まだまだ夜には早い時間帯。
狐狸の宗睦ことチカは、務めている店『wish』でカクテルの試作と開店までの掃除をしていた。
掃除はもっと下っ端に任せてもいいが、カクテルの試作がある日は大抵請け負っている。ひとりで集中したかったし、急に物音を立てられるとわずかな味のズレが出てしまう。
「う〜〜ん。う〜ん……難しいわねぇ?」
カクテルは、レシピ次第で何百を超えて何千通り以上もあるとされている。
同じレシピでも、わずかな材料の差で微妙に味が変わるように。チカは今、間近に迫った『ホワイトデー』に向けて、店のマスターから課題を言い渡されて試作しているのだ。
無鉄砲者だったチカを拾ってくれた恩人でもある。チカが今の姿になったきっかけでもあるが、恋人はあのダイダラボッチの更紗。
バレンタインには、営業終了してから長野の諏訪に向かって、妖術で飛んで行き。美兎達と作った薔薇のチョコクッキーを受け取ってくれたのだ。
会いたいが、妖とも一線を画している存在とはそうしょっちゅうは会いに行けない。妖でも、下っ端の下っ端でしかない狐のチカとダイダラボッチがと、付き合い始めた当時は色々冷やかし以上のことにもなったが。
更紗本人が激怒して、全国的に天変地異を起こしかけたのだ。あれはもう二度としてはいけない。
だから、今のチカは狐狸でも特別な位置にいるのだ。あんまり、特別扱いされたくないとは思っているが。
「ん〜〜? さっちゃんにも会いたいけどぉ〜〜。会いたくて会いたくて……あらやだ、それじゃあバレンタインじゃなぁい?」
「僕も会いたかった〜〜」
「あたしもよん!…………って!?」
振り返れば、いつカウンターに座っていたのか。会いたくて会いたくて仕方がなかった恋人の姿が。
本性のダイダラボッチとしての巨体ではなく、人間のように縮小して今のチカよりも小柄な成人男性の姿に。
青と金の不思議な色合いの髪は、いつもなら流すだけが今日は後ろで結われていて。
ほにゃほにゃ笑顔のまま、カウンターに腰掛けていたのだった。
「来ちゃった〜?」
「!……んもぅ、もう、もう! 来るなら連絡寄越してよん!! びっくりするじゃなぁい!!」
マドラーなどの道具を少しずらしてから、カウンター越しに抱きつきに行く。
いきなりでも、更紗はびくともせずに受け止めてくれて。チカの頭をよしよしと撫でてくれた。
「あはは〜? 気まぐれでこっちに来ただけだし〜。けど、時間出来たから来たんだー?」
これを渡しに、と。更紗はどこかの菓子屋にでも行って来たのか、可愛らしい紙袋をチカに差し出してきた。
「なぁに〜?」
「今日じゃないけど。ホワイトデーのプレゼント」
「え!? さっちゃん、いいって言ったのに!」
「んふ〜。実は僕の手作り」
「さっちゃんが!?」
米は炊けるが、好物の卵かけご飯以外。自炊することのなかった彼が、手作り。
恐る恐る受け取って中身を見れば、初心者とは思えない出来栄えの。綺麗なアーモンドスライスなどを使った焼き菓子だった。
「実は〜、界隈で猫人の火坑達に会ってね? 彼らに教わったんだ〜」
「きょーちゃん?」
「あと、赤鬼とろくろ首にも」
「なーる?」
盧翔と隆輝にも。全員彼女持ちなので、ホワイトデーのプレゼントを手作りする理由はわかった。で、偶然出会った更紗が混ざっていいか頼んだのだろう。
容易に想像が出来た。
「ね〜。食べて食べて〜? フロランタンだって」
「あ〜? これがフロランタン? 聞いたことはあるけど、初めてね〜?」
じゃあ、とコーヒーでも淹れようかと思ったが。
今このシチュエーションで浮かんだレシピが頭を巡り。
チカは道具を引き戻して、ささっと二人分のカクテルを作ったのだった。
「〜? お酒で食べるの〜?」
「今思いついたのん。飲んでみて? テーマはもち、ホワイトデーよん?」
白と赤のグラデーションが美しいカクテル。
更紗はすぐに口に入れてくれて、ぱあッと顔が輝いた。
「甘いけど〜。ちょっとさっぱり? 飲みやすい〜」
「ココナッツミルク入れてみたのん。けど、度数強いからさっちゃん向きねん?」
チカもひと口飲めば、予想通りの味になっていた。メインのココナッツミルクが主張してくるが、グレナデンシロップのお陰か少し甘い。
ベースはスピリッツで度数が高いから、マスターには味見してもらってから商品化するか決めよう。
