「う、うーん」
大五郎が目を覚ます。
頭を抑えつつ、辺りを見回しているところをリオが間髪入れずに話しかけた。
「私を差し置いてサボりなんて、随分なご身分ね」
「く、倉嶋……。おはよう」
「おはよう豊島君。私は寝てないけど」
二人のやり取りを見ていた江木が、米崎に耳打ちする。
「……あれって、会話が成立してるって言っていいんですかね?」
「さあ……アイツら、どちらも一方的だから」
米崎の目から見て、二人の仲は悪くない。
というより、リオが好き好んで話しかける部員が豊島しかいないから、相対的に良く見えているだけかもしれないが、大五郎もリオを嫌っている素振りはない。
「いっそ二人が付き合いでもしたら、触れる触れないの問題もあっさり片付くんですけどね」
「恋愛感情は演技に雑味を生む原因になる。勝手にするのは構わないが、引退してからにしてくれ」
「……相変わらずかったいなこの副ソ部長」
「何か言ったか?」
「いや別に全く何も」
そんな雑談をしているうちに、大五郎は立ち上がり、いつもの調子を取り戻していた。
「もう平気だ。皆、心配をかけたな」
「そう。私は全然心配してないからいいけど。ところで豊島君、次の舞台もあなたが主役になるみたいね」
「ああ、そういうお前も変わらずヒロインだな」
「勿論、私だもの。もっと褒めてくれてもいいのよ?」
「そうだな……さすが倉嶋だ。わが演劇部において、お前ほど俺のヒロインに相応しい奴はいないよ」
「ふふっ、そう? まあそんなこと、言われなくても分かってるけどね」
得意げな顔でリオが胸を張る。
大きく表情に出るタイプではないが、上機嫌なことだけは伝わってきた。
「……倉嶋って、大五郎の前では可愛く見えるんだよな、なぜか」
「完全に恋する乙女は何とやらって感じですからね」
「は? 恋する? 誰が誰にだ?」
「……頭固い上に鈍感とか終わってんなこの腰巾着」
「何か言ったか? さすがに言ってるよな?」
「いえ全然そんな滅相もございません私めが副ソ部長様にご意見などと」
「そうか……ならいいが。……本当に言ってないか?」
「ええ全然」
米崎と江木が雑談をしている中、リオは大五郎に話しかけ続ける。
「今回の脚本見た? すごく面白そうよね」
「ああ。そうだな。俺としてもぜひ最後までやり切りたい内容だ」
「そうよね。私もそう思う。でも豊島君、女の子に触れないでしょう? どうするの?」
不意にリオが切り込んだ。
大五郎が女性に触れられないことは部内において周知の事実になっているが、直接それに言及できる人間となると数が限られてくる。
今回のように、周りの目がある中で平気で踏み込んでいくのはリオくらいものだ。
「どうするも何も、練習するしかあるまい。今までもそうしてきたのだから、次もできるようになるまで繰り返すのみだ」
「どこから来る自信なんだそれは……」
思わず米崎がツッコミを入れるが、渦中の二人は気にも留めない。
「さすが豊島君ね。あなたならそう言うと思ったわ」
「フッ、そんなに褒めても何もでないぞ」
「別に褒めてはないわ」
「そうか……」
心なしか、大五郎の肩が落ちる。
「……あの二人だけで喋らせておくと、何とも言い難い空気感になりますね」
「天才同士だからな、波長が俺たちとは違うのだろう」
「ですねぇ……」
「……何か言ったか? 今度こそ」
「は?」
「…………」
因みにこの時間、他の部員は自習練習と題して発声や読み合わせを行っている。
とはいえ、ほとんどの部員が会話を盗み聞きしながらの練習となるので、部内全域に何ともいたたまれない空気が広がっているのだった。
「ね、豊島君。どうせ克服するなら、私と一緒に練習しましょう?」
「練習か……。それもいいが、俺としてはまずは軽いところからだな」
「何それ意味分かんない。私と触れるのがゴールなんだから、私と練習すればいいでしょ」
「いや、しかしだな……。何というか、物事には順序というものがあって」
「ないわよそんなの。豊島君は私と練習するの。さ、行きましょ」
そう言って、半ば強引に大五郎を誘い、彼の手首を掴んだ。
「あ」
大五郎が振れた箇所を見て、一瞬硬直する。そしてすぐに、
「うふゃぁん」
いつものように気を失った。気絶した主人公に対してヒロインは、
「……そうだった。うっかりしてたわ」
結局その日は、全く練習することなく一日が終わったのだった。