シェアハウスの君と

「ねえ、マチコお願い」
 その日も私はマチコの部屋のドアをたたいた。
 曇りガラスでできたそれはコンコンと冷たい音を立てる。
 中指の骨がガラスと共鳴してちょっとだけ痛い。

 マチコは起きてこない。

 いつもなら、バタバタと音がしてちょっと時間をおいて、フェイスパックを張り付けた「イヌガミケか!」とつっこみたくなる恰好で現れるというのに、今日は一向に現れる様子がない。
 眠ってしまっているのだろうか?
 そういえば、この前もアイスコーヒーをがぶ飲みしながら「最近あんまり眠れないんだよねー」なんてぼやいていた。
 眠れないならアイスコーヒーなんて飲まなければいいのにと思ったが、マチコが飲んでいるのは私が作ったアイスコーヒーだ。あらかじめコーヒーを濃い目に作って凍らせたものを砕いて冷たいミルクに放り込んでいて、マチコはとても喜んでいた。「ブラックダイヤモンドみたいで綺麗ね……」なんていってくれて私はマチコが眠れないといっていたにも関わらず、おかわりまで作ってしまった。

 もしかしたら、睡眠薬でも飲んでいるのかもしれない。結構いろんな人から、病院でそういうお薬がもらえるという話を聞いている。そういえば、なんかこの前も雑誌で、スマホとかパソコンを使うようになって、夜までそれを使っていて眠れない人がたくさんいるという記事をたくさん読んだ。あと、不安とかストレスも睡眠を妨げるっていうのもテレビでみた。午前中からやっている番組で、主婦向けのなんだろうけど、なんだか視ちゃう。ニュースやらお買いもの情報に健康に美容。ターゲット層じゃなくても、流行っているものはどの世代も基本的には同じなので、意外とみていて情報収集になるのだ。
 結構為になるし、面白い。
 私ってきっとよく、頭が悪いって思われている。
 周りの人の私を見る目がそういっているのだ。
 服装もそうだし、喋り方もちょっとあれなのはわかっている。
 子供の頃から勉強は得意な方じゃなかった。国語は物語を読めるのはとても好きだったけれど、作者や登場人物の気持ちを考えましょうと問題をだされるとたちまち訳がわからなくなってしまう。目の前にいるクラスメイトの気持ちさえもわからないのに、どうして、遠い世界にいる物語の登場人物の気持ちや遠い時代にいる作者の気持ちが分かるというのだろうか。人の気持ちなんて分からない。よく「顔に書いてある」っていうから小さなころ、人の顔をじいっと見続けたこともあるけれど、最後に嫌な顔をされた。その嫌な顔をされるまで、めいわくをかけていることにも気づかなかった。算数は壊滅的に苦手だ。足し算と引き算は何とか分かるのだけれど、タダシ君やタケル君が反対側からスタートしてすれ違う瞬間を求める意味なんて分からない。分数の掛け算や割り算はもうちんぷんかんぷんだ。どうしてさかさまにして掛け算をしたりできるのだろう。何パーセントかを求めるのも嫌いだ。ジュースは百パーセントの方が美味しいのに、どうして薄めたものを作るのだろうか。
 そんなんだから、学校の成績はあまりよくなかった。
 それに加えて喋るのがゆっくりなことも周りから鬱陶しがられた。頭の中のことをゆっくり整理しながら間違えないようにはなすのが、どうもまどろっこしいらしい。間違ったことはいっていないはずだけど、学校の先生は間違ったことでもどんどん声をあげてはきはき喋る子のほうが好きなようだった。今考えてみるとたしかに、その方が子供らしくて可愛らしい。子供の言うことなんだから可愛らしければそちらのほうがいいのだ。
 そんなんだったから、私は勉強とか学校があまり得意じゃない。
 だけど、それは馬鹿ってことではない。
 私は結構本を読むのが好きだ。
 週に三日は図書館に通っている。
 昔はあの大きな古めかしい建物にたくさんの本が詰まっていてとても苦手だった。なんだか、古い本て怖い。特に大きくて厚い古い本が。色んな人がその本を読んでいるってことは、いろんな人の肌の欠片がその本のページしみこんでいるみたいで気持ちが悪い。たまに、古いシオリが挟まっていることもあるし。どこかの本屋とか文庫本についていた、ありきたりな広告や書店の一覧がのった厚紙ならいいけれど、手作りのものだったときはなんとなく気まずい。小さな子供の手作りだったときは、この子供は今は大きくなっているのだろうか。このシオリをなくしたひとは悲しんでいないだろうか。など、なんとなくふいに誰かの人生に関わってしまったみたいで居心地が悪い。それに、本当に時々だけど、誰かの髪の毛がページの間から出てきたときは、気持ち悪くて頭がおかしくなりそうになる。手首までをひっかくようにしてあらわないと気が済まない。
 それにあの、本棚と本棚の間の別世界に行ってしまったみたいな妙に薄暗くて湿っぽい空気も苦手だった。
 だけれど、最近は図書館も昔と随分変わっていて、明るくて居心地の良いスペースもある。
 特に私が通っている図書館は入館すると、昔のお役所の建物みたいに目の前に大きな階段があってそれが二階にある視聴覚ホールに続いている。淡い紫色の絨毯がしかれたその階段はなんとなくドラマの中の世界見たいでちょっとだけワクワクする。私のお気に入りスペースはその階段のおかげで天井が高くなっている部分に置かれたソファーだ。目の前には雑誌が飾られたラックが置かれている。雑誌の最新号にはちゃんとビニールのカバーがかけてある。
 雑誌は難しい経済や化学のものしかないと思っていたけれど、最近は主婦向けの雑誌とかファッション誌とかお料理などいろいろなものが取り揃えられているので、私はそれらの最新号を毎月一通り読んでいる。
 読んでいく中で文字ばかりの文芸誌でもぱらぱらとめくると最近は漫画がのっていることもあるのでそこも毎月探して読んでいる。
 私は決して馬鹿じゃない。

 馬鹿じゃないもん。