂の言葉は、おそらく蘭霊が奥の厨房で電子レンジを使ったからだろう。日本料理がメインとは言え、現代の調理器具を霊夢は馬鹿にはしていない。使えるところは、使うようにしている。
使用した理由は、銀杏を封筒に入れて爆発させたからだろう。炒り、蒸し以外にも。そうやって熱を通す方法もあるからだ。
「自家製の塩昆布も入れてあるんだ。よかったら、食べてくれ」
「あ、ありがとう……ございます」
怖がってはいるが、最初よりは怯えていないようだ。花菜から受け取った茶碗を手に、少し会釈しながら礼を言った。すると、蘭霊にも気持ちが伝わったのか、ククッと喉の奥で笑った。奴も美兎が気に入ったのだろう。
「おいひい!」
真穂が既に受け取っていたので、遠慮なく口にしていた。座敷童子の彼女がここに来るのも随分と久しいが、前回は確か、花菜が弟子入りしてきてしばらくしてからだろうか。
火坑も巣立っていったし、時が経つのは早いなと霊夢は思った。
「本当に! 銀杏がもちもちだし、塩昆布の塩加減もいい感じ! お腹にたまる!」
「せっかくなら、おこわとか蒸し物で出してやりたかったが。時間がかかるし、それで悪いな?」
「そんなことないですよ! 蘭霊さんも色々出来て凄いです!」
「……そうかい」
飯もので腹もだいぶ膨れてきただろうし、氷が溶けて濃度が変わった自家製の梅酒を楽しんでいるのなら。霊夢のグラッセも頃合いだろう。
塩茹でした銀杏に、水と砂糖を入れて中火で約十分程度煮付けたものに。煮汁が半分くらいなったら、はちみつを加えて煮立たせる。
そこに、レモン汁を加えて火を止めたら。粗熱が取れたところで、氷水たっぷりのボウルで鍋ごと間接的に冷やして。
「あ、あれ? サツマイモみたいな香りが?」
「レモン汁を入れたことで、香りが変わるんだ。いい匂いだろ?」
「はい! 今は年中サツマイモは見かけますが、やっぱり秋ですよね!」
「だな。ほら、出来上がったぜ?」
真穂とは別々に器を差し出して、手に取ってもらう。強烈ではないが、銀杏特有の臭みが軽減されて。先程、美兎が言ったようにサツマイモのような香りが鼻をくすぐるだろう。
普通の翡翠色ではなく、黄色が強い緑になった銀杏を和菓子などでも使うフォークのような楊枝で刺し。二人ともためらう事なく、口に入れてくれた。
「グラッセって言ってましたけど。そんなに甘味は強くないんですね? 食べやすいです!」
「そうだろ? 甘い銀杏ってのもありだろ?」
「はい。これ、梅酒と食べると……止まらない!」
「はっはっは! あんま急いで飲むなよ? 酔いが回るぜ?」
「う……はーい」
やはり、面白い女だ。
きっと、あの元弟子もこの人間の女を気に入っているのだろう。なら、蘭霊を連れて、一度あの店に行くのもいいかもしれない。
とりあえず、美兎と真穂が料理を堪能してから花菜に界隈の端まで送らせて。その間に、霊夢は蘭霊に話すことにした。
「ほー? あの坊自身が気に入っているかもしれないと?」
「可能性としての話だが。確かめに行かねーか?」
「面白い話だな? 俺も付き合う」
「手土産に、なんか用意すっか?」
「なんだかんだで、一年くらい会ってないしな? 結構近いけど」
「とりあえず、花菜が帰ってきたら。お前が言ってた銀杏のアヒージョで一杯やんねーか? 久しぶりの心の欠片だ」
「準備しとく」
なので、蘭霊が殻とかを剥いている間に、花菜も戻ってきたので、久しぶりの祝杯を楽養で迎えるのだった。
少し時をさかのぼる。
雪女である、花菜は思った。
まさか、まさか。自分が危険因子と思いかけていた、人間の女と結果的に友達になるとは思わないでいた。
花菜が思いを寄せている、ろくろ首の盧翔に気に入られたと、たまたま知己である夢喰いの宝来に教えてもらったのだが。
盧翔に、いよいよ想い人が出来てしまったのかと、花菜は勘違いしてしまい。その女性、湖沼美兎にもだが、守護になっている座敷童子の真穂にも迷惑をかけてしまった。
なのに、美兎は少々驚いた以外、あまり気にもとめていなかった。それどころか、花菜の兄弟子である火坑に想いを寄せているらしい。それを知ってたら、吹雪で尋問などしなかったのに。彼女は、花菜の事情を知ったら。逆に友達になってくれと、出来れば火坑のことを教えて欲しいと申し出てくれたのだ。
元来、極度の恥ずかしがり屋である花菜には、友人が少なかった。知人を除いたら、いないに等しい花菜に初めての。しかも、人間の友人。
可愛らしくて、明るくて。言葉遣いはハキハキしていてとても好ましい印象だ。一瞬、盧翔が気にかけているかと思ったが、真穂からお叱りを受けたので考えを改めたが。
