その後も。

 思いつく限りの案をできるメンバーで持ち回り提案していったのだが、結果として一番の進展は「相手を女性と認識しなければ触れることができる」というものだった。

「まあ、何もなかったよりは良かったと考えるべきか……」

 ぐったりとしたまま、放課後になったのでメンバーは部室へと向かっていた。
 大五郎に関しては、直前でまたリオの暴挙で気を失ったため、仕方なく米崎が担いでいる。

「あ、お疲れぇ」

 部室に戻ると、ちょうど練習を終えた部員たちが片付けをしているところだった。

 米崎が現場を取りまとめられない今、脚本担当の吾妻が指示を出している。

 比較的、米崎と対立することが多い吾妻だが、熱心で真面目なため特殊な事情がある時は今回のように全体の取りまとめも行う。

「どうだったぁ? 大五郎君」

「どうもこうもない。一応進歩はあったが、基本的には現状のままだ」

 内容を吾妻に説明し――胸の下りはカットするなどしたが、大まかな流れを共有すると吾妻が不意に首をひねった。

「でもさ、そもそも大五郎って、何で女性に触れられないのかなぁ」

「何でって……」

 それは以前も、聞いたことがある。

 すると彼は「幼少期のトラウマだ」と怯えながら言っていたので、深く言及することはなかった、が。

「……なるほど。そこは盲点だったな。その辺りに案外金脈が埋まっているかもしれない。でかしたぞ吾妻、お前のおかげでまた進展しそうだ」

「い、いいって! 大五郎君が倉嶋さんに触れられるようになってくれたら、僕としても助かるしぃ……」

「ん? どういうことだ?」

「え? あ、いやぁっ! な、何でもない、かなぁ?」

「……? そうか、ならいいが」

 若干疑問は残ったが、脚本を書いているのは吾妻だ。

 自分の作品が思い描いたように演じられることに、特別な感情があっても何ら不思議ではなかった。

「とはいえ、今日はもう遅い。その辺の話はまたすればいい……ん?」

 何気なく周りに視線をやると、リオが気絶している大五郎のことをジッと見つめていた。

 どうしたのか、と様子を見ていると吾妻から声がかかった。

「じゃあ僕、もう帰るねぇ。お疲れ様ぁ」

「ああ、お疲れ。また明日」

 挨拶を交わすも、米崎はリオの様子が気になっていた。

 元々リオはかなり気のてらった行動をする方だ。

 自分の思うがまま、あるがまま、野性的とも取れる本能に基づいた行動には米崎にも覚えがあるし、手を焼かさせれたこともある。

 それでも、今日のリオはいつにも増して異質だった。

 過激という点でもそうだが、今日のリオはあくまで提示されたルールの中で動いていた。

あくまで大五郎が女性に触れられることに対し協力的で、やり方こそ違っていたが、今も本気で心配して覗き込んでいるように思える。

「……そういえば、江木がそんなことを言っていたな」
 不意に思い出す。

 大五郎へのリオの態度は、恋する乙女のそれだと言っていたことを。

 あの時は何も考えずスルーしたが、それもあながち間違っていないのかもしれない。

 米崎にとって恋愛感情の類は演劇にとって邪魔なものと切り捨ててはいるが、今回のような件に関してはそういった強い感情があるいは鍵になるのかもしれない。

そんな事を考えていると、大五郎を覗くリオが彼に顔を近付けた。リオはそのまま、自らの唇を彼の唇に触れさせる。

「……んっ」

 短い呼吸音と共に、リオが彼から顔を離す。

 頬は紅潮しており、目はとろんとして焦点を失っているようだ。

 そんな二人を見ていた米崎と言えば、

「ななっ、なな……」

 まるで予想していなかったとばかりに、あからさまに動揺していた。

 先程、ようやく自らの頭で「もしかして倉嶋は大五郎を好いているのでは」と思い当たったばかりなので、思考がよほど追い付いていなかったのだ。

「……あぁ、いたの」

 米崎の存在に気付くも、リオは気にもとめずに唇を拭った。

「じゃあ、私帰るから。後のことはヨロシク」

「ちょっと、おい! 倉嶋!」

 そう呼びかけるもむなしく、リオは部室から出て行った。

 とはいえ、呼びかけに応じられたところで米崎にはどうしようもなかったのだが、それでも声をかけずにいられなかった。

「んんっ……ああ」

 幸か不幸か、倉嶋が去ったタイミングを見計らったように大五郎が目を覚ます。

「最近、どうも気絶してばかりでいかんな」

 体を伸ばし、大きな欠伸を一発する。

 当然、キスの件には気付かない。
「もうお前だけか、米崎。待っていてくれたのだな」

「あ、ああ。気を失った奴を置いてはいけないからな」

「さすが副部長……といったところだが、お前は少し気負い過ぎだな」

 米崎の心境を知ってか知らずか、大五郎が優しい目を向けてくる。

「期待されているとはいえ、文化祭の劇は祭りのようなものだ。楽しませるべき劇に対し、演じる側の俺たちが気負っていると客に緊張が伝わってしまう。心配しなくても、同期も後輩たちも、立派に育っているさ」

「ああ……そうだな」

「とはいえ、女性にも触れられず気を失っている俺が言っても、説得力ないかもしれないがな!」

 豪快に笑う大五郎につられ、米崎も口角が上がった。

 しかし米崎の頭には、先程のリオの顔が頭から離れなかった。

 ――大五郎は、どう思っているのだろうか。

 でかかった疑問を、ぐっと飲み込んだ。

 大五郎はあくまで公平な男だ。

 勿論人並みに欲はあるだろうし、リオの容姿を褒める姿もよく見ているので気がないとも言い切れないが、普段の言動を見るにリップサービスの色が強いように感じられた。

 大雑把な男ではあるが、これで大五郎は人の顔色をよく見ている。

 体に叩き込ませる反復指導を主とする米崎に対し、大五郎は心をくすぐりそれぞれのモチベーションを上げた。

 そういった機微が分かる大五郎は、だからこそ一人を特別視する姿を想像できなかった。

 大五郎の人気を考えれば、恋人などいてもおかしくない。

 だが彼は、それをしなかった。

 高校三年にもなって、女性に触れられないでいるのも、ある意味でそうした平等性を保つために生まれたものかもしれない。

 だが、仮に。

 もしもリオが、大五郎への気持ちを成就させることができなかったら。

 我儘で不遜な彼女が、三年間拘り続けた大五郎の特別な存在になれないとしたら。

 それはとても、悲しいことのように思えた。