そして、更紗手作りのフロランタン。
クッキー生地のような部分はサクサク、上のアーモンドスライスと飴の部分はパリパリで甘いが少し香ばしく。
コーヒーや紅茶でもいいが。今のカクテルにも合う。
我ながら、いい仕事をしたと実感出来た。
「ど〜う?」
更紗の方がはるか年上なのに、子供のような仕草をするのはずるいと思う。
「とっても美味しいわ〜! あたしのためにありがと〜〜!!」
「ふふ。いつも寂しい思いさせてごめんね〜?」
「今日来てくれたからいいわよん!」
それからは、店が開店する間近までイチャイチャしてしまい。
マスターに雷を落とされる時も、更紗まで一緒に叱られてしまったのだ。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
世間はホワイトデー。
デザイナー見習いの湖沼美兎としては、つい先日にそのイベントは終了してしまったが。
同期で、妖と付き合いたての田城真衣は、火車の風吹と終業後にホワイトデーのデートをするとはしゃいでいるし。
先輩の沓木も赤鬼の隆輝に呼ばれているからと、終業後に直帰だとか。
美兎は美兎で、これと言って用事を入れてはいなかったが。せっかく定時に上がれたのだし、差し入れのお菓子を買ってから楽庵に向かおうと決めた。
守護で座敷童子の真穂は、兄の海峰斗とホワイトデーのデートをするべく、界隈の自宅を大掃除しているらしい。
恋する女の子は健気だなと思わずにいられない。もれなく、美兎もだが。
店に行くのも久しぶりなので、『rouge』の抹茶フィナンシェでも買おうかと決めたら。少し見覚えのある背格好の女性が前を歩いていたのだ。
「ん〜?」
知り合いはまあまあいるが、栄で出会う知り合いは限られていると思う。
誰だろうと、首をひねっていると。その女性が振り返ったのだ。
「あ」
「あ」
顔はあるが、界隈じゃないせいか何もない顔とだぶって見えた。服装は、ファンシー。手には大量のお菓子の袋達。
まだ一度しか出会っていなかったが。
のっぺらぼうの、芙美だったのだ。
「芙美さん!」
「あ、えーと。ごめん、覚えてはいるんだけど〜?」
「美兎です。湖沼美兎。美作さんと飲み友達の」
「あ、そうそう! 美兎ちゃん! 思い出したー!」
思い出せたのか、芙美は美兎の手を握ってぶんぶんと上下に振ったのだった。
「お久しぶりですね?」
「バレンタインぶりだね! お仕事終わったのー?」
「あ、はい。手土産買ってから、楽庵に行こうかと」
「あ、そうなんだ〜? ん〜、まだすぐじゃなくていいー?」
「え、はい?」
「ちょっとだけ、聞いて欲しいの〜」
rougeで先に手土産を買ってから、場所を界隈の喫茶店『かごめ』に移って。
ちょうど人混みも少なかったので、二人は贅沢にソファ席に腰掛けた。
「お話、と言うのは?」
芙美はホットモカ、美兎はブレンドコーヒーを頼んでから話を切り出した。
「えっとね〜……私が、美作さんを……ってことは教えたよねー?」
「はい。あの日に教えていただきました」
「LIMEも交換したんだけど〜」
「はい」
「友達って、どこまでが友達なんだろ〜〜!!」
「え?」
いきなり、テーブルに突っ伏す芙美にも驚いたが。
話の内容にも、少し驚いた。どう言うことかと。
「……私、情報屋だから。あんまり友達いなくてね〜? だから……仕事仲間とかはともかく、友達とか少ないのぉ。美作さんとはLIMEで色々やり取りはするようになったよ〜?」
「えっと……友達の距離感がわからない、でいいんですか?」
「〜〜そうなのぉ〜〜」
顔を真っ赤にした後、両手で顔を隠すのは恋する女性らしく可愛らしい。
だが、あれから一ヵ月経つが、進展はともかく。美作と接触する回数が少ないのだろうか。
「芙美さん。失礼ですけど……美作さんとどこかで会ったりは?」
「? してるよ? ほら、私がチョコ好きでしょ? 美作さんも好きだから、そう言う関係のお店に行ったりとかはしてるんだ〜」
「? お友達、としてですよね?」
「……そのつもりではいたんだけど」
「けど?」
「ついこの前……」
カップル限定商品を買いに行くときに、無理矢理頼んでしまった時。