だから、詫びも兼ねて、修行先でもある楽養に案内したのだ。最古参の兄弟子である蘭霊には大層驚いていたが、それは無理もない。蘭霊のかつての姿は、人にも畏れられていた狼のような狗神だったから。
「花菜ちゃん、すっごく美味しかったよ!」
花菜は意識を戻した。
今は、師である霊夢に言い渡されて、錦の妖界隈の端まで送っていたのだ。真穂も満足していたが、美兎も霊夢達の作った料理を美味しいと言ってくれたから。
「う、ううん。茶碗蒸ししか作ってないけど」
「でも。ちゃんと心が籠ってるってわかったよ。優しい味だったもん」
「そ、そんな!」
「謙遜しなくていいよ、花菜? 美兎のこれは本心だから」
「うん、本当!」
「あ……りがと」
素直、素直過ぎる。人間の女性として気にいるなら、たしかに盧翔の興味の枠にも入るだろう。これは、完全に花菜の勘違いだった。
しかし、火坑が好きなら何故今日は行かなかったのだろうか。
霊夢が言っていたように、楽庵のケサランパサラン問題は解決を迎えたと風の噂で聞いていたのに、美兎は、それが終わってもあの店に行かなかった。
なら、花菜が盧翔の噂を聞いたのと同じように。なにか美兎にも思うことがあったのだろうか。けれど、そこに踏み込むにはまだ花菜と美兎の溝は浅い。
であれば、一度霊夢達に聞いてみよう。
花菜はそう決意して、美兎達を端に送り届けてから。雪女の装束になって店に飛んでいくことにした。
「おう。早かったな?」
「た、ただいま、戻りました」
店に戻ると、蘭霊が調理をしているのか霊夢が代わりに出迎えてくれた。
「今、蘭の奴が例のアヒージョを作ってくれてんだ。食うだろ?」
「是非! あ、あの、師匠」
「あ?」
「火坑兄さんのお店、もう営業再開されたんですよね?」
「ああ。そう聞いているぜ?」
「ですよね。……美兎ちゃん、なんで行かなかったんでしょう?」
「あ〜、俺も今日会ったばっかだが。俺達妖と人間は交わるまで寿命が違うのは覚えてんだろ?」
「は、はい」
「火坑のアホがどう思ってるかはわかんねーが。お嬢さんの方は、種族の違いに思い悩んでんじゃねーか?」
「種族……」
長命の、妖や神。
短命な人間。
その違いを、花菜は今日美兎と出会うまで考えもしなかった。
いや、少し語弊があるか。客としてやってくる、人間の数が減ってきたのがその表れか。花菜も今日美兎と出会うまで、随分と人間の客をここのところ見てこなかった。
口コミでしか知られていない、この界隈のどの店でも。最近、人間も来ないし心の欠片も妖がほんの少し提供出来る部類でしか、手に入らない。
けど、美兎は。
他にも守護を受けた人間もいるらしいが、楽庵には今年から通い出したそうだ。なら、火坑に想いを寄せてしまうのも必然か。
「その阿呆に確認しにいくのに、近いうちに楽庵に行こうと思ってんだが。蘭は参加するが、お前はどーする?」
「い、行きます! 兄さんにも久しぶりにお会いしたいですし!」
「よし! 客足も今日はあのお嬢さん達くらいだったな? 早仕舞いにして、アヒージョ食おうぜ?」
「お、表の掃除してきます!」
「おう」
見入りはそれなりにある楽養なので、こんな日もしばしばある。それに今日は、久しぶりの人間から得た心の欠片での料理。
蘭霊の腕前を信じているのもあるが、花菜も早く食べたかった。雪女なのに熱い料理を食べれないと思われるかもしれないが、例の特殊加工のゴム手袋をつければ大丈夫だ。
掃除を粗方終わらせて、店の暖簾なども丁寧に片付けて。
さあ、蘭霊のアヒージョをば、と意気込んでカウンター席に霊夢と待っていれば。アヒージョ専用の陶器で出来たポットに、ぐらぐら沸いた油の中に心の欠片である銀杏に加えて美兎が苦手としているマッシュルームが顔を出していた。
「お待ち」
「さ、食おうぜ」
「は、はい!」
そして、久しぶりに食せた心の欠片のおかげもあるが。
ほくほくとした銀杏の食感に、油がよくしみ込んだマッシュルームの食感がなんとも言い難い幸福感を得たのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
ひと月。
たかがひと月、されどひと月。
もうすぐ、社会人になって一年目の冬を迎える、新人デザイナー見習いの湖沼美兎は困り果てていた。
想いを寄せている、猫人の妖であり、小料理屋の店主である火坑の店に行けず、約ひと月。
色々な人から背中を押されてはいるのに、勇気が出せず一歩前に進めない。
だが、出せない理由もある。
美兎の気持ちが、火坑にバレているんじゃないかと。その上で、美兎の気持ちを弄んでいなくとも、受け入れてはくれずに店主と客の間柄でいたいんじゃないかと。
