「……ひとつだけ、お願いがあるんだけど」

 なんとしても、夢にだけはしたくなかったから、ダメもとで聞いてみた。

 首をかしげてこっちをみる彼に「歌が聞きたい」って。

 人魚はとても美しい歌声で航海している者を惑わせるとどこかで読んだ。

 自慢にならないけど、わたしは歌がとても下手だ。

 だから、人を惑わせるくらい美しい歌声が本当なら、聞いてみたかった。

 うかがうように彼を見ると、なにやら難しい顔をしている。

「……聞いても引かない?」

「え、引かないけど!?」

 なぜか少し恥ずかしそうに言う彼に、食い気味にそう返事をする。

 引くほど、きれいな歌声なのか。

 お家に伝わる、人魚の歌とかがあったりするんだろうかと、あらゆる想像をしてしまう。

 ……と、その時、あたりに響いたのは、黒板を引っ掻いたような掠れた声のような、良く言っても悲鳴にしか聞こえてこない『彼の歌声』だった。

 信じられなくて、音の出所を目でたどるけど、何度やっても行き着く先は彼なのだ。

 あんなきれいな顔で、落ち着いた優しい声で話す人なのに。

 聞こえてくるのは、その人の口から出たとは思えない、もはや歌といっていいのかわからない不協和音だ。

 メロディーで、かろうじて今はやっている洋楽のサビの部分だと理解できた。