プロの料理人の調理を目の前で見るのは。
少なくとも、美兎は火坑以外だと初めてかもしれない。
ろくろ首の盧翔は、真剣にピザ生地、いやピッツァの生地と向き合い、タイミングをじっと伺っているようだ。
生き物ではない生地に、何故タイミングが必要なのかは料理人ではない美兎にはさっぱりだが。盧翔が生地を再び手に取った途端、それは起こった。
「よっ……と!」
せっかくの丸い生地を潰したかと思えば、次にはある程度平らに伸ばして。
それを両手でキャッチボールするように移動させていくだけでも、また生地が伸びて。
ある程度伸びたら、今度は空中に投げて広がっていく生地の薄さを均一にするのに。クルクルと回転させながら両手で調整していく。
俗に言う、ピザ回しだ。それを生でお目にかかることが出来るとは思わないでいた。
「すっご!」
「ね、ね! すごいね!」
「相変わらずの腕前だぜぃ」
「合いの手ありがとごぜぇやす!」
そこから、ピッツァ生地を銀色の大きなヘラの上に載せて、トマトソースにモッツァレラチーズをちぎり、生のバジルを載せて。
煌々と燃え盛っている、ピザ窯の中に放り込み。生地が焼けてきたらヘラでクルクルと生地を回して均一に火が通るように焼いていき。
焼けたらヘラで皿に載せて、すぐに盧翔が仕上げに多分オリーブオイルを薄く回しかけてから、ピザカッターで綺麗に切り分けてくれた。
「お待たせ! サルーテ特製マルゲリータピッツァの完成!」
「美味しそう!」
「モッツアレラチーズたっぷり!」
「良いもの見れて、気分が落ち着いただろぃ?」
「はい!」
たしかに、楽庵に行けないことには悲しさが募ったが。宝来、それに座敷童子の真穂がいてくれたお陰で今日は驚きの連続だったがほとんどが楽しかった。
マルゲリータは盧翔が席に運んでくれて、せっかくだからとりんごたっぷりのサングリアを薦めてくれたので、美兎は初めて飲んでみたのだが。
「さっぱりしていて、飲みやすいです!」
「ふふーん。師匠の国直伝のサングリアだからね?」
「あ、宝来さんに聞きました。イタリアに修行に行かれたって」
「そだよ? 最初は正体隠してたけど、歳取らないし。飲み過ぎた時に、ろくろ首だってバレちゃってね? けど、いい人だったよ。俺の正体知ってでも弟子だって認めてくれたし」
「? 過去形、ですか?」
「ああ。当時も人間の歳じゃ結構だったし、俺が渡航したのも三十年前。もうあの世行きだよ」
「……そうですか」
その話に、美兎は思った。
いくら、真穂や宝来が大丈夫だとは言っても。
もし、火坑と結ばれたとしても。歳を取る人間の自分と、火坑の寿命の差。それはどう足掻いても難しいのではと確信を得たのだが。不意に、真穂から肩をぽんぽんと叩かれた。
「余計なこと考えてるでしょ?」
「……なんでわかるのかな?」
「美兎が分かり易すぎるから」
「うう……」
やはり、遙か長い年月を過ごしている彼女には、すべてお見通しなのだろう。ちょっとしょんぼりとしていると、また真穂に頭を撫でられた。
「火坑と契っちゃえば、美兎も同じくらいの寿命もらえるんだよ?」
「……はい?」
「お、火坑? って、小料理屋の大将? え、なになに? 美兎さん、あの大将が好み?」
「おいおい、盧翔。いっぺんに聞くな」
「だって、旦那? 元地獄の補佐官だった大将にだぜ? 人間でも、わざわざ座敷童子の真穂様自ら守護になる相手だよ? ふーむ、俺はしばらく大将に会ってないが、似合いじゃねぇか?」
「でしょ?」
美兎が盛大に慌てているのに、周りはどこ吹く風。
と言うよりも、もはや美兎と火坑が付き合っている前提で話が進んでいる気がする。
なので、誤魔化しついでにマルゲリータを口にしたが。ビスマルクよりも、モッツアレラのおかげでチーズがよく伸びて。生地もカリカリともちもちが健在する素晴らしい出来だった。
ただし。
「わ、私なんかが、火坑さん……と、釣り合うとは、思え……ないです」
「なんでだよ? 美兎さん可愛いじゃん?」
「う。お世辞でも嬉しいですが」
「世辞でもねーんだけどなあ?」
盧翔は首を軽く掻いてから、美兎の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「自分に正直になった方がいいぜ? 人間はどうしたって、俺達妖より寿命も短いし体も脆い。だから、後悔しないように生きた方がいいよ?」
「後悔……ですか?」
「おう。俺も師匠が女だったが、惚れかけても既に既婚者だったしね? 代わりに子供達を自分の子供のように育てたんだよ。今じゃ、見た目だけは逆だけど」
ちょっとついて来いと言われたので、ピザ窯の近くにある壁に連れて行かれると。色んな額縁に納められた写真で埋め尽くされていた。
家族写真のように見えたが、全部に今と変わらない盧翔が写っていて。比較的新しいのには、まるで親子のように並んでいるのがあったが。それが彼の師匠だった子供達の今の姿だろう。
「……最近も行かれたんですか?」
「おう。つい先月だがな? 俺の見た目が自分らの子供くらいでも、俺の方が兄貴分だからって今でも懐かれているしよ?」
そして、その彼らにも子供が産まれて、盧翔にも抱かさせてくれたそうだ。人間に似た人間でない妖でも関係はない、家族だからと言われたからだと。
「美兎さんも後悔しない生き方をした方がいい。ましてや、それが妖と結ばれるかもしれないことは、出来るだけ早めに決めた方がいい。君らは俺達に比べて成長が早いからな?」
「……はい」
この写真のように、盧翔のような幸せを望んでいるのは美兎も同じだ。だけど、不安だけで生き方を決めてはいけない。
きちんと、火坑と向き合うには。早くあのケサランパサランを楽庵から解放しなければいけないのだが。
知識のない美兎には、どうしようもなかった。
「けーど。あれだけ、ケサランパサランが楽庵に貼り付いてちゃ、いつまで経っても楽庵は営業再開出来なさそうだし?」
「ケサランパサランが、ですかい?」
「うん。最近界隈でも増えまくっているけど、楽庵には埃の溜まり場くらい増えててさー?」
「へー? それで、わざわざ俺の店に?」
「俺っちが、たまにはって誘ったんだよぃ」
「なるほど。……あ、もしかして」
「なに?」
ぽんっと、盧翔が手を叩くと閃いたように指を立てた。
「俗説ですが、ケサランパサランは幸運の象徴ですけど。逆に『幸福の証』の気を食べに来るって、イタリアにいた時聞いたことが」
「幸福?」
「の証?」
「楽庵に、ですか?」
どう言うことがさっぱりだが、今度は真穂が手をぽんと叩くと美兎の髪をわしゃわしゃし出した。
「美兎の、火坑を好きな気持ちが。霊力で店に溜まってるかも!」
「……え?」
つまりは、美兎のせいだと言うのか。
これには、さーっと背筋が凍る気がしたのだった。