週明けの放課後、またも一同は多目的室に集まっていた。
しかし今回は少し顔ぶれが違う。
大五郎に、米崎、リオ、江木、それから吾妻がいた。
見浦はと言えば、細かい雑務がたまってきているせいでメインの方に駆り出された。
それだけ、残り時間が迫ってきているとも言えるだろう。
「さて、今回だが。いよいよを持って時間が無くなってきた。今日明日でもしも改善しないようなら、本格的に別の手段を取ろうと思う」
各々が神妙に頷く。
別の手段というのは、三年生のみで行う即興劇のことだ。
何の準備もしないというわけではないが、大五郎の言うようにお祭りだということであれば、アドリブを含めた劇であっても温かく迎えてくれるだろう。
どうしても脚本は弄れないという吾妻の心情を優先した苦肉の策ではあるが、できることならその手段は使いたくない。
長年、文化祭で演劇部は新作の脚本で劇をすることが習わしだ。
そういった伝統を崩せないという理由も勿論あるが、ここまで協力してくれた部員たちの努力を無下にしたくなかった。
大五郎としても、自分のせいで劇ができなくなれば責任を感じてしまうだろう。
それだけではない。
米崎の中にはまた別の、リオへの想いが湧いていた。
ここでもし、大五郎が女性に触れられるようになれば、二人の仲は少しでも変化するのではないか。
それが必ずしも好転ではないにしろ、そう思っているからこそリオも積極的に協力しているのではと米崎は考えたのだ。
ならばここは副部長として、部内における功労者二人を労う意味でも是非一肌脱いでおきたい。
そんな内なる思惑が、米崎の中にはあった。
「ということで今日も色々試していこうと思うわけだが、その前に……大五郎」
「ん? 何だ」
大五郎の真っ直ぐな目が米崎を捉える。
まるで米崎が何を言おうとしているのかを、分かっているかのように。
「答えづらかったら……いや、できれば答えづらかったとしても言ってほしい。お前がどうして、女性に触れられなくなってしまったのか。その、理由を」
全員の空気が固まる。
触れようとして、誰もが触れられなかったアンタッチャブルの領域である。
「……そうだな。俺も覚悟を決めるべきかもしれないな」
深く息を吐き、大五郎がどこか遠くを見つめる。
「ずっと、話そうと思ってはいた。だが、それを思い出そうする度に、心がざわつくのだ。ある一人の、痛ましい記憶を掘り起こすことになってしまうからな」
ゴクリと唾を呑む。
重たい唇を開き、大五郎がついに、記憶の一ページを開いた。
「叔父が、童貞だったのだ」
その真剣な語り口から。
あまりにもふさわしくない言葉が出てきたことによって。
場の張り付いた空気は行き場をなくし、誰もがするべき表情を忘れてしまった。
「童貞だからモテないのか、モテないから童貞なのか……。とにかく叔父は、
多くの女性から嫌われ続けた。しかし叔父は、それでも叔父は、あきらめず女性に話しかけ続けた。そんなある日……。叔父は、童貞を拗らせて死んだ」
これは、どういう表情で聞けばいいのだろうか。
あのリオですら、目を丸くしたままそれ以上何をすることもできないでいる。
「叔父は、女……叔母になったのだ。自分が男で、童貞であるという事実に耐えられなくなって」
ふう、と息を吐いて、大五郎が全員を見回す。
「この中にいる全員が、同じ人種とは思っていない。だが、もしも俺の関わる女性の中に、叔父を叔母に変えるまで責め続けたような輩がいると考えると、たまらなく恐ろしかったのだ。だから俺は、そんな恐ろしい女性に触れることを無意識的に避け、同時に叔父から否定されないため、俺自身も童貞でい続けたのだ」
大五郎の顔は、至って真剣そのものである。
だからこそ、米崎も同じように真剣に聞かざるを得なかった。
「その叔父……叔母は、今どうしているんだ?」
「ああ、結婚した。ブラジル生まれのナイスガイとな。今は南米の方で幸せに暮らしているそうだ」
ふっと力なく笑い、大五郎が寂しげに窓の外を見つめる。
「まさか叔父も、俺があんな昔話を未だに拗らせているとは思ってもいるまい。だが、女への私怨に満ちた、当時の叔父は本当に恐ろしかった。『女に触れたら死ぬ、確実に死ぬ。仮死状態を作れ、意識を失えばまだ助かる』と繰り返し聞かされた。そんな言葉が、高校に入ってからもトラウマになるほどにはな。本当に……」
肩を震わせて、大五郎は自らの手で顔を覆った。
「なんて、バカな話なんだこれ……。できることなら、一生触れたくなかった……」
「だ、大五郎!」
思わず米崎は大五郎を抱きしめていた。
もう何もかも分からなかったが、とにかくそうするべきだと思ったのだ。
「大丈夫、お前はまだ大丈夫だ! きっと幸せになれる! そうだ、お前たちもそう思うだろう?」
「う、うん! そ、そうだねぇ!」
「え、ええ! 本当に、私もよくわかります!」
「みんな……こんな俺を、それでも慕ってくれるのか」
「当たり前だろう! 俺たちは一つ、一蓮托生だ! これから何があっても俺たちだけは裏切らない! なあ、そうだろう!」
「そ、そうだともぉ!」
「は、はい。私も裏切りません!」
テンションを見失い、それでも互いに言葉をかけ続けた結果として、辺りには妙な空気が漂っていった。
米崎が、全員に向かって言う。
「よし! みんなでハグし合おう! そうやって俺たちは、友情を育んでいくんだ!」
「え、でも……私。多分大五郎さんに触れたら……」
「大丈夫だ! 俺たちは一つだ! ここにいる五人に、性別の壁なんかない! なあ大五郎! そうだろう!」
「あ、ああ。しかし、だが……」
「何を恐れているんだ! お前ともあろうものが、情けない! 男大五郎、お前に抱けないものなどないはずだ! 夢、希望、自由、未来、愛、男、女! その全てが、お前の掌の上だ! あとはそれを掴むだけなんだよ!」
途中から、何を言っているのか米崎自身も分からなくなっていった。
熱量と雰囲気だけで、それらしい言葉を後から乗せているような感覚だった。
「米崎……。そうか、そうだったのか……。俺はもう、全てを持っていたのだな……」
そんな言葉たちも、あるいはそんな言葉だったからこそ、大五郎には届いた。
理不尽すぎるトラウマを抱えた一人の少年の心を溶かしたのは、同じように理不尽な情熱だったのかもしれない。
「よ、よし。行くぞ!」
「は、はい」
「う、うんっ」
「ああ、行こう!」
四人が波長を合わせ、一斉に抱き合う。
目を瞑り、誰が誰かも分からない状況で。
すると……。
「お、おお! 触れてる! 触れてるぞ!」
「ほ、本当か! 意識はあるのか!」
「ああ、バッチリだ。俺に触れる三人の手を、しっかり感じているぞ!」
「わ、私の手、分かりますか?」
「ああ、分かる! 手がいっぱいだ! 俺たちは自由だ! 恐れるものなど何もない!」
「よ、よかったねぇ、よかったねぇ!」
各々のボルテージが勝手に上がり続ける中、リオだけは冷静に四人のことを眺めていた。
一度も輪に入ることなく、何も言わず。
ただ事の成り行きだけを見守っている。
それから、四人が正気を取り戻すまで、この異様な語り合いは続いたのだった。