喫茶『かごめ』。
妖界隈のどの店もだが、ここももれなく落ち着いた雰囲気である。店主は、座敷童子の真穂の遠い親戚らしく。しかし、人間と妖との婚姻を繰り返した血族だそうなので、寿命は少しばかり妖に近いそうだ。
見た目だいたい五十代後半くらいなのに、妖界隈に店を構えて妖力を含む空気を吸い続けたせいか、実際はその倍近く生きているらしい。
そんな店主の、サイフォンで淹れてもらった手製のコーヒーを一杯ずつ注文して。まずは、状況整理をするのにひと口ずつ飲もうとしたが。
「あ」
美兎に近づいてきた、雪女の花菜のカップが。表面だけ薄っすら凍っていくのだった。彼女は、それを見てから砂糖のポットから二個ほど角砂糖を取ってコーヒーの中に落としていく。どうやら、見た目の可憐さにもれなく、甘いものを好む性格らしい。
「そ、そそそ、その! か……勘違いしてすみませんでした!」
そして、そのコーヒーをひと息で飲み干してから。花菜は勢いよく腰を折って、また美兎に謝罪してきたのだった。
「え、いえ。間違いに気づいたのなら、私は全然」
「ううん。美兎はもっと怒った方がいいよー? こいつ、美兎が盧翔に気があるとわかったら……絶対氷漬けにして殺してたね?」
「え」
「う、うう……そこまで、しませんけどぉ」
「いいや! あんたの能力で、人間界からあえて妖界隈に呼び込むくらいなんだよ? あんたの盧翔へのベタ惚れは、自制心飛んだら何が起こるかわかんないんだから!」
「うう……はいぃ」
どうやら、色々拗れた性格の妖でいるらしい。
人間の、雪女へのイメージはどちらかと言えばもっと冷たくかつクールビューティーなものだが。花菜を見ていると、どうも若かりし大学生だと思ってしまいがちだ。恋愛にうぶと言うか、拗れた性格の旧友となんとなく被っているなと。
コーヒーの方は、酸味が程よく苦味も尖っていなくてまろやか。ブラックでも充分美味しく飲めるのだが、苦手な者には苦手なのだろう。花菜を見てると、そう思えた。
「えと、再確認ですけど。私がろくろ首の盧翔さんのお店に行ったのは、どこから得た情報なんですか?」
基本的にプライバシーが守られているようで、そうでない妖界隈だが。美兎の質問に、花菜は猫のように肩を跳ねさせてから、またしゅんという感じに首を垂れた。
「その……湖沼さん」
「あ、美兎でいいですよ?」
「!……えと、美兎さん。夢喰いの宝来さんはご存知です……よね?」
「ええ。恩人です」
「その……た、たまたま、宝来さんと出会うきっかけがありまして。美兎さんのことを……褒めちぎっていました。盧翔さんもサービスしたくなるくらい可愛い、人だって」
「宝来さん!?」
「あいつ、酔っ払いついでにペラペラと美兎の情報くっちゃべったのね……?」
少々、真穂の周りが怖い空気になった気がしたが。それは一旦置いておいて、花菜が少し泣きそうな雰囲気だったので慌てて振り返った。
「だから……だから、盧翔さんに新しい恋人が出来そうじゃないかって。いても経ってもいられずに……美兎さんに、あんなことを!」
「だ、大丈夫ですから! わ、私が好きなのは別の人ですし!」
「……美兎は火坑にぞっこんだもんねー?」
「真穂ちゃん、それもあんまり言わないよ?」
「あれー?」
「火坑、兄さんに……ですか?」
「お兄さん?」
雪女と、猫人が兄弟。
少し不思議に思って聞き返すと、花菜は顔の前で手を振りながら訂正の意志を示してきた。
「あ、す、すみません! 兄さん……火坑さんは私とは兄弟弟子の間柄でして。し、師匠が同じなんです」
「この慌てっぷりだけど、花菜は火坑に次ぐ料理人の端くれなんだよ〜?」
「ま、真穂様!」
「え、じゃあ。花菜さんもお店を?」