美作は終始苦笑いしてたらしく、やっぱり嫌だったのではと芙美は思ったそうで。以来、LIMEにもスタンプでの返事しか出来ないでいるようだ。
その回答には、美兎もどう答えていいのかわからなかった。
偶然とは言え、美兎は相愛だと言うのを芙美には伝えられない。知ってしまったが、ある意味無関係者が伝えたところで。付き合うとは限らないからだ。
自分のことも、田城のこともあったからだ。
「ふふ。悩める女性は美しいですが、膨れ顔は可愛らしいですね?」
とここで、マスターの季伯が注文した品を持ってきてくれた。
「む〜そーお?」
「ええ。特に恋する女性は」
「話聞こえてた〜?」
「すみません、つい」
しかし、真穂の縁戚だからか、口は固い彼だ。
言いふらすことはしないからか、芙美も両手を外して。出来上がったホットモカをちびりちびりと飲み始めた。
「迷惑……だったかなあ〜?」
おそらく、だが。美作はカップルと勘違いされて気恥ずかしかっただけだと思うのを。
美兎の口からは言えなかった。
気まずくなってしまった。
それは、絶対自分のせいだと辰也はわかっている。
想いを寄せている、のっぺらぼうの芙美に頼まれて人間界の買い出しに一緒に行ったところが。
カップル限定ショコラアソート。
そこは悪くない。芙美が辰也を頼ってくれるのなら、嬉しかったから。
ただ、辰也と芙美は種族は違えど『友達』。
そう、友達でしかない。付き合ってもいないし、辰也が一方的に思っているだけ。だから、店の中でそう言う対応をされると苦笑いしか出来なかった。自分はともかく、芙美には嫌な思いをさせたのではないかと。
その予感が的中したのか、その日以降のLIMEの返信がスタンプしか来ないという始末。
何故、迷惑じゃなかったと言わなかったんだ、と激しく後悔していた。
「……で、界隈にも行きづらくなったと?」
悩みに悩んで、結局。
同期で妖でもある不動侑こと風吹を引っ張って、昼飯を奢るついでに相談に乗ってもらったわけである。
「おう……芙美さんから返事はもらえても、相変わらずスタンプだけだし」
「……返事もらえるだけまだいいんじゃないか?」
「そうだけどよ!? この幸せ者め!! 俺の恋が玉砕しかけてんだぞ!?」
「いや、玉砕とかなら……完全に無視とかじゃないのか?」
「〜〜……そうだけど」
しかし、LIME上だと辰也が一方的に会話をしているだけで、成り立っているようでなっていない。それらしい反応は貰えてもそれだけ。
悲しいかな。社会人になってからまともに恋愛してなかった辰也は。
ずっと、腕の切り傷があったせいで。恋愛にはある意味風吹よりも消極的だったのだ。絶対、女性には嫌われるだろうと。
そのレッテルがなくなって、ようやく普通の男としてなんの迷いもなく、普通に生活出来るのだ。今が最高と言っていい。
現在の恋愛に関しては、どん底に近いが。
「……けど。誤解を解くなら早い方がいいだろう?」
風吹は運ばれてきたデラックス天丼の半分まで、いつのまにか平らげていた。
「そ……うだけど。はじめん時みたいに、楽庵で会えるかわかんないし」
「楽庵以外に、彼女の行くところを知ってるか?」
「……界隈だとわからん」
「だろ? なら、しつこくても行けよ」
「お前……田城さんと付き合うようになってから、変わったな?」
「……多少、自信が持てるようになっただけだ」
それにしては、メカクレと言われてた前髪を切った、いや変身し直したというべきか。
ブルーアイをしっかり見えるようにさせて、女性からの誘いにも丁寧に断るようになったのだ。
もちろん、断り文句に『彼女がいるから』ときちんと言うから、社内のファン達が阿鼻叫喚絵図になってしまったが。
「……自信、か」
嫌われてはいないと思う。
だけど、それは友達としてだ。
辰也としては恋人同士になりたいのだが。ないものねだりかと思わずにいられない。
とりあえず、今日は楽庵に行ってみようと、仕事は定時で終わらせ。rougeに行くと、ちょうど限定チョコマカロンが売ってたので思わず買ってしまい。
少し緊張しながらも、界隈に足を向けたのだった。
芙美の一方的な思い込みで、.美作と接触出来ないでいる。
その誤解をどう解くべきか、第三者としてわかりかねていた美兎だったが。せめて、仲直りのようなものが出来たらいいなとは思ったのだ。
芙美はホットモカを飲み終えると、またテーブルに顔を伏せていた。
