座敷童子の真穂は、契約している人間である湖沼美兎については、苦笑いしか浮かんでこない。
縁を繋いでもらった、小料理屋楽庵の店主である、猫人の火坑を少なからず想っているのは悪いことではないのに。
今の人間も、どこか遠慮とか謙遜をしているのか。自信が持てないようだ。だが、第一補佐官の亜条が店先のケサランパサランを対処してもらった時に、真っ先に心配しているその感情は。
間違いなく、本物。種族関係なく、相手を想う気持ちそのものだ。
また今日も美兎の自宅に帰った時に、是非とも伝えなくては。真穂は、大学生くらいの変幻を解かずにそのままくすくすと笑いを堪えるのだった。
「……あなたもですが、あれも……良い縁を結んだものですね?」
真穂と同じく、蚊帳の外にさせられていた亜条も笑いを堪えていた。
「面白いでしょ? けど、元補佐官と人間……って大丈夫?」
「問題はありませんよ? 実は、大王にもこの情報が伝わっていまして……先に確認してこいとおっしゃいましてね? 半分はそれを確かめにきたんです」
「さっすがは、閻魔大王?」
「そうですね。それに、気に入っていた猫に寄り添う相手が出来たのならば、誰とて気になりませんか?」
「そうね?」
この口ぶりだと、火坑が亜条に報せた時とかに、既に元同僚の恋路も見抜いていたのかもしれない。火坑自身も、少なからず美兎に気をかけていることに。
だが、どちらも天然気質ゆえに、しばらくは気づかないだろうが。今も、美兎はいかにも恋する乙女の表情でいるのに対して、火坑は普通の表情でいる。
「ねーぇ、そろそろ中入ろうよ? 真穂、ちょっと小腹空いた」
「あ、ごめん……」
「私もお邪魔しますね?」
「ご案内致します」
美兎の、少し残念そうな顔にさせたのには真穂もいくらか心が痛んだが、ここで突っ立っているわけにもいかない。
とりあえず、店の中に入ると、中にはケサランパサランはいなかった。と言うよりも、亜条の術であらかた他所に移ったのだろう。その移り先がどこになったのかは、真穂もよくはわからないが。
「美兎はこっち」
「え?」
「亜条はここ」
「おや?」
「で、真穂は間!」
勝手に席順を決めたのだが、いくらか気に入りかけている美兎に亜条の手が伸びないとは限らない。
火坑の想い人かも、と言う理由を差し引いても、真穂は美兎の嫌がる事柄は全力で避けるし、守りたいのだ。
その意味がわかっていない、美兎本人や火坑には首を傾げられたが、亜条はわかっているのか相変わらずくすくす笑っているだけ。
「ふふ。ところで、火坑。何故あのように袈裟羅達がこの店に?」
「あの、実は……」
と、火坑は気恥ずかしそうに肉球のない猫の手で頭を軽くかいた。
「なーに? 真穂達もさっきまでいた鏡湖で見つけたけど、あんなにもいなかったよ?」
「いえ、その……僕は柳橋に仕入れに行った帰りに見つけて。ここに戻ってきてからは、桐箱に入れていただけなんですが。白粉も与えていないのに、いつのまにかあんなにも」
「んー?」
「奇妙だね? 巷……人間達の方ではほとんど見かけないのが、近頃妖界隈では袈裟羅達の繁殖期かと疑うくらい増えていると聞いてきたのだけれど……」
それの調査はこちらで引き受けましょう、と亜条が言ってくれたので、せっかくだからと火坑の料理を食べることになった。
「そう言えば、湖沼さんは今日お仕事だったのでは? 真穂さんが妖デパートに行ったと」
「あ、あの。振替休日が今日だったのを忘れてて……」
「ああ、それで。いつも以上にお綺麗でいらっしゃったので、驚きましたよ」
「あ、あの! び、美容部員さんに……色々してもらって」
「なるほどなるほど」
真穂は思わずにいられなかった。焦った過ぎるぞ、この二人、と。
亜条もきっと思っているだろうが、先に出された先付けと冷酒で一杯やりながらにこにこしているだけだった。さすがは、火坑の元同僚と言うか雰囲気が相変わらず似過ぎている。しかし、勘が鋭いのはこちらだが。
