あの暗闇の世界を、夢に見なくなった。
 咲乃はきちんと私にお別れを言って、消えてしまった。

 私の悪足掻きなど、意味がなかった。

 あの悪夢があったから、私はまだ咲乃がいないということを実感せずに済んだのかもしれない。

 もう、本当にどこにも咲乃はいない。
 夢でも会えない。

 それだけではない。

 その場の感情で佑真との縁を切ってしまった。
 佑真は、私と会わないように、離れた場所で一人暮らしを始めたらしい。

 少し前まで私の世界で笑ってくれていた咲乃と、なにがあっても隣にいてくれた佑真が、いなくなった。

 平気だと思っていたのに、私はなにをする気にもなれなかった。

 学校を休むようになって、どれだけ時間が過ぎただろう。
 毎日、部屋でぼんやりと過ごしていた。

 今日もまた、無意味に時間を費やしてしまった。

 そう思っていたら、遠慮気味にノックの音がした。

「玲、お友達が来てるよ」

 私には友達と呼べるような存在がいないなから、母さんが誰かに騙されているのではないかと思った。

「こんな時間まで寝てたとか、ありえないんだけど」

 母さんの背後から姿を見せたのは、夢原だった。開口一番が悪口とは、夢原らしい。

 夢原を案内したことで、母さんは一階に降りていった。
 夢原は許可も得ずに部屋に入り、物色し始めた。

「白雪咲乃の写真とか置いてると思ったのに、一枚もないなんて、意外」
「置いていたら、思い出すからな」
「写真って、思い出すために置くものだと思うんだけど」

 それはそうだが、咲乃のことを思い出した次は、咲乃がもうどこにもいないと悲しむとわかっている。
 わざわざ自分を苦しめるようなことは、したくなかった。

「夢原、なにをしにきた。母さんに友達だなんて嘘をついて」

 部屋を見て回る夢原に苛立ち、それがそのまま声に現れてしまった。

 夢原は睨むように見てきた。

「あんたに喝を入れに来た」

 なにを言っているのか、わからなかった。
 そんな私を置いて、夢原はローテーブルのそばに腰を下ろす。

「隼人に全部聞いたよ。白雪咲乃が死んだ理由、隼人の思い、あんたの苦しみ。全部、話してもらった」

 私は母さんや瑞歩さんたちに話すのを躊躇っていたのに、新城は夢原たちに話したのか。
 咲乃の死から逃げていた新城に、その勇気があったとは驚きだ。

「言っておくけど、白雪咲乃のことで後悔してるのは、あんただけじゃないから」

 私だけではないのは、わかっている。
 新城も瑞歩さんも宏太朗さんも、咲乃のことで後悔していた。

 だが、それを改めて言ってきたということは、夢原にも後悔していることがあるのだろう。

「夢原もなにか後悔しているのか?」

 夢原は視線を落とす。

「隼人に彼女ができて、祝えなかった。白雪咲乃が傷付くようなことしか言えなかった。私のせいで、藤と井田は友達の彼女と仲良くできなかった」

 聞くまでもなかった。
 しかし、それを後悔していたとは知らなかった。

「藤はなにも言わなかったから知らないけど、井田は諦めなかったらよかったって言ってた」

 夢原はよくわかっていないまま、伝言してくれた。

 新城の話だと、井田は咲乃と仲良くなることは難しいからと、会わないことを決めていた。
 それを変えたくて、新城は咲乃と井田と藤を会わせようとしていた。

 それが、咲乃が死んだ日のできごとだ。

 なんとなくだが、井田がそう後悔するのは、理解できなくはない。

「わかっていないみたいだから、はっきり言ってあげる。あんたが今、どれだけ後悔したって、なにも変わらないから」

 そんなこと、言われずともわかっている。
 私がなにをしても、なにを思っても、咲乃は絶対に帰ってこない。

 それでも、今の私には後悔することしかできないと思ったのだ。

「生きてる私たちにできるのは、同じことを繰り返さないように努力して、前を向いていくことだけ」

 夢原の言い分が正しいことはわかるが、それができたら、苦労しない。

「私は、咲乃にこだわりすぎていた。そのせいで佑真のことをちゃんと見てやれなかった。佑真が苦しんでいたことに、気付けなかった」

 言葉にすれば、その後悔にのまれていく気がした。
 内から湧き出てくるのは、恐怖のようなものだった。

「どうやってたくさんの人を大切にすればいいのか、わからないのだ。私は、今私の世界にいる母さんと父さんを大切にすることしかできない。私の世界に誰かを増やすのが、怖い」

 夢原は立ち上がり、勢いよく私の頬を叩いた。
 新城のときにもいい音がしていたが、音から想像していた以上の痛みがあった。

 しかしなぜ叩かれたのだろう。
 弱音を吐いたからだろうか。いや、夢原はそれくらいで殴ってくるような子ではない。

「もう増えてるんだよ。私の世界にあんたがいるのに、あんたの世界に私がいないとか、意味わからないから」

 驚いた。
 私は嫌われているから、夢原の世界には入れてくれないと思っていた。

「もしかして夢原、本気で私と友達だと思っているのか?」

 夢原は複雑そうな顔をした。

「別に、ただのクラスメートも違うかなって思って、友達って言っただけ」