幽世(あの世)幽世(あの世)との境目。

 猫人である、火坑(かきょう)は手土産にした重箱の弁当を落とさないようにしながら、地獄に通じる階段を降りていく。


「ここを降りるのも、久しぶりですねえ?」


 前はいつだったか。

 少なくとも、元上司である閻魔大王から弁当を作って欲しいと、依頼があったくらいか。それも随分と前だ。

 火坑がまだ、楽庵(らくあん)を開業させた前後で、客入りもまばらだった頃。

 それを思うと、()の閻魔大王に馳走を持っていくのは、本当に久しぶりだ。今年はまだ一度も楽庵に来てくれていないし、先輩だった亜条(あじょう)を寄越す辺り、暇な時間が取れないのだろう。


「……今年は年がら年中、厄介な風邪が流行っていますしね?」


 たしか、インフルエンザの種類が多数。火坑は自宅で人間界のチャンネルを登録してテレビを見ているので、時事関係は多少精通している。

 そのため、人間の死亡率が激増してしまったために、あの世の裁判云々が色々押してしまっているのだろう。

 自分のケサランパサラン問題はさっさと解決させて、またいつもの日常に戻りたい。しかし、閻魔大王に救援を求めたところで、また亜条を貸し出してくれるとは思えないが。


「ここを通るのか?」
「死者でも生者でもない、お主は誰ぞ?」


 夢中で降りていたら、もう彼ら(・・)と遭遇する場所まで来てしまったのか。

 だが、疾しさなどこれっぽっちもないので、火坑は軽く両手を上げて降参の意思を示した。


「ご無沙汰しております、牛頭(ごず)さん。馬頭(めず)さん」
「ん? お主は」
「やや! 久しいな? 閻魔大王の元第四補佐官!」
「はい。火坑です」
「うむ。久しいな?」


 巨大な牛の身体と、馬の体。どちらも、今の火坑よりはるかなほど巨大ではあるが。今の人間に近い大きさである火坑にとって、常人とアスリートの差くらいでしかない。

 妖になる以前は、本当に小さな猫畜生でしかなかったのだから。


「少々。現世で厄介な事態に巻き込まれてしまったので。閻魔大王様のお力をお借りしたく、こうして参りました」
「なるほど。それならば致し方あるまい」
「よく来たぞ。通るが良い」


 現世とあの世を繋ぐ、門番達。

 彼らがいないと、死者や生者が入り乱れてしまうのだ。妖達も気まぐれで訪れたりはするが、まず彼らの存在に圧倒されるに違いない。

 とりあえず、彼らに遭遇するのも忘れてはいなかったので、火坑は門を通る前に重箱などを入れたリュックサックから小さな箱を取り出した。


「これ、つまらないものですが」
「! お主の手製か!」
「これはありがたい!」
「簡単につまめるおにぎりですけど」


 中身は俵むすびを数種類。紅鮭だったり、若菜だったり、変わり種でオムライス。

 どれも、二人にはひと口で食べ切れてしまうが、手土産にはちょうどいいだろう。その箱を渡してから、火坑は門を通ることにした。


「相変わらず、優しい人達です」


 火坑が猫畜生だった補佐官の時と変わらず。とにかく、時間が限られているのであの世に通じる道を急ぎ、第五裁判所になる八大地獄の入り口を通って。

 現世の暑さとはまた違った、灼熱地獄にやってきたので温風なそよ風を受けながら火坑は裏口から裁判所の中に入った。


「ん?」
「お」
「あ!」


 小鬼、鬼、元死者でいる人間の姿がちらほらと。

 見つかると、火坑は深々と彼らに向かって腰を折った。


「皆さん、お疲れ様です。ご無沙汰しております、火坑です」
「やっぱり、火坑さん!」
「どうしたんすか!?」
「閻魔大王様にですか?」
「裁判さっき終わったばかりなんで知らせてきます!」
「ありがとうございます」


 姿は、少し人間に近い火坑でも。元同僚達は覚えてくれていたのだろう。

 小鬼が閻魔大王に知らせてくれる、と言ってくれたが。大王がこちらに来るのはあまりよろしくないので、囲まれながらも大王のいる裁判の間に向かうことにした。


「珍しいですね?」
「今日はどうしたんですか?」
「いえ。僕の店先にケサランパサランが大量にはびこってしまって。申し訳ないのですが、大王のお力をお借りしたく」
「あ。それで背中の大荷物!」
「大王、火坑さんの料理大好きですしね!」
「恐縮です」


 今日のお弁当も気に入ってくれるといいが。

 すると、正面からドタバタするような大きな地響きが聞こえてきて。全員でそちらを見ると大柄な青年が豊かな黒髭を大袈裟なくらいに揺らしながら、走ってきた。


「火坑!」
「大王!」


 そして、目的が火坑と分かれば、鬼達はサッと火坑から離れて大王に道を開けた。途端、閻魔大王は火坑にぎゅっと抱きつき頬ずりする始末。


「息災だったか!」
「だ、大王、皆の前ですよ?」
「何を今更! 姿形は妖とは言え、お前は儂の気に入りの猫に変わりない!」
「あの……お弁当、作ってきたんですが」
「火坑の弁当!?」


 また、サッと離れると背中に背負っているリュックサックの中身を見たいと言うように、まるで子供のような笑顔になった。

 そんな地獄一偉い存在なのだが、正面からやってきた第一補佐官の亜条には大袈裟なくらいにため息を吐かれた。


「大王、火坑が来たからってはしゃぎ過ぎですよ?」
「しかしだな! 火坑の弁当だぞ!」
「それは魅力的ですが。とりあえず、遊びに来たわけではないようですし。彼の話を聞きましょう」
「む? 火坑、先日気に入った女子(おなご)と結ばれたのか?」
「亜条さん!?」
「どうやら違うようですよ。さあさあ、皆さんも仕事に戻ってください」


 ぱんぱんと、亜条が軽く手を叩いたので鬼達は元の仕事に戻ってしまい。火坑達は、閻魔大王の休息の間と言う休憩室で弁当を広げながら話すことになった。

 大王は腹ペコだったのか、オムライスのおにぎりを渡すとより一層目を輝かせたのだった。