シェアハウスの君と


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 ああ、死体ってどうしてこんなに重いのだろう。
 魂に重さがあるはずなら、少しくらい軽くなってもいいはずなのに。

 子供の頃、だれかに寄りかかられて眠られてしまった時、ここまで重くはなかった。子供どくどくのあまったるい頭皮とその日の空気をたっぷり含ませたみたいな髪の毛の匂いが鼻をくすぐり、やたらと心地よさそうなすうすうと立てられる寝息とともに吐き出される息の熱さ、ズシリと重い頭とそれに比べて、寄りかかってきている体はたいして重くはなかった。
 なのに、この男ときたらどうしてこんなに重いのだろう。

 空っぽのくせに。

 何にも感じてこなかった人生のくせに。

 適当にいきてきて、気づいたら周りから取り残されて、自分は孤独だなんて笑ってしまう。

 孤独なのは、何もしなかったからでしょ。怠けてきたからでしょ。さぼってきたからでしょ。
 何もしないで、誰かが、新しい世界への扉を開けてくれるのを待っているなんて間違っている。
 ただ、誰かが何かをしてくれるまでかたくなに動こうとしない。
 そんな頑固さだけで生きてきているくせに、物語の主役になろうなんてずうずうしい。


『ねえ、僕を誘って。僕の新しい面を見つけ出して』

 ってあのものほしそうなめつき。
 ムカつく。
 なんで、男に生まれた彼の為に、女であるわたしがなにかしなければいけないのだ。
 彼は自分の身の上がたいして幸せでなかったことだけで、自分は孤独で特別な人間だと思っているけれど、彼は男なのだ。
 わたしから言わせてもらえば男に生まれただけで、幸せじゃないか。生まれた瞬間から、ずっと多くの選択肢を持っているのだから。
 生き方次第ではなんでも手に入るのに。
 色んなものに、タイムリミットが存在しないのに。

 彼は数多ある選択肢を何もしないということで捨ててきたのだ。
 女に生まれてきたわたしよりもずっと多くの可能性があったのに。彼がしたのはただ、かたくなに待つことだけ。
 もし、わたしが男に生まれていたらずっとすてきな人生を送れる自信がある。


 ひな鳥が親から餌を待ち続けるみたいなあんな口を開けっぱなしの間抜け顔をしない。

 アルバイトだって、男なら体力を使ったり、夜に働いたりできるからお金をためやすい。自分で働いて自分でためたお金で海外に行ってみたい。
 どこか、だれも知らない異国の土地に行く。
 きっと海外だから、どこにいってもスパイスの香りがするだろう。その、土地の人々の呼吸とスパイスとお茶の香りが混ざり合い、そこにしかない空気ができるだろう。
 そこで、初めて目にしたものを自分だけの言葉で誰かに伝える。
 あと、色んな人とさけを酌み交わすだろう。
 ささ、もう一杯もう一杯と冷たい液体をお互いの杯にそそぐ、それを乾かすように一気に喉に滑り込ませると、お腹の底が温かくなり、なんとも愉快な気持ちがわいてくるから。気の利いた冗談をいって、笑わせよう。そんな縁をたいせつにして仕事もきっとうまくいくだろう。


 それに比べて花の命は短い。

 花は自由にどこかに行くこともできないし、常に誰かに守ってもらわなければいけない。
 あれもできない。これもやってはだめ。そんな壁ばかりにぶつかる。
 そして、諦めがつく頃に気づくのだ、自分にはもう花びらが一枚もついていないと。


 無限にあった可能性を自分で時間を浪費していった彼。
 その上嘘つきだ。
 死んで当然なんだ。

 透明で大ぶりな氷でロココ調のバスタブが埋め尽くされている様子は結構、いや、かなり幻想的だった。
 写真をとれないのが残念なくらい。
 真っ白なバスタブに詰められた氷たちが部屋の色を映し出して、なんとも優しい青い色に輝いていた。真珠色のバスタブに見たこともないくらい淡くほのかな青と虹色が散りばめられている。
 世界で一番美しいお風呂の風景かもしれない。
 まあ、入るのは死体だけど。

