風の噂で聞いた。

 あの飼い猫だった妖が、恋仲を連れて京の都に来るのだと。

 妖もだが、神々での噂は広まるのが早い。

 北野天満宮で、主神である菅原(すがわらの)道真(みちざね)はその噂に耳を傾けていた。


「京に来るのか、火坑(かきょう)?」


 道真に知らせて来ないと言うことは、本当に気まぐれで訪れるだけかもしれない。

 あの可愛らしい美兎(みう)と言う女性を連れて京に来る。春の小旅行かもしれない。いい時期だと思う。

 太宰府(だざいふ)に左遷され、朽ちて、また怨霊として京に戻って来てから天満宮に祀られ。

 今では学問の神だのなんだの言われてきたが、元飼い主であった道真にもまた会いにきてくれるかもしれない。

 しょっちゅうではないが、また名古屋に行くのもいいかもしれない。

 少し驚かせに行くか、と。眷属に留守を任せてひとっ飛びで名古屋に到着した。

 界隈に滑り込めば、相変わらず賑わっていた。京の都も魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)しているが、ここはまた違う賑わいだった。

 騒がしいが、苦に感じない。それが土地の気質とも言うかもしれないが。

 とにかく、楽庵(らくあん)に向かえば。気配を感じた。あの美兎と座敷童子の真穂(まほ)

 真穂には少々煙たがられているが、まあ仕方ない。装いを以前のように今風の人間に寄せて変化して。

 引き戸を開ければ、やはり彼女達がカウンターに座っていた。


「受け狙いで、ラムネ味とかの八つ橋はありなんじゃない?」
「あ、いいかも。食べたことないけど」
「試食で食べれば?」
「あるかなあ?」
「ふふ。邪魔するよ?」


 声を掛ければ、やっと気づいた二人は道真を見て目を丸くするのだった。


「道真様!?」
「ちょ、なんでいるわけ!?」
「いらっしゃいませ、道真様」
「三者三様だね?」


 相変わらず、ここは面白い。

 それぞれの反応を見た後、暖簾をくぐった道真は真穂とは逆隣である美兎の隣に腰掛けた。


「お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」


 美兎が挨拶してくれると、道真は緩く目を細めて彼女の髪を軽く撫でてやった。


「なに。君と火坑が私のいる京に来ると噂を聞いてね? それが本当だったら、私也にもてなそうかと思って」
「え? 道真様が?」
「……休業のお知らせをしただけですのに。師匠のところから広まったかもしれないですね?」
「北野天満宮においで? 君達の(えにし)をさらに強固なものにしてあげよう」
「わあ!」
「それは、お邪魔しなくてはいけないですね?」
「ま、いいんじゃない?」


 真穂は相変わらず、毛嫌いほどではないが道真には好意的な態度ではないようだ。

 たしかに、人間から神に昇格した存在は。古参の妖にはお気に召さないだろう。すべての妖に毛嫌いされているわけではないが。

 それからは、大いに飲み食いをして。またひとっ飛びで京の都に帰ってきて。社に入る前に、もう今は枝でしかない梅の枝を見ると。

 はるか昔に詠んだ、和歌を思い出したのだった。


東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな……」


 あの頃は、火坑をこの地に置いて行って、哀しい思いをさせたとは思うが。

 今は、あれだけ笑顔でいるのなら、道真は導くまで。

 あの世の獄卒だった時期もあったから、閻魔大王にも可愛がられただろうが。

 今を、充実しているのだから。その笑顔を壊したくはない。少し温かくなり、桜も蕾を綻ばせてきた。

 美兎と来る頃には、京中の桜も満開になっているだろう。

 そう思いながら、道真は装いを元に戻してから社に入った。