シェアハウスの君と

「ねえ、風邪は治らないのかい?」
 ある日、僕はわざとすっとぼけた声を出してそう彼女に問うた。
 いちごちゃんはずっとマスクを着けている。
 よく笑い、よく話し、誰よりも積極的に動き出す。具合が悪いようには到底思えなかった。
 淡い色と光に包まれたみたいな彼女の中で、その口元だけが純白で異質だった。

 僕はさらにすっとぼけて続ける。
「いやさ、いちごちゃんっていつもマスクしてるなあって。不思議でさ。もし、具合悪いなら病院に行った方がいいんじゃないかなって」

 いちごちゃんの三日月のような弧を描いた目が固まる。
 いつもなら、女の子らしい色が次から次へと移り変わる彼女の表情であるその目が、冷たく何もうつさなくなる。
 細い隙間からは真っ黒な闇があいていた。
 いや、闇がこちらを窺がっている。
 真っ暗な洞窟の中にはどんな怪物がいるのだろう。

 今までの僕だったら、失敗したと思って、その闇から目をそらしていた。だけれど、決めたのだ。
 僕はこの家の一員として、ちゃんとみんなと向き合うと。
 僕はしっかりといちごちゃんの目を見つめる。
 三日月形の隙間からはなんの変化も見られない。
 どれくらいの時間がたったのだろうか、気が付くと手に持っていた湯飲みがとても冷たくなっていた。

「お茶淹れなおすね」

 いつもの調子のミルクキャンディーみたいな声が僕の耳に注がれる。その声はいつもよりべたついていて、パキリと割れることなく、耳の中にカタツムリが入りこんだみたいにねっとりと這い回る。伸びたり、縮んだり、引き伸ばされたり、詰め込まれたり。
 僕の耳に押し込まれて、中で形を変えて僕の耳を塞ごうとする。
 ――ねえ、そういえば近所に新しいケーキ屋さんできるみたいだよ。みんなで行きたいね。
 ――ねえ、ねえ。そういえばもうすぐ期末テスト?
 ――ねぇ、このお紅茶ね、いつもよりちょっとだけいいやつ。特別だよ!
 ――ねェ、何かおかしあったかなー。サクラちゃんいないと困るね。
 ――ねエ、どこか行きたいね。
 ――ネエ、ナニガシリタイノ??

 彼女の言葉が僕の耳に、脳みそにぎゅうぎゅうと押し込まれ僕の思考は停止する。

 光を失った真っ黒な瞳の彼女は宇宙人のようだった。

 いちごちゃんが僕を見つめる、いや、僕を見つめているのは彼女の闇だ。