 マチコのバスルームは冷たいしこれでしばらくは大丈夫だろう。
 わたしはちょっとだけ、安心して眠りについた。

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「ねえ、こういうときはためらっちゃダメなんだよ?」
 そういって、わたしはマチコにお手本を見せる。
 正直、女性の力では結構大変だ。だけど、ここでためらっても、もう後戻りできない。
 ためらって、失敗してけがをしたり、無駄な体力を使わなくて済むようにわたしはできるだけ、平気な顔をしてナイフを使って見せる。
 上手く刃物が入り、大きな肉の塊から、パーツを切り出すことができた。
 マチコはこんなときなのに感心したような顔をしている。
 だけれど、マチコの作業のスピードはちょっと遅い。時々、嗚咽するし。うっとおしい。ちゃんと仕事をしてくれないと困るのに。仕方ない、作業スピードを上げてもらうためにわたしは秘密を口にすることにした。

 わたしは、ぽつりぽつりと言葉を発しながら作業を進める。できるだけしっとりとして、舌足らずにセクシーに発音することを心掛ける。
 でも、決して手を休めてはいけない。中途半端にすることは許されない。
 ――わたしね、弟を殺してしまったの。
 ――梅の季節だったと思う。
 ――弟のお母さまとわたしのお母さんは別なひとだったの。
 ――日曜日のお出かけにいた女の人はね、お父さんの愛人だったの。弟のお母さんなんだけどね。
 ――わたしのお母さまはブスだったの。
 ――お父さまは美人な愛人へのプレゼントと同じものをお母さまにプレゼントしていたの。
 ――同じものを買っても、ブスには全然似合わないのにね。
 ――お母さまはね、弟が死んだのを喜んでいたわ。
 ――あの事件があってから、お母さまはお父さまの新聞にアイロンをかけるようになったの。もちろん弟についての新聞記事を黒焦げにやいてしまうためにね。
 ――写真でも弟の姿を残したくなかったみたい。
 ――お母さまは、ありがとうっていって、わたしを大事にしてくれたわ。
 ――でも、そのときお母さまはもう壊れていたの。心がね。
 ――わたしも壊れているけどさ。
 ――ねえ、カナエさん。わたしが売春しているのしっているよね。
 ――わたしね、小さい頃トラウマがあってね……。
 ――わたしは汚いからお風呂に入ればきれいになるような気がして。
 ――わたしね、小さい頃は外国人になりたかったの。
 ――生まれ変わったらマリリンモンローになるの。

 マチコは涙をボロボロ流しながら手をうごかす。さっきよりも作業スピードがちょっとだけ上がったみたいだ。秘密って人をうごかすのにとっても効果的だ。

 わたしは、マチコの秘密を口にしたのだ。

 おかげでマチコはとっても頑張ってくれたので助かった。

 それにこの部屋はシャワーで洗い流せるからとっても便利だ。
 人の家なのによくもこんな贅沢な改装をして図々しさにあきれていたが、今回は意外と役にたったので許してあげることにしよう。

 わたしは「じゃあ、あとはお願いね」そういって、マチコの部屋をでキッチンに向かった。

 ニンニク、ショウガにネギの青い部分。適当に香りの強い具材を鍋に放り込む。よく水で洗った肉も放り込んで、醤油とお酒をたっぷり。もちろん、うまみのもとになるお砂糖を忘れずに。

 この家で一番大きな鍋でわたしは適当な感じで料理をする。

 できるだけ臭みをとって、こってりとした醤油の味にすることが目的なので、何かを調べることなく、適当に材料を鍋に放りこんで煮込むだけだ。

 換気扇を回すか一瞬迷ったけれど、不自然なのでいつも通り換気扇のスイッチを入れる。
 ファンがゆっくりと動き出し、次第に目で追えないくらい早く回転する。
 ガーともゴーともいえない、中途半端な音が耳に響く。

 できるだけいつもと同じ調子でわたしは台所に立つ。
 次第に、いつも通り想像していた通りの食欲を刺激する匂いが漂い始める。