部室に着き、事のあらましを説明すると、部員の誰もが驚愕した。
「ええっ! だ、大五郎さん! 女性に触れるようになったんですかっ!」
興奮気味に詰め寄っていく見浦を中心に、大五郎はあっという間に人に囲まれた。
「ああ、恐らく問題ない。握手くらいなら、今すぐにでもしてみせよう」
「じゃ、じゃあ、私! お願い、したいです……」
豊島大五郎ファンクラブ会員の疑惑がある見浦が右手を差し出すと、大五郎は迷わずその手を握った。
「わ、わぁ」
握手をする大五郎と見浦。
まるで本当に俳優とファンのやり取りのように見えるそれが、米崎の目にはたまらなく眩しかった。
「ようやく……ここまで来たんだな」
「ですねえ……」
江木も同じように頷く。
それからは取り合うように大五郎の握手会が始まった。
部員の中には見浦のように大五郎に憧れて入った者も少なくないので、必然の流れと言えるだろう。
「……本当なら、練習をしてほしいところだが。今日くらいなら、まあいいか」
米崎のその一言を皮切りに、部内はイベントの様相を呈した。
各々が雑談に花を咲かせ、どこからか誰かがお菓子を持ってくるとそれに群がってプチ宴会が始まった。
誰も口に出さずとも。大五郎の性質には思うところがあった。
女性に触れることができれば、彼の演技の幅ももっと広がっていたはずだと、部員であれば誰もが一度は考えていた。
そんな念願の想いが成就した日とあれば、盛り上がるのも必然だろう。
「さあ、他に俺と握手したいものはいないかあ!」
空気にあてられて、すっかり出来上がった大五郎が朗々と周りに呼びかける。
と言っても、もうほとんどの部員が握手した後だったので、特にその後に続く者はいなかった。
ただ、一人を除いて。
「私も、いいかしら」
倉嶋リオが、豊島大五郎の前に現れる。
そして他の部員と同じように手を差し出した。
「ああ、そうか。お前がまだだったな、よし」
「違うわよ。私が求めているのはそっちじゃない」
握手をしようと大五郎が手を出すと、リオが首を振った。
「さっきの続き、いい加減してくれないかしら」
「……抱擁の方か。悪いが今日は、そういう気分じゃない」
またもや、大五郎がリオの誘い出を断った。
賑やかだった会に、一瞬にして緊張感が走る。
「何で? さっきあの子にはしてたじゃない」
リオが江木を指さして言う。
指摘された江木の方は、バツが悪そうに頬をかいていた。
「検証のために背中を触っただけだ。抱擁などはしていない」
「なら検証でもいいわ。私の背中に触りなさいよ。胸だって揉んだのだから、今更照れることなんてないでしょう?」
む、胸ぇ? と辺りがざわつき始める。
だが、当の二人はそんなガヤなど意にも解さない。
「あれは事故のようなものだろう。第一俺にそんな意志はなかった」
「何? じゃあ触りたくなかったってこと?」
「そうは言ってないだろう」
大五郎とリオの言い合いなど、部活始まって以来のことだった。
リオは大五郎に絡むことはあっても否定することはしなかったし、そんなリオを大五郎はうまくあしらっていた。
そんな二人が、目の前で一触即発の危機に陥ってる。
「……これ、どうなるんだ」
誰かの声が聞こえた。
あるいはそれは、自分の声だったのかもしれない。
横で吾妻が明らかに動揺している。
「どうしよう……」「こんなはずじゃあ」と、何やら一人で呟いているが、米崎にとってそれどころではなかった。
この争いは、きっと互いを思って起こっていることだ。
嫌っているわけではなく、互いが互いを憎からず思っているからこそ、その表現方法の差によって生まれているすれ違いだ。
ならば、周りの人間にできることなど、何もない。
ただ、黙って見守っていることしか――。
「……ふざけないでよっ!」
怒号、というにはあまりにも感情的な。
叫んだリオの目尻には、うっすらと涙がにじんでいた。
「どうしてわからないのよ! 私はずっと……。あんなくだらない茶番にだって、何も言わずに黙ってた! あなたが私に触れられるようになるためには、私が色々しない方がいいって思ってたから、ずっと我慢していたいのに!」
「…………あ」
そういえば、と米崎は思う。
リオは今回の件に関して、どちらかといえば協力的だった。
かと思えば自分勝手な行動を起こし、場を掻き回してはいたが。
それでも、胸を触らせた時も、気絶した大五郎にキスをした時も。
リオはどこか、寂しそうな表情をしてはいなかったか。
そして今回の多目的室の件。
リオは何も言わず、何もしなかった。
あの時のリオは、てっきり米崎を含めたテンションを冷ややかに見つめているものだとばかり思っていたが。
もしも、自分が余計なことをしてしまうことで大五郎の克服に時間がかかってしまうと考えていたのなら。
そうまでして大五郎のトラウマを克服したい理由。
大五郎に、女性に触れられるようになってほしかった理由など。
そんなものはきっと、いや絶対に一つしかない。
「……もう、いい。私帰るわ」
荷物を乱暴に掴み、リオが早足で部室を出ていく。
その姿を見ても、大五郎は何も言わない。
「大五郎! どうして何も言わないんだよ! 大、五郎……?」
米崎が振り返って大五郎の方を見ると、彼はまたいつものように座ったまま意識を失っていた。
「……へ? 何で?」
「多分、調子に乗って握手しまくったツケが回ったのでしょうね」
江木の冷静な指摘に、なるほどなと相槌を打つ。
「つくづく、しまらない奴だよお前は……」
しかし、米崎はそんなところも含めて大五郎が愛らしかった。
それはきっと、リオも同じだろうと思う。
「で、アイツ……倉嶋についてだが。どうするか」
多分、今大五郎以外の人間が動いても何も変わらない。
となれば、自分たちはここで大五郎が目を覚ますのを待っているしかないということになる。
「あ、あのぅ」
おずおずと、躊躇いがちに吾妻が手を挙げる。
「どうした? 吾妻」
「えっと……。今言うことじゃないけど、でも今言わないと多分もう言えないと思うから言いたいんだけどぉ」
「ん? どうした、はっきりしないな。言いたいことがあるならはっきりとしろ」
「う、うん。実は……あの脚本、『フレアマインド』についてなんだけど。あれ、実は頼まれて書いたものなんだぁ。ある、人から……」
「頼まれた……って、まさか」
米崎がそう言い、続きを促すと吾妻がゆっくりと頷いた。
「頼んだのは、倉嶋リオ。どうしてもぉ、触れ合いたい人がいるって」