そんな弱気な思いが先走り、美兎は前を進めずにいた。
守護についてくれている、座敷童子の真穂にも呆れられてしまっているが。基本的には見守ってくれている。
だけど、それなら何故。
何故。
「この前来れなかったお店に来ちゃうんだろう……?」
先日。
勘違いされたとは言え、火坑の妹弟子である雪女の花菜と出会い、友達になれた。
火坑がかつて過ごした店でもある楽養にも行けて、ほんの少しばかり彼らの師である黒豹の霊夢の料理も堪能出来た。
何か礼をせねばならないな、と冬に近づいた今日。
花菜と出会う直前に、行こうとしていたマカロン専門店に来てしまっていた。
だけど、考えるのは霊夢達のことよりも火坑のことばかり。
マカロンは砂糖が多く使われる菓子ではあるが、メレンゲのお陰ですっと口の中で溶けて、そして軽い食感が特徴的だ。
ひとつくらいなら、彼でも食べられるかもしれない。
だから、出来るだけ甘さを控えた種類を物色しようとしたのだが。
どれもこれも美味しそうで、目移りしてしまい。小一時間悩んでしまっている。客は他にも女性客が多いので、特に店員にも声をかけられなかったが。
「おやおや、お嬢さん。随分と悩まれているねえ?」
店員、にしては渋い声だ。
ぞくっと背筋が伸びるような、耳通りの良過ぎる声。
なら、店長さんだろうかと振り向けば、そこにいたのは少し明るめの色合いのスーツ姿の男性。しかも、かなりの高齢者だ。失礼だが、定年間近に見える年齢なのに異様に若々しい。
顔のシワもだが、髪は綺麗なグレーだ。染めているのかもしれない。初対面だと美兎は思うが、どこかで見かけたのだろうか。しかし、思い返しても見当がつかない。
「あの……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「! いやいや、お嬢さんとはある意味初対面だよ? おじさんが勝手に知ってるだけでね? この界隈……と言えば分かると思うけど」
「あ!」
もしかして、と思ったが。周りを見ても店の中のままだし、客足も途絶えてはいない。
けど、このご老人は自ら『妖』と告げてきたのだ。
なら、周囲には自分達の会話は聞こえていないのかもしれない。
だのに、今日は真穂も出て来ない。何故だろうか。
「ふふ。驚くのも無理はないけどね? おじさんは特殊な位置に部類されてる妖でねぇ? 真穂ちゃんもすぐには気づかないと思うよ?」
「真穂ちゃんを知って?」
「ああ。界隈では随分と噂されているとも。稀代の座敷童子がわざわざ守護につくほどの、吉夢の持ち主。夢喰いよりも先に目をつけるとは、あの子もやるねえ?」
「えっと……それで、あなたは?」
「おっと。歳を取ると前置きが長くなって仕方ない。おじさんの名前は、間半。ぬらりひょんと言う妖はご存知かな?」
「ぬらりひょん??」
聞いたことはあるようなないような。
正直にわからないと答えれば、間半はくすくすと笑い出した。
「人間に知られたのは、さほど古くはないからねぇ? 座敷童子とは違う、家妖怪の一種とされているんだ。そして、気配を住人などの人間達には悟らせない。またを、妖の総大将とも言われているのさ」
「え……では、えらい人なのですか?」
「はっはっは。おじさんを見てそう思うかい?」
「えっと……どこかの社長さんとかには見えます」
「ふふ。久しぶりにめかし込んで、正解だったね?」
けれど、なら何故美兎に接触してきたのかはわからない。
首を傾げていると、間半はまたくすくすと笑い出した。
「あの?」
「うんうん。妖の総大将と知っても、然程驚かない肝の据わった態度。うんうん、おじさん感心しちゃうよ」
「まなか……さん?」
「是非とも、お嬢さんが気に入りの楽庵に。一緒に行かないかい?」
「え!」
「お代はおじさんが奢ってあげるよ? 手土産のマカロンも一緒に選ぼうじゃないか! あ゛!?」
ペースに乗せられてしまうと、思いかけたら。
突如、彼の上から穴のようなものが出現して。何か出てきがと思ったら、本性の子供サイズの真穂だった。
そして、躊躇うことなく間半の脳天をかち割る勢いで、鉄拳制裁をお見舞いして彼を床に倒れさせてしまったのだった。
「何してんのよ、総大将が!?」
「う……ふ、ぐぐ」
「ま、真穂……ちゃん?」
「真穂が守護してる子に、勝手に声かけないの! このスケコマシ!」
「真穂ちゃん、古いよ……」
「いいの! こう言う色ボケじじいには!」
穴から降りてきた彼女は、そのまま倒れた間半の背中に乗ってしまい。彼が苦笑いしながら顔を上げるまで、ずっと仁王立ちしていた。