少し遅くなってしまった。

 座敷童子の真穂(まほ)は、今日は用事があるらしいので。界隈に入る手前で現れた彼女に、少し加護の妖術をかけられた後に別れた。

 楽庵(らくあん)に到着すると、客はいなかったがちょうど火坑(かきょう)が食器を片付けているところだった。

 美兎(みう)と目が合えば、いつもどおりの涼しい笑顔で出迎えてくれたのだ。


「こんばんは、美兎さん。いらっしゃいませ」
「こんばんは……火坑さん」


 やはり、沓木(くつき)達に言われたように、少し距離感が空いている気がするのもあるが。いきなり、敬語を外すのは難しいと思った。

 人間の顔ではないが、綺麗な猫顔を見てもとてもだが、無理だ。けれど、一度話すのは悪くない。

 席に着いて、ちょっとお腹を満たしてから聞こうかと思ったが。当初の約束を忘れかけていたので、先に聞くことにした。


「はい。おしぼりです」
「ありがとうございます。えと……今日はどうして連絡をくれたんですか?」
「いえ。美兎さんに是非会いたいと言う方がいらっしゃいまして」
「私に会いたい人……?」


 先の道真(みちざね)と言い、河の人魚、あとは(さとり)もだが。

 覚の空木(うつぎ)は日取りを変えて欲しいと請われたので違うはず。人魚の方も、まだ火坑に連絡が来ていないから違うと思う。

 なら、全く違う妖なのだろうか。

 温かいおしぼりで手を拭いていたら、引き戸の向こうから神社の鈴のような音が聞こえてきた。


「……おや。いらっしゃったようですね??」


 わざわざ火坑が扉を開けにいくと、こちらにわずかだが芳しいお香のような匂いが漂ってきた。


(くだん)の娘はいるかえ? 火坑や」
「はい。ちょうど今し方」


 そして、匂いと同じくらい甘さを含んだ艶のある声。客の一人だろうかと思うのは、火坑が浮気などしないと絶対的に信じているからだ。

 彼が扉から離れると、その妖らしき姿が見えたのだ。


「……うわぁ」


 火坑と約束しているので、京都にはまだ行けていないのだが。会社の関係で京都の広告を扱うことは多い。美兎はまだ新人なので携わってはいないが、京都の芸妓さん達の写真は見てきた。

 それくらい、装いが煌びやかで華やか。ただ、少し緩めに着崩している着物や髪は少し妖艶に、美兎の目に映った。

 妖だからかもしれないが、雰囲気も相まってよく似合っていた。

 目が合うと、彼女はふふっと、艶やかな赤色の唇を緩めた。


「ふふ。お初にお目にかかるの? あちきは、滝夜叉姫と言うもの。そちが、火坑の(つがい)かえ?」
「は、初めまして! 湖沼(こぬま)美兎と言います!!」


 名乗ってくれたので、座っているわけにはいかず、ついつい新入社員当時の時みたいに、カクカクになって挨拶してしまった。

 だが、滝夜叉姫は気分を悪くすることもなく、髪や着物についている鈴のようにころころと笑い出した。


「誠に、愛いのお? 気に入った、あちきは滝夜叉姫と言う呼称ではあるのだが。名は五月(さつき)と言うのじゃ。是非に、呼んでくりゃれ?」
「五月、様?」
「うむうむ。良い良い」


 そして、五月はなんの躊躇いもなく、美兎の右隣の席に腰掛けたのだった。

 加えて、火坑からおしぼりを受け取ったあとは、ずっと美兎を見ていた。


「? あの?」
「うむ。良い占いが見えておるな? 様々な妖だけでなく、国津神などにも好かれておるとは。しかも、守護にはあの座敷童子。興味が尽きぬの、美兎よ」
「占い?」
「滝夜叉姫さんには、色々伝承が数多く存在するんですよ」
「伝承?」
「うむ。あちきは、まず言っておくが妖ではないんじゃ」
「ええ!?」


 こんなにも綺麗な人間がいるのだろうか。

 だが、街中でこれだけの美女が歩いていたら目を止めるだけで済まないだろう。はやとちりしてはいけないので、きちんと話を聞こうと耳を傾けた。


「うむ。あちきは、いわば怨霊。じゃが、改心はして幽世(かくりよ)と現世を行き来している存在なのじゃ。じゃが、別に今の人間達を怨むつもりはない」
「幽霊……と言うことでしょうか?」
「応。そう思って構わん」


 話が長くなりそうだったので、とりあえず美兎もだが五月も梅酒のお湯割りで体を温めることになった。