ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。







 秋も暮れに差し掛かり。

 新人デザイナー見習いであり、社会人一年目の湖沼(こぬま)美兎(みう)は、今日も仕事に明け暮れていた。

 守護についてくれている、妖であり座敷童子の部類でいる少女の真穂(まほ)のお陰で、日々充実した日常を過ごせている。

 けれど、今年の夏から想いを寄せている、猫人の妖である火坑(かきょう)の店である、小料理屋の楽庵(らくあん)にはなかなかいけないでいた。

 真穂からの連絡で、(くだん)のケサランパサラン問題は解決となって、店先もいつもどおりに戻ったと教えてはもらったのだが。

 最後に錦に来た時に、夢喰いの宝来(ほうらい)に奢ってもらったろくろ首が店主のイタリアレストランへ来た以来。

 どうしても、錦に赴くことが出来ないでいた。

 理由は、美兎自身もよく理解はしている。単純に火坑に会いにいくのが、少し怖いのだ。見透かされているかはわからないが、美兎が火坑に惚れ込んでしまっていることは人間にも妖達にもバレてしまっている。

 だから、火坑本人にもバレてしまっているのではないかと。それを聞くのが、人間特有の臆病さが出てしまって美兎は錦を意識的に避けてしまっている。

 ろくろ首の盧翔(ろしょう)が言っていたように、後悔のない生き方をしろと助言をもらっても、すぐに実行出来ないのが決断力の弱い人間だ。

 美兎も漏れなくその部類なので、どうしても弱気になってしまう。真穂からは、じっくり考えろと言われたので今は時々部屋にやって来ては美兎の料理を食べに来るだけと、以前と変わりなく過ごしている。


「……今日も、真穂ちゃん来るかな?」


 栄の地下街に続く順路を歩こうかと思ったが、たまには界隈に近いお菓子屋さんで彼女への手土産を考えようとしたら。

 背後からいきなり、秋にしては冷たい風が吹き上がって来たので、慌てて振り向いた。


「な……なに!?」


 まさか、人間界にまで妖が関与してるんじゃ。と、美兎は常連仲間である美作(みまさか)辰也(たつや)のことを思い出したが、かまいたちは風で人を転ばせる程度。

 こんな冬の寒風を思い出すような芸当ではないはず。

 そして、振り返った先には。艶やかな長い黒髪に、真穂以上に透けそうなくらいの白い肌の女性。服装は、今時の若者らしい感じではあるが、一点だけおかしかった。冬にはまだ早いのに、スヌード、つまりは輪っか状のマフラーを着込んでいるのだ。

 あと、人混みが多かったはずなのに、美兎と彼女以外誰もいなくなっていた。おそらく、そんな芸当が出来るのは目の前の彼女しかいない。


「あ、あの」
「あの!」


 彼女から、やっと声をかけられた。

 そしてその可愛らしさに、思わず胸が高鳴りかけたが。全員が全員、友好な妖ではないと真穂から注意を受けたので。近づくのはやめておいた。


「え……と?」
「あ、あああ、あの! いきなり……すみません! あなたがその」
「は、はい?」
「ろ……盧翔さんと少し前にお知り合いになられた、湖沼さんですか!?」
「は、はい」


 異様にかみかみな口調ではあるが、言いたいことはなんとなくわかって来た。

 どうやら、この綺麗な女性は以前立ち寄った、イタリアレストランっぽいサルーテと言うお店の店主。盧翔に気があるようだ。美兎は他人の気持ちには過敏に読み取れるのだが、自分に関しては鈍感だった。


「あ、あのあの! 盧翔さんのこと、どう思っていますか!?」
「え……ピザの美味しいお店の店長さんとしか?」
「え?」


 そう言いたいのはこちら側だ。早とちりとは言え、他人の恋心を初対面の人間に聞こうとするのはいかがなのものか。

 いや、妖だから、大胆な行動に実行してしまうのか。非常に恥ずかしがり屋な感じではいるが。


「あの。不躾だとは思いますが、私が盧翔さんのことを、恋愛感情で見ていたと勘違いなさったんですか?」
「ち、ちちち、違うんですか?」
「違います。私、好きな方は別にいますし。あのお店には恩人が連れて行ってくださっただけで」
「う、ううううう〜〜〜〜!? またやっちゃったぁああああああ!!」


 女性はペタリと地面に膝をついてしまい、恥ずかしいのが両手で顔を覆うのだった。

 そして、ほぼ同時に冬も真っ青な寒風が彼女を中心に吹き荒れていく。なんだなんだと思っても、美兎には何も出来ないので飛ばされないように耐えていたら。

 ふわっと、暖かい風のようなものに包まれていった。


「……まったく、勘違いも大概にしなさいっていつも言っているでしょ? 花菜(はなな)!」


 聞き覚えのある少女の声。

 美兎の前に立ち、守ってくれるかのように寒風から遮ってくれている。座敷童子の真穂だ。


「真穂、ちゃん!」
「んもぉ、帰って来ないし、錦に久しぶりに来そうだったから迎えに来たらこれだもん。美兎はとことん、巻き込まれ体質だね?」
「真穂ちゃんが言う?」
「ふふーん」


 近づいて来た、今日は子供の姿の彼女にツン、と軽く突いてもどこ吹く風な感じだ。これが彼女だから、美兎は憎めないでいる。


「す、すすす、すみません……! 真穂様が、守護なさっていらっしゃる方とは」


 そして、花菜と呼ばれた女性の妖は、白い着物に白い羽織り。髪には雪化粧の髪飾りをつけた、いわゆる妖の姿になっていたのだった。


「雪、女?」
「そう、雪女の花菜。盧翔に首っ丈の女だよ?」
「今時、首っ丈って使わないよ?」
「そう? じゃあ、らぶらぶ?」
「まあ?」


 とりあえず、泣き崩れているこの雪女をどうすべきか。

 ひとまず、真穂が気に入りでもある喫茶店に行くかと言うことになり、真穂が大きくなって連れていくまでは良かったが。


「ま、ほ……様ぁ!?」
「真穂ちゃん、扱いが雑!」
「だって、美兎にちょっかいかけたんだもん」


 着物の首根っこを掴んで引きずると言う、古典的な行動に美兎は驚いたが。罰は罰、と真穂が言い切るので喫茶店までその状態だったのだ。