「……芙美さんは、美作さんと仲直りしたいと思ってますか?」
美兎が質問すると、芙美はこくりと頷いた。
「……仲直り……したい」
「だったら、会いましょう? LIMEでもいいかもしれないですが、謝るにしても直接の方がいいと思います」
「……楽庵とかでー?」
「それは芙美さん次第ですが」
「…………うん」
と。決断したら早いのか、芙美はポケットからスマホを取り出して。おそらく、美作にLIMEでメッセージを送ったのだろう。
のんびり屋に見えて、流石は情報屋と言うべきか。
美兎も美味しいブレンドコーヒーを飲みながら待っていると、芙美が小さく声を上げた。
「来ました?」
「……うん。今楽庵に向かっているって〜」
「行きます?」
「…………行く〜」
季伯に勘定をお願いしようとしたら、芙美がささっと払ってしまい。彼女からは『相談のお礼』と言われたので受け取るしかなかった。
とりあえず、楽庵に行くと。引き戸を開ければ、珍しく煙草の香りがしたのだった。
「あ」
「あ」
奈雲三兄弟はいなかったが、カウンターで美作が煙草を吸っていたのだ。吸うのを見るのは初めてかもしれない。
美作は芙美と目が合うと、すぐに煙草をやめて灰皿に入れて消したのだった。
「こ、こんばんは〜……」
「ども……」
少々気まずい雰囲気ではあるが、美兎もいるので中に入ることにした。
「いらっしゃいませ」
火坑は火坑で、いつも通りの涼しい笑顔のままだ。何か聞いているかもしれないが、本人達がいるので聞くのはやめておこう。
とりあえず、手土産のフィナンシェは渡しておいた。
まだまだ寒いので、すぐに熱いおしぼりと煎茶が出てきた。
芙美は必然的に美作の隣に腰掛けることになったので、ギクシャクしている状態。
「そ……その……」
けど、謝るつもりでいたらしく。すぐに声をかけようとしていた。
「……いや。俺の方が悪かったです」
「え?」
「俺が……曖昧な態度したから、芙美さんに誤解を招くことしちゃったし」
「え、だって……美作さん、困っていたから」
「いや。照れてただけですよ?」
「はえ!?」
おっと。これはもしかして、もう切り出すつもりか。
美兎もだが、火坑も聞いてていいのかと思ったが。火坑から目配せで座敷席にと言われたので、湯呑みとおしぼりだけを持って移動することにした。
二人は自分達の話に夢中になっているせいか、美兎の行動に気づいていなかった。
「だって、あれカップル限定商品だったじゃないですか? 俺は彼氏じゃないのに、勘違いされて……まあ、しばらく彼女いなかったからどう反応すればいいか困っただけですよ?」
「いやじゃ……なかったんですか〜?」
「嫌だったら、誘われる時に断っていますよ?」
「よ……よかった〜……」
座敷席から、そろっと後ろ姿を確認すると。芙美はカウンターに突っ伏していたのだった。
「……俺。逆に芙美さんも嫌だったんじゃないかって。勘違いしてました」
「ふぇ?」
これはまさか、と美兎は覗きながら唾をごくんと飲んだ。
「俺が彼氏だって勘違いされて。嫌な思いしたのは芙美さんじゃないかって」
「そんなことないです!」
「え?」
「お……おこがましいと思ってます……けど。美作さんが彼氏だったら、いいんじゃ……ないかって」
「……芙美さん?」
顔を上げた芙美が美作を見ると、大胆に美作の手を掴んで、ぎゅっと握ったのだった。
「こんなダメダメのっぺらぼうですけど! 美作さんが……辰也さんが好きなんです! 付き合ってください〜!」
まさかの大胆な告白。
火坑はよく向かい側の厨房で、調理しながら聴けるものだ。と、少し感心してしまった。
美作の方は、顔を真っ赤にしていたが。すぐに、掴まれてた手に空いてる手を重ねたのだった。
「……俺も。芙美さんが好きです! 俺の彼女になってください!」
「はい〜!」
無事にハッピーエンドとなったわけである。
よかったよかった、と美兎もだが火坑も拍手で祝い。
四人でささやかだが、お祝いの席を開くことになったのである。
今のっぺらぼうの芙美は、天にも昇ってしまうくらい幸せだった。
些細なきっかけで、手を差し伸べてくれた人間の男。
顔と声が好みだった。最初はそれだけ。
けれど、次第に気になって気になって。
