シェアハウスの君と

「ねえ、聞いてなかったの?てか聞いてる??」

 真っ赤な唇の彼女は、「もう、仕方ないなあ」なんてぶつくさ言いながら、どかどかとキッチンに消えていった。
 僕はショックのあまり、ソファーの上にあるクッションの中で一番お気に入りの色の水色を抱きかかえて顔をうずめる。
 すべすべとした生地は、光の加減で虹色に輝く。ひんやりとしたそれは、僕の火照った顔を冷やしてくれて気持ちがいい。
 でも、なんで、なんでこんなことになるんだ?
 ああ、あの頃に戻りたい。
 映画館の女の子とアオハルしてた頃に戻りたい。
 淡くて光に溢れていた僕の青春。
 さよなら、僕の青春。
 僕は汚れてしまった。

「ほら、これ飲んで」
 目の前に、小さなマシュマロがたっぷりのせられたココアがおかれた。ココアが入れられたマグはやたら大きい。犬だか猫だか分からないちょっと間抜け面のキャラクターが描かれている。ちょっとだけ笑える。
 僕は紅い唇の言うままにココアに口をつける。
 マシュマロはシュワシュワ言いながら輪郭をチョコレート味の海に溶かして、溺れていく。
 熱くて味はよくわからないが、熱くてこってりとしたものが喉を滑り落ちお腹の中にたまっていく感覚は心地よかった。
 身体の中にあったかい泉ができる感じというか。うまく言い表せないけど、よくジブリ映画にでてくる魔女みたいなおばあさんの部屋ではいつだってヤカンが湯気をあげているのが分かる気がした。
 温かい飲み物は薬なのだ。
 そう、いろんなことから心を守ってくれる魔法の薬。
 僕の心の緊張はゆっくりとおなかのなかのココアに溶け込んでしょうかされていく。
 目の前では紅い唇が穏やかな顔でこっちを見ている。
 飲み物を作ってくれたせいかもしれないけど、まるでジブリに出てくる優しいおばあさんみたいな眼差しだ。
 僕は気まずくなって目をそらすし。
 カップに顔をうずめながら、そっと彼女を観察する。
 唇だけは第一印象と変わらず赤い。まるで金魚を食べたみたいだ。
 時折、キラキラと小さな粒子がそこで輝く。
 ネコみたいに好奇心でいっぱいの目。
 モード系なのか真っ黒な服。
 背筋はまっすぐで自信たっぷりなことが伝わってくる。

「で、ルールその2、聞いてなかったの?入ってきたのがあたしでよかったわね。感謝しなさい。あと、それから、特製ホットチョコレート代650円になります」

 彼女はまたニヤリと笑う。
 きっと、遊び慣れた男ならこのニヤリも魅力的なんだろうな。
 僕は彼女のいれたココアを飲み干して、部屋に財布を取りに行った。