「ねーえ? 今日は何が食べられるのー?」
「そうですね。子持ちの鮎が手に入りましたので、そちらはどうでしょう?」
「落ち鮎だね?」
「おちあゆ、ですか?」
「鮎の旬は夏ですし、産卵期を迎えた雌の鮎をそう言うんですよ」
「へー?」
そして、ちょっとずつ火坑の活躍の場を邪魔するのは、火坑に自覚させたいがためか。昨日の大神の時に美兎に見せた慈愛の表情はどこにもなく、元同僚というか先輩に対して気に入っているおもちゃを取られた時のような苛立ちの表情。
美兎には判別出来ていないと思うが、そこそこ付き合いの長い真穂には見ただけでわかった。これだと、先に美兎と真穂が帰ったあとに一悶着起きるかもしれない。
真穂は、美兎と同じく火坑特製の梅酒をちびりと飲みながらそう思った。
「では、皆さん。子持ちの鮎を塩焼きにしますが」
「はい!」
「お願いするね?」
「真穂も!」
とりあえず、苛立ちは表面上引っ込めているので、なんとかなるかなとは思うが。右隣の美兎から、服の袖をくんっと軽く引っ張られた。
「美兎?」
「真穂ちゃん、火坑さんだけど。なんだか怒っていない?」
「そう?」
「う、うん。気のせいかなあ? 雰囲気がちょっと」
「大丈夫だよ。多分、こっちの亜条のせい」
「へ?」
「おやおや、わたくしですか?」
心外ですね、とうそぶく彼に軽く小突きながらも、三人で鮎の塩焼きが出来るのを待った。
「ふわぁ〜、焼き魚のいい匂いー」
狭い店内なので、匂いがすぐの充満してきたからか鮎の焼けるいい匂いが届いてきた。ちなみに、鮎は網で直火で焼くのではなく、小さな囲炉裏みたいなスペースで炭火で焼いているのだった。
鉄製の串に踊るようにさせて刺した鮎は、ついさっきまで生きていたかのよう。塩の化粧は全体に白粉のように施されていた。
「お待たせ致しました。子持ち鮎の塩焼きです」
「わぁー!」
「美味しそう!」
「いただくよ」
鮎の焼き加減は、皮はパリパリ。塩気は抜群で、白身にも程よく移っていて。たっぷり腹に入っていた卵の部分も噛むたびにプチプチと弾けて心地良い。
そんな珍味の他に、いつものスッポンコースを美兎と堪能してから。亜条はまだ残ると言い、真穂は美兎と楽庵を出ることにした。
「普通のお勘定、今日が初めてですね?」
「お気遣いありがとうございます」
「いえいえ! こんなにもお安くていいんですか?」
「大丈夫です」
気遣いが出来る女はいい女とも言うが。
美兎は少し謙遜しがちだ。今火坑に支払いをしている時もそう。どこか、自信が無さげでいる。やはり、帰ったら、美兎が火坑を想う気持ちは本物だと。自信を持つべきだと伝えよう。たとえ、美兎と出会って数ヶ月の守護妖なだけの真穂の言葉でも。
大切な人だからこそ、幸せになってもらいたい。
そんなことを考えながら、二人で錦の通りを歩いていると、向かいから見覚えのある男が歩いてきた。
「あれ? 湖沼さん?」
「あ、美作さん」
「今日は楽庵行けたの?」
「あ、はい。大丈夫でした」
まさか、大神が関連してたことは流石に言えないので、代わりに真穂が答えることにした。
「ちょっと貸し切りしてた神様が昨日帰ったらしいの。だから、真穂達も今日行けたんだー」
「そっか? あれ、湖沼さんいつもよりおめかししてるね?」
「妖デパートでフルオーダーした結果なんだー」
「へー? 可愛いじゃん? 火坑さんには何が言われた?」
「え?」
「ん? だって、湖沼さん火坑さんが好きなんでしょ?」
「み、みみみ、美作さん!?」
「あれ? 今自覚した?」
「辰也、デリカシーなさ過ぎー」
「え、ごめん?」
てっきり、美兎のことを想っているかもと思っていた相手のひとりだったが。美兎のことを理解していたのなら、真穂の杞憂で済んで良かった。
とりあえず、バラされた状態の美兎が岩のように固まってしまったので。真穂は仕方なく、美作の前で術を使って美兎の自宅に移動したのだった。