今のっぺらぼうの芙美(ふみ)は、天にも昇ってしまうくらい幸せだった。

 些細なきっかけで、手を差し伸べてくれた人間の男。

 顔と声が好みだった。最初はそれだけ。

 けれど、次第に気になって気になって。

 楽庵(らくあん)に来たことで『友達』にはなれたのだが、それだけでは芙美には物足りなかった。

 欲が出てしまったのだ。

 人間界や界隈でチョコ巡りをするのが趣味な芙美に、美作(みまさか)辰也(たつや)も甘いものが好きだとわかると。遊びに行くついでのようにデートに誘ってしまっていた。

 迷惑がられていないし、誘っても断れなかったから。

 だからあの時も、カップル限定のショコラアソートを買いに行きたいと言うのにも、ついつい誘ってしまったのだ。

 けれど、当日。

 辰也は、店員からの対応に終始苦笑いしていた。それがまさか、照れているとは知らず。

 芙美が勝手に迷惑をかけたと思い、勝手に気まずくしてしまい。

 約半月、会わなかったし、避けてもいた。

 それが、辰也も思っていたとは知らず。

 今日、久しぶりに出会った湖沼(こぬま)美兎(みう)に勇気を持とうと言われ。

 その結果、お互いの気持ちのすれ違いとわかり。無事に恋仲になれた。

 凄く、凄く嬉しくて。

 火坑(かきょう)が祝いだと、色んな料理を振る舞ってくれている最中。

 芙美のわがままで、片手は辰也と手を握っていた。


「ふふ、ふふふ」
「芙美さん、ご機嫌ですね?」
「辰也さんと一緒ですから〜」


 ついつい、お酒もすすんでしまうくらいだった。


「良かった。あ、火坑さん。心の欠片で、この前みたいなチョコって出せます?」
「ええ。では、ホットチョコでも淹れましょうか?」
「お願いします」
「わーい!」


 チョコ好きの芙美にとって、ここのホットチョコは至高の逸品。

 辰也の希望通りに出てきた心の欠片で、火坑はすぐにホットチョコを淹れてくれた。

 ほわほわのホイップクリームもたっぷり。

 界隈にもあるコーヒーチェーン店顔負けのホットチョコは、冬のお楽しみだった。別に、ホットチョコは年中飲めるが、冬のチョコは格別なのである。


「あっま! けど、うっま! へー? 女の子が好きそうなイメージだったけど、イケる」
「大将さんのこれは特別ですから〜」


 まだ情報屋として半人前だった頃。

 火坑も店を出して、少し経った頃。

 たまたまお腹が空いた芙美がここに来て、火坑に頼んで、自分の心の欠片を渡したそれで作ってくれたのが。

 今飲んでいたホットチョコよりももっと簡単なタイプだったが、すっごく美味しかったのだ。だから、年が明けてしばらく経ってから、芙美はここに来るようになった。

 火坑も、来店のたびにチョコをストックしてくれるようになり。以来、それが決まった時期の習慣になったのだ。

 だが、その習慣も終わりになるかもしれない。

 辰也が一緒なら、もうしょっちゅう来るつもりだから。

 ひと口飲むと、冷えた指先がじんわりと痺れるような感覚を得て。甘々トロトロの溶けたチョコが身体全体を温めてくれるようで。

 相変わらず、美味しい。

 特に今日は、辰也の心の欠片で作ったものだから。


「あ、火坑さん? バレンタインの時のマシュマロ? の、トーストも」
「かしこまりました」
「辰也さん?」
「俺からのホワイトデーってことで」


 ああ、人間と言うものは。

 妖よりも、はるかに短い生なのに。その短い時間で奇跡をたくさん生み出していく。

 ついつい、感情が溢れて。

 芙美は、辰也の頬に口づけを贈った。逆隣にいた美兎には『きゃー!』と声を上げさせてしまったが。