「いえ! まだ暖簾分けまでは……。し、師匠の元で働いて、います」
なるほど、それなら合点がいく。
しかし、火坑とともに修行してきた間柄はとても羨ましく思えた。種族以上に密接な関係に。けど、美兎はあの日飲んだくれになっていなければ、火坑にも宝来にも出会わなかった。
だから、その縁を大事にしたい。
「そうなんですか。花菜さんも料理人だったんですね?」
「まだ……その、端くれですが」
「私は火坑さんのお店ばっかり行っているんですが、やっぱり和食メインですか?」
「そ、そそそ、そうですね! アレンジはたまに師匠もするんですけど、基本的には和をお届けするようにしています!」
相変わらずのかみかみ口調だが、少しばかり生き生きとしてきた。やはり、今の仕事が好きなのだろう。美兎も今の会社に勤めて生きがいを見出せたばかりだが、気持ちは同じだ。
「なにやら楽しそうですね?」
店主がトレーを片手にやってきた。火坑や先日少し会った亜条に似た雰囲気の柔らかい笑み。真穂の親戚には見えないような落ち着きぶりだが、トレーに載せていたものを美兎達のテーブル置くと軽く会釈してくれた。
「真穂さんのお知り合いと言うことで、サービスです。小布施の栗を使ったモンブランアイスです」
「季伯、ふとっぱらじゃない?」
「真穂さんが久しぶりにお客様をお連れくださったからですよ?」
「おぶせ……の栗?」
「えと。長野の小布施と言う地域特産の栗ですね? この時期にあると言うことはシロップ漬けとか加工品が多いですが。あの、マスターさんも加工されたのですか?」
急な、花菜の饒舌っぷりにも驚いたが。やはり、料理人であるがために調理法も熟知しているのだろう。店主の季伯は、花菜の質問にもニコニコと笑顔で答えてくれた。
「シロップ漬けは、あとで混ぜ込んだ栗の方ですね? ペーストにしたのは茹でて冷凍にしたものです。私は小布施の栗が好きでして、仕入れてからは自分で楽しむ以外にもこう言うお菓子を作ります」
「なるほど……茹で栗の冷凍」
「さあ、完全に手作りなので溶けやすいです。お早めにお召し上がりください」
「いっただきまーす!」
「いただきます」
「い、いただき、ます」
見た感じ、小ぶりのモンブランケーキにも見えるが。全て店主の手製であるアイスらしい。美兎は溶けやすいからとアイススプーンを手に取り、ゆっくりとすくい上げてから口に入れた。
「! とっても、優しい甘さです!」
「ありがとうございます」
「モンブランって、結構濃いイメージが強いんですけど。これは、口当たりが滑らかで優しい味わいですね!」
「シロップ漬けの方の甘みを、贅沢に和三盆で仕上げているからでしょうか?」
「相変わらずの、凝り性ね?」
「はは。花菜さんや火坑さんのお師匠様程ではないですが」
「店主さんも、火坑さんのことを?」
「ごくたまに、ですが。あそこのスッポンスープとポートワインの虜になった一人でして」
世間が狭いのは、人間だけでなく妖界隈も当てはまるのだろう。季伯はごゆっくりと告げてから、また仕事に戻っていった。
「ねえ、花菜さん」
「は、はい」
「勘違いはもう終わりにしましょう? そのかわり、ひとつお願いがあるんですけど。いや、交換条件というか」
「美兎?」
「??」
「盧翔さんのことは応援しますから、私に火坑さんと過ごしてきた修行時代のお話してくれませんか?」
「! よ、よよよ、喜んで!」
「じゃ、今からはタメ口でもいい?」
「い、いいい、いい……よ」
「あ、美兎。ずっるーい!」
「真穂ちゃんは真穂ちゃんだもん」
「ふふ」
わだかまりが解決したことで、美兎は初めて。花菜の年相応のような愛らしい笑顔を見ることが出来たのだった。
ちなみに、花菜の実年齢は季伯と同じだったのだが。