楽庵に来たことで『友達』にはなれたのだが、それだけでは芙美には物足りなかった。
欲が出てしまったのだ。
人間界や界隈でチョコ巡りをするのが趣味な芙美に、美作辰也も甘いものが好きだとわかると。遊びに行くついでのようにデートに誘ってしまっていた。
迷惑がられていないし、誘っても断れなかったから。
だからあの時も、カップル限定のショコラアソートを買いに行きたいと言うのにも、ついつい誘ってしまったのだ。
けれど、当日。
辰也は、店員からの対応に終始苦笑いしていた。それがまさか、照れているとは知らず。
芙美が勝手に迷惑をかけたと思い、勝手に気まずくしてしまい。
約半月、会わなかったし、避けてもいた。
それが、辰也も思っていたとは知らず。
今日、久しぶりに出会った湖沼美兎に勇気を持とうと言われ。
その結果、お互いの気持ちのすれ違いとわかり。無事に恋仲になれた。
凄く、凄く嬉しくて。
火坑が祝いだと、色んな料理を振る舞ってくれている最中。
芙美のわがままで、片手は辰也と手を握っていた。
「ふふ、ふふふ」
「芙美さん、ご機嫌ですね?」
「辰也さんと一緒ですから〜」
ついつい、お酒もすすんでしまうくらいだった。
「良かった。あ、火坑さん。心の欠片で、この前みたいなチョコって出せます?」
「ええ。では、ホットチョコでも淹れましょうか?」
「お願いします」
「わーい!」
チョコ好きの芙美にとって、ここのホットチョコは至高の逸品。
辰也の希望通りに出てきた心の欠片で、火坑はすぐにホットチョコを淹れてくれた。
ほわほわのホイップクリームもたっぷり。
界隈にもあるコーヒーチェーン店顔負けのホットチョコは、冬のお楽しみだった。別に、ホットチョコは年中飲めるが、冬のチョコは格別なのである。
「あっま! けど、うっま! へー? 女の子が好きそうなイメージだったけど、イケる」
「大将さんのこれは特別ですから〜」
まだ情報屋として半人前だった頃。
火坑も店を出して、少し経った頃。
たまたまお腹が空いた芙美がここに来て、火坑に頼んで、自分の心の欠片を渡したそれで作ってくれたのが。
今飲んでいたホットチョコよりももっと簡単なタイプだったが、すっごく美味しかったのだ。だから、年が明けてしばらく経ってから、芙美はここに来るようになった。
火坑も、来店のたびにチョコをストックしてくれるようになり。以来、それが決まった時期の習慣になったのだ。
だが、その習慣も終わりになるかもしれない。
辰也が一緒なら、もうしょっちゅう来るつもりだから。
ひと口飲むと、冷えた指先がじんわりと痺れるような感覚を得て。甘々トロトロの溶けたチョコが身体全体を温めてくれるようで。
相変わらず、美味しい。
特に今日は、辰也の心の欠片で作ったものだから。
「あ、火坑さん? バレンタインの時のマシュマロ? の、トーストも」
「かしこまりました」
「辰也さん?」
「俺からのホワイトデーってことで」
ああ、人間と言うものは。
妖よりも、はるかに短い生なのに。その短い時間で奇跡をたくさん生み出していく。
ついつい、感情が溢れて。
芙美は、辰也の頬に口づけを贈った。逆隣にいた美兎には『きゃー!』と声を上げさせてしまったが。
付き合う瞬間から見届けていたとは言え。
今は帰ってしまったのっぺらぼうの芙美に、その恋人になった美作辰也はとても上機嫌で帰って行った。
座敷童子の真穂のように、界隈に居住しているらしく、いきなりだが芙美が連れて行くそうだ。
美兎は二人のラブラブっぷりに当てられて、少し感心してしまった。
まったくではないが、美兎の仕事も忙しかったし、また火坑とデートが出来ないでいた。
先日の突撃訪問は驚いたが、あれも嬉しかった。
そして、芙美達が帰ってしまった今。店には美兎と火坑だけ。
今日も梅酒のお湯割りで体を温めて、スッポンのスープと雑炊でお腹は満たされた。甘いものも、美作のお陰で満たされているが。火坑の仕事している様を見ると、酷く落ち着くのだ。
「美兎さん」
少し、見惚れていたら。火坑がこちらに振り返ってきた。
「はい?」
「今月も残り少ないですが。以前お話ししたお着物デートを覚えていますか?」
「覚えてます」
火坑と話すことは極力忘れないようにしている。
仕事は仕事。プライベートはプライベートだが、大事な大事な恋人との思い出は忘れないようにしているのだ。
