次の日から、特訓が始まった。

「というわけで、最初は私からですね」

 あれから、主演二人の強い希望により、とりあえずは現行の脚本で進めるという形に落ち着いた。

 部員に脚本を渡し、各自読み合わせと演技指導。

 細かい部分はさておいて、大まかに概要を掴むところまで詰めていく。

 その間を縫って、大五郎は女性に慣れるための特別指導を受けることなった。

 場所は演劇部から離れた多目的室。

 遮光カーテンが引いてあるせいか、どこか空間全体に物々しい空気が漂っている。

 集まったのは江木と米崎、見浦。

 大五郎も呼ばれているはずだが姿が見えない。

 因みにリオは、読んでいない上に読み合わせに参加するよう指示を出していたのだが、言うことを聞かずにちゃっかり椅子に座って、パックのリンゴジュースを飲んでいた。

 どうせ言っても戻る気がないことは自明だったので、今は「絶対に邪魔をしないこと」を条件に見学を許可している。

 時間もあまりない中、他のことに気を回していられない米崎の苦肉の策といったところだ。

 その米崎と言えば、なぜか妙にノリノリな江木を見てため息を付いている。

「どうしたのですか副部長。テンション低いですね」

「いや……色々言いたいことはあるが、どうして江木はスーツ姿なんだ? それに赤眼鏡までかけて。視力は悪くないだろう?」

「こうした方がそれっぽいからです」

 眼鏡を上げて、わざとらしい笑みを浮かべてみせる。

 着ているスーツは本物ではなく、部室に置いてあったなんちゃってスーツであり、眼鏡も度が入っていない伊達ではあるが、こうして見ると本人が言っているように普段と大分印象が変わってくる。

「ならば、俺もスーツを着た方が良かったか?」

 米崎が首を傾げて尋ねる。

「いえ、男の需要は求めてないので。大事なのは私が可愛いかどうかですから」

「……そうか」

 前々から思っていたが、倉嶋と江木は少し似てるのではないか。

 そんなことを考えていると、江木の咳払いが聞こえてきた。

「まあ、ガワの話はどうでもいいです。大事なのは中身なので。ということで、本題に入りますか。改めまして、豊島大五郎さんの登場でーす」

「ああ、俺だ」

 颯爽と扉を開けて登場する大五郎は、いつもの制服を若干崩しているようだった。

 そのせいか、どことなく色っぽさが増しているように見える。

「これは江木がやったのか?」

「指示出しだけですけどね。着替えさせちゃうとあの人失神しちゃうので」

 つくづく面倒くさい人ですよね、と愚痴を吐く。

 今度はちゃんと聞こえた。

「異性に触れられないってことは、要するに意識しすぎだということです。だから逆に、相手により異性を意識させることができれば、打ち消し合ってプラマイゼロになるかと」

「何だその謎理論は」

 途中までは理解できたのだが、中盤くらいから急に分からなくなった。

「百聞は一見に如かずです。では見浦さん、お願いします」

「ひゃ、ひゃい!」

 例のごとく最初に触れるのは見浦の役となった。

 この件に関してはリオが最後までぼやいていたが、大五郎の、

「大丈夫だ。主役は遅れてくるものだろう?」

 という説明になっているのか不明な一言で、とりあえず場は収まった。

 それでもまだ不満はあるらしく、パックのストローを噛みながら「何をチンタラしてるのよ」とぼやいている声が聞こえた。

 心なしか見浦の動きも堅いように見える。

 リオに見られて、緊張でもしているのだろうか。

「見浦、倉嶋のことはあまり気にしなくていい。何かあれば俺が責任を取る」

「え、あ……はい。そうですね。ありがとうございます」

 呆けたようなリアクションをされて、思わず拍子抜けしてしまう。

 我が事ながら、米崎は自分が人の感情を察するのが上手くないことを知っている。

 それでも今の見浦は、通常よりもやや強張っているように映ったので声をかけたのだ。

「緊張していないのか……? それとも、前提が間違っている?」

 見浦が普段と様子が違うのなら、大五郎の訓練にも影響が出るかもしれない。

 止めさせるべきか、あるいは自分の考え過ぎか……。

「はあ、大五郎さん……。いつもより色気があってカッコいいですう」

「……は?」

 自分の耳を疑った。

 大五郎の色気についてではない。見浦の反応についての方だ。

 見浦は部活に入って来た時から大人しい方で、演劇部を選ぶ生徒には珍しく自己主張もほとんどなかった。

 キャストにも脚本にも興味がなく、人数が足りないという理由で回した小道具係を不器用ながらも丁寧にこなしていく。

 そんな、地味ながらも真面目な後輩という認識をしていたの、だが。

「はあっ、どうしよう。私、大五郎さんに触るんだあ。それとも触られちゃう? それかいつもみたいに、倒れちゃうかも……。ああっ、どんな大五郎さんでも、ス、テ、キ♡」

 とても正気とは思えない彼女の言動を冷静に観察し、米崎は一つの結論を出した。

「そうか……。豊島ファンクラブの館員だったのか。実際、したんだな……」

 特徴のない後輩がなぜ演劇部に入部したのか。

 その理由をしみじみと噛み締めていると、大五郎がパチンと手を叩いた。

「よし、やろう。来い、見浦!」

「ふひゃ、ふぁあいっ!」

 気合十分の大五郎に対し、そんな彼にメロメロで若干千鳥足になっている見浦。

 対照的な二人だが、結果としては江木の思惑通り見浦には異性を意識させられている。

 そう思い横を見ると、江木はまんざらでもなさそうな顔をしていた。

 どうやら、作戦通りなのだろう。

「さあ、打ち消し合ってください。大五郎さんが見浦さんに感じている意識よりも、見浦さんが大五郎さんに感じている意識の方が強ければ、大五郎さんは気絶しないはず……。なんだったら、見浦さんが大五郎さんにあてられて倒れちゃったりしてそのまま女性に触れることを覚えた色気たっぷりの大五郎さんが夜の街へ見浦さんを連れ出してウフフ」

「…………あ」

 ブツブツ呟いている江木に気を取られていた隙に、大五郎と見浦の邂逅は終わっていた。

 全くもって、いつもと何ら変わらない形で。

「ひぅょおん」

 力が抜けた大五郎がその場に倒れる。

 あまりのあっけなさに、思わず米崎と江木は顔を見合わせる。

 それから、

「あ、あれ? 失敗?」

 動揺する江木の反応をよそに、「そりゃあこんなので解決されてもな」と米崎は秘かに思っていたのだった。