「ただいま」
 昔はこのことばが大嫌いだった。
 僕は小さい頃からかぎっ子で、僕には『おかえり』が返ってこないから。
 でも、いまは違う。
「ただいま」をいえば、必ず「おかえり」が返ってくる。
 誰かが、必ず僕の帰りを待っていてくれる。
 これって、とてもほっとするし、幸せなことだ。


「おかえりなさーい。ごはんにする?お風呂にする?それとも……あたし?」

 きゃぴきゃぴと明るい声が僕を迎える。
 少女のようにテンションが高く、元気いっぱいだ。ちょっとだけ、ふざけた口調がなんとも可愛らしい。
 パタパタとかるい足音が聞えたあと、僕の前には花が咲いたみたいな笑顔の女性がいた。
 若草色のアンサンブルニットに真っ白なエプロン。
 清楚な服装なのに、ニットの胸元は大きく開いていて、高級美容クリームがたっぷり塗り込まれているであろう白い肌が輝いている。目をそらしたいけど、ついつい凝視してしまう。
 その視線に気づいたのサクラはわざとこちらに乗り出して「やっぱり、わ・た・し?」なんて言って、ウインクをして見せる。今時、ウインクなんて古臭い気もするが、サクラの表情はちゃめっけたっぷりでとっても可愛い。

「ご飯がいいな」

 僕がそういうと、サクラはふふふと笑って「じゃあ、準備してくるね」とくるりと回ってキッチンに走っていった。
 また、ぱたぱたという軽い足音が廊下に響く。

 いい匂いが、漂っている。
 今日の夕飯は何だろうか。

 コトコトとなにかが軟らかく煮こまれる音、ジュワーと油が威勢のいい音を立ててこうばしい香りが漂ってくる。
 一人暮らしを始めたころの自分のまずい手料理やスーパーで赤い札をはられて脂が浮いてしなびた総菜と比べ物にならないごちそうが今日も食卓に上る。