美兎が頷くと、火坑は涼しい笑顔で口を開いた。
「でしたら、近いうちにしませんか? 名古屋でお着物デート」
「! したい、です!」
「よかったです。着物レンタルは、実は真穂さんが提案してくれたんですよ?」
「? 真穂ちゃんが?」
「はい。人化した時と然程変化がないので有れば、自分の着物を貸すと」
「わぁ!」
普段は子供の姿でも洋装なのに、やはり妖だから着物は持っているのだろう。
それなら、お言葉に甘えたかった。
「いつにしましょうか?」
「えっと……ちょっと待ってください」
スマホではなく、手帳を取り出して残り少ない三月の予定を見れば。ちょうど、今週末は二日とも休みになっていた。
それを伝えれば、火坑はにっこりと笑ってくれた。
「でしたら、真穂さんと確認をとってから決めましょうか? 僕も一張羅を出してこなくてはいけませんね?」
「火坑さんもお着物着られるんですか?」
「もちろんですとも。普段はこんな格好ですが、地獄で働いてた時も一応着物でした」
「えーと? 前世、でしたっけ?」
「猫には複数の魂。生き方のルートがありますからね? 道真様の飼い猫だった時を合わせてもまだ三つです」
「三つでもすごいですよ?」
「ふふ」
人間でも前世の記憶を持って生まれると言うこと自体あるかどうかわからないのに。
猫だからか、妖だからか、色々特殊かもしれない。
遠い遠い、火坑の生まれ育った時代。
当然無理だが、美兎はそこにはいない。
「……火坑さんのこと、もっと知りたい」
ぽつりと口に出したら、火坑にも聞こえていたのか目を丸くした。
「僕のことですか?」
「! あ、いえ! すみません、出過ぎたことを!?」
「……ふふ。いいえ、美兎さんのわがままは可愛らしいですから」
「……可愛いですか?」
「ええ。それなら、手始めに敬語をやめてみますか?」
「無理……です」
「ふふ」
ちょっとだけ。
ちょっとだけ、わがままになっていいのだろうか。
元彼には、ウザいだのなんだの言われたりもしたが。
比べとようもない素敵な猫人は、美兎の心のしこりを上手に取ってくれた。
なら、と美兎は手招きで火坑を呼んで。
初めて、猫の口にキスをしてみたのだった。
「!?」
「人間とは全然違いますね……?」
唇もあるようでない。ヒゲがチクチクするが少しくすぐったい。
ヘラヘラ笑っていると、火坑は瞬時に響也になった。
「……お返しですよ?」
と言った直後。
ちょっかいを出したのを後悔するくらい、濃い濃いキスをされてしまったのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
四月目前。
三月もあと少し、と言うところで。美兎は大好きな恋人、猫人の火坑と着物でデートする約束をしていた。
着物はレンタルショップではなく、美兎の守護である座敷童子の真穂から借りることになったのだ。
金曜の夜に、界隈の真穂の家にお邪魔して。小物から何から何まで用意してくれたことには驚いた。
「すっごーい!」
豪華絢爛と言うゴージャスなものから、可愛らしいもの。現代に合わせた生地に模様があるものまで。
どれもこれもが素晴らしく、本当に美兎が借りていいのか、と少々不安になった。
「着せるのはまっかせなさーい? とりあえず、三月も終わりだーかーらー」
パパっ、パパっと着物と小物などを仕分けて。片付けながら美兎の前に置くと、それもそれで美兎の好みの着物ばかりを用意してくれた。
「こ……こんな綺麗なのを……?」
「美兎に地味柄着せれるわけないじゃん? 真穂の人化と背丈あんまり変わんない……けーど」
「けど?」
「浴衣じゃないけど。美兎の胸でかいから、ちょこっとは潰さないとね?」
「……そーなの?」
例の元彼には小さいのなんのとか言われていたから、平均以下だとは思っていたが。
そうか、小さくないんだ。と、少し嬉しくなった。
とは言え、火坑とそう言う進展にまで行くのは当分先だ。うっかりで致してしまったら、美兎の人生を大幅に狂わせてしまう。
LIMEで、先祖の美樹に聞いたりはしたが、出来るだけ人間界での生活を謳歌してからがいいと言われた。たった一回でも。妖の力で、人間の体は簡単に変わってしまうらしい。
