シェアハウスの君と

 僕はなんだか暗い気持ちで、キッチンにいく。僕は考えてみるとマチコやいちごちゃんのことを知っているつもりでほとんど知らなかったのだ。どうして、あんなによくしてくれた彼女たちをもっとよく知ろうとしなかったのだろうか。

 いつもならキッチンっていうとなんだか美味しいものがたくさん生み出される暖かい場所で、自然と家族があつまってきそうで好きだ。

 今は誰もいないけれど。

 台所はピカピカに磨かれている。

 きっと、この家の主の宝物なんだろう。

 僕はそっとその床で横になる。

 ひんやりと冷たい感触が頬に伝わる。

 頬から全身にじわじわと冷たさは伝わっていく。
 ちょっと前の僕ならば、床の固さと冷たさですぐに体が痛くなっていただろう。
 だけれど、今の僕なら何の問題もなくこの冷たい床を感じ続けることが可能だ。

 昔からある独立した台所の真ん中に、大きな木のテーブルが置かれている。
 この木のテーブルで、女性陣はちょっとお菓子をつまんだり、料理中なら出来上がった料理がここで盛り付けをされたり、たまにここを使って女性陣だけでお菓子作りなんかもしていた。

 冷蔵庫をあけると、そこにはたくさんのタッパーやビンが詰められていた。
 常備菜が詰められたタッパーに、手作りのジャムやジュースがキレイな瓶に詰められている。一つ一つを手に取って眺めて味見したい気持ちに駆られる。
 子供の頃、怒られたみたいに、一つ一つの瓶を開けて指を突っ込み、味わいたい。
 甘くて赤い苺のジャムに、香は甘いけどサクラの塩漬け、口直しに冷たい氷を齧り、次は常備菜のお肉をつまみぐい。
 赤ワインでさっと煮こまれたシャキシャキしてシナモンの香りがついたリンゴ、桃のシロップ漬けはトロトロでここにシャンパンを注いだら高級バーも顔負けのカクテルになりそうだ。
 そういえば、金魚鉢でつくるカクテルというものがなかっただろうか。あれも確か桃が使われていたはずだ。
 これだけ大人数いるのだから、金魚鉢いっぱいに作ったカクテルなんてすぐになくなるだろう。試してみたかった。
 サクラが喜んだあのパン屋のバスケットに入ったサンドウィッチをみんなの為に注文してパーティーをしたらたのしかっただろうなあ。
 僕がクリーム色の瓶を眺めていると、裾がくいくいと引かれる。あの男の子がじっとこちら、いや僕がもっている瓶を見つめている。
 僕は瓶の底をちらりと見て、男の子に差し出す。
 たぶん、カスタードクリームとカラメルソースだ。まあ、つまり、プリンだ。
 僕が瓶を差し出すと男の子は首を振って、冷蔵庫の奥の方を指さした。
 ああ、これか。僕は自分の顔のすぐ横に瓶を持ってきて、目玉をぐるりとまわしてあきれたって顔をして見せる。男の子も目をぐるりと回そうとしているがうまくいかない。でも、そのいじらしい顔が可愛らしくて思わずふきだしてしまう。

 男の子はちょっとふてくされたのか、またパタパタと足音をたてて逃げていく。

 僕は仕方ないので、僕の目玉の入った瓶を冷蔵庫にもどして、足音を追った。

 パタパタ、パタパタ

 男の子の歩く足音は軽くとても楽し気だ。
 僕も真似して床を蹴ってみるが音がしない。まだまだ修行が足りないようだ。
 ちょっと残念だなって笑っていると、男の子が戻ってきて、手をつなぐ。ほらっというように男の子はわざと足を揚げるので僕も真似をする。
 男の子の足音にあわせて歩く。しばらく二人で歩き続ける。だが、依然として足音は男の子のもの一つだけだ。
 あの、これじゃあ、僕は足音立てられてないよと困ったように笑うと、そっかと男の子は残念そうな顔をしたあと、いたずらっぽく微笑んで走っていく。

 パタパタ、パタタン、パッタタン、パタパタ

 なんだかバリエーションが増えている。
 普通に増えたバリエーションは弾んでいるみたいで楽し気た。正直単純にパタパタの方が怖いのになあと僕が思っていると男の子はそれにきづいたのかしつこいくらい足音を立てた。

 パタパタパパタパタパタパタパタパタ!

 そして、ある部屋の前で止まる。
 サクラの部屋だ。

 一回の一番日当たりのいい部屋。
 サクラによると、すごく日当たりがいいからサクラの部屋のすぐ外で猫が日向ぼっこをするらしい。
 サクラの部屋はとてもシンプルだった。
 というか何もなかった。部屋の真ん中には古びた赤いスーツケースが一つあるだけだった。

 最近、断捨離って言葉が流行っているけど、この部屋は異常なのは僕でも分かった。人が住むのにはあまりにもモノが少ない、いや、足りないのだ。
 フランス人は服を十着しか持たないとかいう本が大学の生協で売られていたけれど、男の僕なら分かるが、サクラみたいな女性にはありえないと思う。
 思い出せた分だけでもサクラは十着じゃすまないくらいの洋服を着ていたし、たぶんあのサクラのことだ結構なお嬢様だろうから、すくなくとも箪笥一つ分くらいの着物はもっているだろう。

 サクラの部屋は空っぽなのだ。

 そして、日当たりもよくない。

 足の裏から伝わる床の冷たさは、キッチンと変わらない。
 そして、キッチンほど清潔な印象を受けなかった。ほとんど物が置かれていないので荒れているとか散らかっているわけではないのだが、うっすらと埃がつもって、フローリングがくもっている。

 いつもと違って、部屋にはいっても男の子は姿を消さなかった。

 男の子は僕の袖をひっぱって、いやいやと首を振る。
 そでをつかむ小さな手は力がはいって、白さとその中の青い血管が透けて見えてなんとなく怖い。

 僕は男の子に促されるままにサクラの部屋をあとにした。