彼女の白い手が離れていく。
 その想像よりも冷たくすべすべとした感触が離れていく瞬間を僕はとても寂しく感じた。
 薄いピンク色の爪は桜貝みたいだった。もう一度その指先でもいいから触れたい欲求に駆られる。
 冷たい指先にある人魚の宝石をもう一度だけ触れてみたい。
 その冷たくて滑らかな感覚をもう一度味わいたいと手を伸ばしかけた。
 そんな僕を彼女は小首をかしげて見つめていた。
 白目との間が薄く碧みがかった眼がこちらを見つめる。瞳は彼女の見ている世界を映しているのか、次々といろんな色に変わっていく。
 その変化は驚くほど速くて、僕がしっているどんな色よりも鮮やかだった。
 目が回るようにはやくすすみ僕を取り残していく大学生活の中で僕の時間は一瞬だけ止まった。
 その瞬間は僕に恐ろしいほど静かな時間を与えてくれた。
 想えば僕は、大学生としての生活に必死にしがみついていた。
 慣れない新しい生活のスピードに振り落とされないように僕は必死だった。
 講義には休まずに出席し、ノートもきちんととって、レポートも期日前に提出した。
 だけど、僕の大学生活はそれだけだった。
 アルバイト仲間に囲まれてわきあいあいと居酒屋で働いたり、テニスサークルに入ってちょっとした甘酸っぱい思い出を作るなんてこととは無縁だった。
 僕が大学生になってしていたことは、授業を受けることだけだった。
 大学生になって、自由と青春を謳歌することを夢見たのに、僕がやったことはただ授業を受けることだけ。
 なんて馬鹿だったのだろう。
 青春は講義室で起こっているんじゃない、大学周辺で発生しているんだ。
 そして、いま目の前にそのチャンスの女神がそこにいた。
 僕はこのチャンスを決して逃してはいけないのだ。
 なんとしても今、目の前にいる女神を捕まえなければならない。
 僕は必死に頭を働かせる。
 春の日差しの中で食べるキャラメルみたいにふにゃふにゃととろけかけた僕の脳みそを必死に働かせて僕は一つの決断をした。

 僕は彼女に一つの嘘を吐いた。