それに、身近。会社の先輩同期もだが。美兎の兄である海峰斗までもが、今目の前にいる真穂と付き合っているのだ。
女もだが、男の方が性欲が強いとされているのに。
海峰斗は大丈夫か、少し心配になってきた。
「ん? どうかした?」
「……あの、さ」
「うん?」
「お、お兄ちゃんと……その」
「うん?」
「せ……っくす、我慢してる?」
「ぶは!? いきなりどしたの?」
「ちょ、ちょっと……気になって」
直球過ぎだと思ったが、気になると聞いてしまっていた。
真穂と海峰斗との問題だが、美兎も他人事ではない。多分だが、いつか響也の姿で火坑とはそう言う関係になるだろうから。
だから、聞いてみたかったのだ。
「まあ、そうね?」
帯をカーペットの上に置いてから、真穂は腕を組んだ。
「みほには超我慢させてるわ。男だし、人間にしちゃいい歳だし。キスしかしてないけど、まあ凄い凄い」
「す……ごいんだ?」
「そう言う面は、妹のあんたでも知らなくて当然よ? お陰で、キスシーンのネタには事欠かないわ」
「おお……」
「は、ともかく。みほの仕事は接客メインだもの。しかも、真穂みたいに定年があるようでない職種。だから、もしみほと結婚しても子供作るまでは、なーし。って話し合ったわ」
「……すごい長いね?」
「みほも納得してくれてるわ。ま、最後までしなきゃ大丈夫は大丈夫だけど」
理性無くす可能性あるから、禁止にはした。と、真穂は言い切った。海峰斗も頑張っているんだなと、美兎は思えた。
なら、美兎も今は我慢しようと決めた。
「うん。ありがと」
「けど、美兎も美兎でちゃーんと火坑とそう言う決め事した方がいいわよ?」
「? うん?」
「半分人間のようでいて、あいつは獣だからさ?」
「猫だから?」
「猫だから」
意味がよくわからなかったが、とりあえず。
美兎はピンクと薄い金色が地の着物を選ぶことにして、髪も着付けも一通り真穂に手がけてもらうことになった。
着物に袖を通すなど、いつ振りだろうか。
仕事で作務衣のようなものは着ているが、着物とは言い難かった。洋服のようにちゃっちゃっと着れるから、火坑には違うと思っていたのだが。
普段着も似たような服なので、本当に着物に袖を通すのは久しぶりだ。
恋人の美兎がどのような煌びやかな着物を着てもいいように。出来るだけ、落ち着いた風合いに。
まだ四月前でも、猫毛程度の火坑の体毛では肌寒く感じてしまう。おまけに今日は、人間界でのデートだ。
猫の姿を隠すために、『香取響也』として彼女と名古屋の町を練り歩くのだ。寒いが、我慢するしかない。
「……こんなところか」
きちっと衿を整えて、羽織るのには羽織よりも和装向きのコートがいいだろうか。
一応昨夜までに決めてはいたのだが、気温が変わりやすいこの時期だから。そこは慎重に選ばなくては。風邪を引いたのは、今の生を得てから片手で足りるほどしか引いていないが。油断は出来ない。
とりあえずコートにすることにして、手には手袋。マフラーはいいかと思ったが、バレンタインに美兎からもらった手編みのマフラーを合わせると。意外に似合っていた。
ではこれで行こう、と。片付けをしてから人間界に向かう。
着物なので多少は目立つが、響也の顔は基本的には地味にしてある。調整しないと、以前美兎に見せた通り女性の心を鷲掴みにしてしまう傾向が強いからだ。
師匠である霊夢にも注意されたことがあるし、出来るだけ美兎を困らせたくはない。
ただ、今日は少し急いだ。
いつも最高に可愛い恋人が、着物で煌びやかに着飾っている姿はきっともっと素敵で可愛いだろうから。
待ち合わせの場所に着くと、予想以上に美兎は可愛く素晴らしく着飾った着物姿で待っていてくれた。ナンパされていないか心配だったが、座敷童子の真穂も一緒だったからか、大丈夫そうだった。
彼女に関しては、人化した姿で普通の服装だったが。
「じゃ、お邪魔虫は退散するわねー?」
火坑を見ると、ばいばーいと言いながら帰って行った。本当に、美兎を守るためだけにわざわざ出向いてくれたのだろう。
「おはようございます、響也さん」
振袖姿のような派手さはないが。
控えめな装飾でも、美兎の容姿を引き立たせていた。桃色と金糸が主体となった着物は本当に彼女によく似合っていて。
抱きしめたい衝動を堪えて、火坑は笑みを返した。
「おはようございます。……よくお似合いですよ?」
