今日の夕飯はビーフシチューだった。
それは僕の人生の中で一番おいしいビーフシチューといっても過言ではない。
最初に見たとき、野菜がごろごろ入っているのをみて、ちょっと嫌だなと思った。でも、好き嫌いをするのをサクラは嫌がる。
僕は目をつむってえいやっと口に放り込んだとたん、野菜はほろりと口の中で崩れ、舌とソースとなじんでいった。その野菜は僕の嫌いな野菜とは別物だった。
想えば、僕が野菜を嫌いになったのは小学校のだった。
ろくな食事をしていない僕はすぐに保健室の先生に目を着けられた。朝ごはんも食べずに、学校にいって午前中に体育の授業があると僕はしばしば、動けなくなることがあった。保健委員の女子に嫌な顔をされながら保健室に行くとーー普通なら保健委員の女の子は具合の悪い子のてをひいて保健室に連れて行ってくれるのに、僕のことはシャツの端を指先でつまむようにしてひっぱっていくーー保健委員の子が授業にもどされたあと、保健室の先生からオレンジ色の甘いジュースを与えられて何とか給食までを持たせていた。オレンジ色の甘いとろりとした魔法の薬。オレンジジュースよりも濃くて、とろりとしていて、舌に甘さがねっとりと絡みつく。そして、しばらくすると力が入らなかった体にふつふつと楽しいような気持が沸いてきて何とか給食までの間をもたせることができた。
そんなことが何度か続くと、ある日、母親は学校に呼び出された。
「忙しいのに」なんてぶつぶつ言っている母親が、身支度を整えて、めったに使われない化粧台の上の化粧品で飾り立て、よそのお母さんみたいにいい匂いがする様子がとてもうれしかったのを覚えている。
学校にいった母は、先生と保健の先生と何か話し、そのときしきりに頭を下げていた。うちにこんなものがあったのかと思うような、真っ白でレースがあしらわれたハンカチで母が口もとを覆っていたのをよく覚えている。あのレースのハンカチはまるでお姫様が使うんじゃないかと思うほど豪華なレースで縁取られて、真っ白だった。そこに母がつけていた口紅のピンクっぽい赤色がやたら印象的だった。
その次の日くらいから、我が家の食卓にはミックスベジタブルが毎日だされることになった。オレンジ、黄色、緑色。鮮やかでお菓子みたいな色をしたそれは初めて見たとき心躍った。大根やら白菜とは違い、はっきりと色が付いたそれは一人前に存在を主張していた。
小さなハンバーグに添えられたそれはとてもおいしそうに見えた。
しかし、スプーンですくって口に入れたそれは……僕はそれ吐き出した。
なんだか芯があるような歯触りは口に気持ち悪く、妙に臭みのある甘ったるさが歯茎をくすぐる。どうしても受け付けない。
だけれど、母はそれを許さなかった。
「ちゃんと野菜を食べなさい」
そういって、毎日食卓にあがった。
風邪を引いたときのおかゆにまで入っていた時は、このまま死ぬしかないんじゃないかとおもった。おかゆにはいったそれは人生の中で一番まずい食べ物だったかもしれない。
ぐずぐずに溶けた米の中に、色とりどりの甘いのか苦いのか分からない毒々しい色のツブツブが浮いている。胃がひっくり返りそうになりながら僕は水でそれを流し込んだ。そのあとに食べたゼリーは神の食べ物なんじゃないかと思うほど美味しかった。無理やりおかゆを流し込んで、火傷しかけた口の中にフルフルとした冷たさがゆっくりと吸い付き、甘いシロップが口の中に溶けだした。
あの時のシロップの味は忘れることができない。
同じものを探しているが、いまだに出合うことができない。
ただ、最近それにそっくりなものを見つけた。サクラの声だ。
「美味しい?」
気が付くとサクラがこちらを見つめてにっこりと微笑んでいた。
僕は大きく頷き、最高に美味しいことを伝えるために、首を縦に振る。
そして豪華ににもう一回スプーンで、今度は肉をすくって頬張って見せる。肉は口の中でとろりと溶けて一瞬で消え去った。
僕の言葉では、感じている美味しさをサクラに伝えきることはできない。だから、僕はもう一匙もう一匙とスプーンで大きくすくって頬張っていく。
こんなに勢いよく食べるくらい美味しい。
僕は幸せだ。
サクラはそんな僕の様子を優しく微笑んで見つめていた。
