シェアハウスの君と

「えっ?やだー、まじで信じたの。冗談なのにぃ」
 僕が銀貨を2枚差し出すと、サキュバスは笑った。赤い唇からは形の良い白い歯がちょっとだけのぞく。
 悪びれることのない彼女の笑いはなぜだかちょっとだけ僕を傷つける。
 ああ、彼女はやはりあっちがわの人間なんだな。そう、僕は彼女が苦手だ。
 別に彼女が悪いわけじゃない。
 だけれど、僕は彼女との間に壁を、いや、要塞を築かずにはいられない。
 僕は几帳面な性格なのだ。
 あっち側とこっち側をきちんと分けておきたい。
 一点の曇りもなく無邪気に笑う彼女は魅力的ではあるが、僕にとっては毒なのだ。
 彼女みたいな人間と僕は人種が違う。
 高校生だった時のことを思い出してほしい。購買で昼食のパンを何とか手に入れて教室に入った瞬間を。
 教室の真ん中で机に軽く腰かけて、大きな声で談笑しているのが彼女だ。その手には、僕が争奪戦に負けて手に入れられなかった唐揚げと幻と言われている伝説のメニューチョコレートメロンパン。チョコチップメロンパンではなく、チョコレートメロンパンだ。なんでもうわさによると、サクッとした生地に甘いチョコレートクリームがはいっていてとても美味らしい。そして、それを好きな人にプレゼントすると両想いになれるというのが女子の間のみならず男子の間でもささやかれている。僕がしっているくらいなのだから、みんな知っているだろう。
 それに無造作にかぶりつく彼女は可愛らしいと同時にその誰かの好きという気持ちを受け取り慣れているのだろう。彼女が無邪気で無頓着なことは僕には関係のないことだからどうでもいい。
 問題は僕の机は彼女の属するグループの誰かが座っていることだ。
 僕は自分の定位置を失う。
 学校という空間はよく檻にたとえられる。
 こんな空間に閉じ込められてと思春期の少年少女たちは嘆いている。しかし、案外しっかりと枠を示されることによってうまくいくこともあるのだ。
 狭くてもひとりひとりに平等に自分の席という領土が与えられているのだから。
 ただ、昼休みという無法地帯に僕が席を外したのが悪かったのだ。主がいない領土は簡単に強者によって侵略される。
 僕の手に残るのは正体のよくわからない白身魚のフライが挟まれたパンだけだった。申し訳程度にキャベツの芯を刻んだようなごわごわしたものが入っているのが、またなんとも悲しい味がする。
 居場所がない僕は仕方なく、学校の中をさまようのだ。そして、人気のないところで一人冷たくなった調理パンをかじる。
 まずい。

 別に彼女は悪くないけど、彼女みたいな人間を見ると苦手意識を持ってしまう。
 高い高い壁を築いて彼女たちに侵略されないように警戒してしまう。

 あまりにも無邪気な彼女のペースに巻き込まれたくない。そんな気持ちが僕の言葉をささくれさせる。
「君がいったんじゃないか」
 僕は、言葉を吐き出した瞬間、その冷たい響きに自分でもびっくりした。

「あっ」と彼女は小さく声をあげたあと、「ごめんね」ときれいな声で言った。
 僕も申し訳なくなって謝る。

 なんとなく沈黙が続く。
 それはそんなに気まずいものでもなかったし、ああ、この女でもこんなに静かに黙っていることができるんだなあなんて僕は考えていた。

 その夜、サクラにこの話をしたら、サクラはにっこり笑ってこう言った。
「ルールその3、仲直りはその日のうちに」
 もちろん、2枚の銀貨は近所のケーキ屋の特大スイートポテト(ちょっとしたケーキサイズ!!)になって僕らのお腹に仲良くおさまった後だった。