「あ、ありがとうございます!……響也さんも、素敵です」
「ふふ。ありがとうございます」
美兎も真穂に借りたのか、和装のコートを着ていた。それでも、首元から見える装いは愛らしく。
髪には、覚の奥方からいただいた手作りのかんざしをつけていた。約束通り、つけてくれたことが嬉しかった。
手を繋いでから、まずは着物で歩くことに慣れるために。
ゆっくりと、栄の街並みを歩くことにしたのだった。
たまたま、だった。
四月にほど近く、かと言えまだまだ冷え込む季節。
歩きタバコが禁止と、人間界ではつい最近決まってしまったので。口寂しいから飴を舐めていたのだが。
適当に栄の街並みを歩いていたら、少々驚いた光景を見たのだ。
「ほっほーう?」
目に入ってきたのは、人間と妖のカップル。
それ自体は、少々珍しいくらいなので然程驚くことではないのだが。
気になったのは、妖である男の方。
妖の人間への変身とも言われている『人化』は、人間のように言うならイケメンとか美女とかがセオリーなのだが。
その妖は、逆に地味だった。
いや、めちゃくちゃ地味ではないのだが。人間で言えば、そこそこ顔は整っている方だ。だが、妖となると地味だ。
だが、一反木綿の馨は彼の正体を知っていた。
錦の界隈で、小さな小さな小料理屋を営む、猫と人が合わさったような妖だ。ただの妖ではなく、前世が地獄の官吏だったと言う異例の妖。
そんな彼の噂はちょくちょく耳にしていたが、まさか本当に恋人が出来ていたとは。しかも、相当な加護をまとっている、可愛らしい人間の女と。
互いに着物を着ていて、とても仲睦まじく歩いていた。幸せがこちらにまで伝染しそうなくらいに。
「……随分と、かいらしいお嬢さんやんな?」
しかし、あの絶大とも言える加護はなんだろうか。妖、火坑の加護だけでは、あそこまでいかないだろう。
少々気になって、ついていこうとしたのだが。気配を隠せていなかったのか、火坑がこちらに振り返ってきたのだ。
「……あ」
「…………」
「響也さん?」
怖い。
地味だと思っていたが、凄む顔はどこか美しい。
と、的外れな思考でいなければ。火坑の睨みから逃れられなかったのだ。しかし、人間としての名前が『響也』とはよく考えたものだ。
「……馨さん?」
「…………はい」
「お知り合いですか?」
「ど、どーも」
まさか、尾行しかけていたのを女性の方は気がついていなかったようだが。
謝って帰ろうとしたが、火坑に肩を掴まれたので叶わず。
「……場所を移しましょうか?」
と、火坑が怖い声音で告げたので。
仕方なく、ついて行くことになってしまったのだった。
場所は界隈の、喫茶店『かごめ』。
馨も何回か来ているので、ここのコーヒーが美味しいのは知っている。だが、今は美味しいと思う余裕がなかった。
「そ、そそそ、その!」
とりあえず、出来心で尾行しようとしたことを謝罪しようと馨は腰を折った。
「尾行しようとして、すんませんした!!」
「え、尾行?」
女性の方は、まったく気がついていなかったようだ。なので、火坑が怒る前にさらに謝罪するのだった。
「自分、一反木綿の馨言います。そちらの火坑はんの店にも通わせてもらってる……妖電報の記者なんです」
「電報?……新聞記者さんってことですか?」
「砕けて言うと、そんな感じです! ほんま、デート中にすんませんでした!!」
「まったく……好奇心で人のデートを邪魔しようとしないでください」
「ほんま……すんません」
猫人でも温厚で、滅多に怒ることのない火坑が、本気で怒っている。それだけ、この女性には本気と言うこと。
再三謝ると、火坑も呆れたようなため息を吐いた。
「電報に、ふざけて僕達のことを書こうとはしませんよね?」
「し、しません!」
片隅には思っていたが。
だが、そうしたら彼の店には通えなくなるのが嫌で、ぶんぶんと首を横に振った。
「それなら、よかったです」
「あの……スクープ、にされそうだったんですか?」
「ええ。可能性の話ですが」
「お、おおお、俺は珍しい組み合わせやな〜と気になっただけで!!?」
「けど、可能性があったんですよね?」
「……あい」
とりあえず、馨は今日誓ったのだ。
元獄卒だったこの妖を怒らせてはいけないと。詫びに、コーヒー代とかは馨が持つことでお開きとなった。