もう一度言おう。僕は幸せだ。
それは僕の人生の中で一番おいしいビーフシチューといっても過言ではない。
最初に見たとき、野菜がごろごろ入っているのをみて、ちょっと嫌だなと思った。でも、好き嫌いをするのをサクラは嫌がる。
僕は目をつむってえいやっと口に放り込んだとたん、野菜はほろりと口の中で崩れ、舌とソースとなじんでいった。その野菜は僕の嫌いな野菜とは別物だった。
想えば、僕が野菜を嫌いになったのは小学校のだった。
ろくな食事をしていない僕はすぐに保健室の先生に目を着けられた。朝ごはんも食べずに、学校にいって午前中に体育の授業があると僕はしばしば、動けなくなることがあった。保健委員の女子に嫌な顔をされながら保健室に行くとーー普通なら保健委員の女の子は具合の悪い子のてをひいて保健室に連れて行ってくれるのに、僕のことはシャツの端を指先でつまむようにしてひっぱっていくーー保健委員の子が授業にもどされたあと、保健室の先生からオレンジ色の甘いジュースを与えられて何とか給食までを持たせていた。オレンジ色の甘いとろりとした魔法の薬。オレンジジュースよりも濃くて、とろりとしていて、舌に甘さがねっとりと絡みつく。そして、しばらくすると力が入らなかった体にふつふつと楽しいような気持が沸いてきて何とか給食までの間をもたせることができた。
そんなことが何度か続くと、ある日、母親は学校に呼び出された。
「忙しいのに」なんてぶつぶつ言っている母親が、身支度を整えて、めったに使われない化粧台の上の化粧品で飾り立て、よそのお母さんみたいにいい匂いがする様子がとてもうれしかったのを覚えている。
学校にいった母は、先生と保健の先生と何か話し、そのときしきりに頭を下げていた。うちにこんなものがあったのかと思うような、真っ白でレースがあしらわれたハンカチで母が口もとを覆っていたのをよく覚えている。あのレースのハンカチはまるでお姫様が使うんじゃないかと思うほど豪華なレースで縁取られて、真っ白だった。そこに母がつけていた口紅のピンクっぽい赤色がやたら印象的だった。
その次の日くらいから、我が家の食卓にはミックスベジタブルが毎日だされることになった。オレンジ、黄色、緑色。鮮やかでお菓子みたいな色をしたそれは初めて見たとき心躍った。大根やら白菜とは違い、はっきりと色が付いたそれは一人前に存在を主張していた。
小さなハンバーグに添えられたそれはとてもおいしそうに見えた。
しかし、スプーンですくって口に入れたそれは……僕はそれ吐き出した。
なんだか芯があるような歯触りは口に気持ち悪く、妙に臭みのある甘ったるさが歯茎をくすぐる。どうしても受け付けない。
だけれど、母はそれを許さなかった。
「ちゃんと野菜を食べなさい」
そういって、毎日食卓にあがった。
風邪を引いたときのおかゆにまで入っていた時は、このまま死ぬしかないんじゃないかとおもった。おかゆにはいったそれは人生の中で一番まずい食べ物だったかもしれない。
ぐずぐずに溶けた米の中に、色とりどりの甘いのか苦いのか分からない毒々しい色のツブツブが浮いている。胃がひっくり返りそうになりながら僕は水でそれを流し込んだ。そのあとに食べたゼリーは神の食べ物なんじゃないかと思うほど美味しかった。無理やりおかゆを流し込んで、火傷しかけた口の中にフルフルとした冷たさがゆっくりと吸い付き、甘いシロップが口の中に溶けだした。
あの時のシロップの味は忘れることができない。
同じものを探しているが、いまだに出合うことができない。
ただ、最近それにそっくりなものを見つけた。サクラの声だ。
「美味しい?」
気が付くとサクラがこちらを見つめてにっこりと微笑んでいた。
僕は大きく頷き、最高に美味しいことを伝えるために、首を縦に振る。
そして豪華ににもう一回スプーンで、今度は肉をすくって頬張って見せる。肉は口の中でとろりと溶けて一瞬で消え去った。
僕の言葉では、感じている美味しさをサクラに伝えきることはできない。だから、僕はもう一匙もう一匙とスプーンで大きくすくって頬張っていく。
こんなに勢いよく食べるくらい美味しい。
僕は幸せだ。
サクラはそんな僕の様子を優しく微笑んで見つめていた。
もう一度言おう。僕は幸せだ。
