お姉様をタウンハウスに送り届けてから、私は士官学校の寮へ戻った。
 部屋ではすでにフェルゼンが部屋着で寛いでいた。

「珍しい。今夜はご令嬢とユックリしないの?」
「さすがに今日は俺でも疲れる」
「たしかにね」

 私もぐったりだ。髪を解き、ジャケットを脱ぎ散らかして、ソファーに体を投げ捨てて、だらけきる。
 幼年学校から、フェルゼンとはずっと同室だ。唯一、私の事情を知っている彼が、それとなくフォローしてくれるから学校生活が順調でいられるのだ。士官学校のなかで、唯一フェルゼンの前だけが、本当の自分を隠さなくていい場所である。

「あー……疲れた……」
 
 声に出したら、フェルゼンが笑った。

「それほど踊ってもいないくせに。いつだって壁の……花? ん? じゃないよな?」

 壁の花とはご令嬢に向けて言う言葉だ。

「何でもいいけど。誘われたくないし、私は出てもしょうがないからね。目立たないようにするのも結構疲れるんだよ」

 なんてったって、周りの目立つ連中が声をかけてくるから、折角壁の模様にでもなろうとしていても、嫌でも目立ってしまうのだ。

「へー。いいなーってヤツいなかった?」
「いても困るでしょ。付き合えるわけないんだし。責任も取れないのに、変な噂でも立って、相手のご令嬢に迷惑かけられないし」
「つーか、想定する相手はご令嬢、なわけだ?」
「? 何言ってんの。燕尾服だよ? これで紳士を口説くわけないでしょ」

 笑いながらタイを外し、シャツのボタンをいくつか開ける。
 フェルゼンがホットミルクを手渡してくれる。これはきっとフェルゼンの魔法で温めてくれたものだ。

「ありがと」
「ん」

 もてる男はさすがに違う。
 一口飲めば、程よい蜂蜜の甘さが広がった。

「おいしい」
「そりゃよかった」

 フェルゼンはそのまま私のだらけるソファーの背に、腰を掛けた。
 
「まぁ、なんだ、そういうのも困ったら言えよ」
「ん?」
「ご令嬢に告白されたとか、気になる野郎ができたとか?」
「ないないない」
「でも、恋愛沙汰とかあってもおかしくない年だし」
「まぁね、でも、私良く分かんないんだよね、そういうの」
「そういうの?」
「女の子を抱きたいと思わないし」
「お、おま! そういう言い方!」
「男の子も抱きたいと思わないし?」
「だから! おまえは!!」
「お嬢様方がフェルゼンとかシュテルに騒ぐの意味不明だもん」

 そう言えばフェルゼンは微妙な顔をした。

「シュテルはイケメンだろ」
「イケメンだよ。君もね」

 自覚があるくせに何言ってんだコイツ。

 呆れて突き放せば、フェルゼンは赤くなって黙った。

「どうした?」
「何でもない」
「ふーん?」
「俺寝るわ」
「うん、お休み」

 フェルゼンはよたよたと二段ベッドの下に入り込んで、ベッドのカーテンを引いた。


・・・

 
 フェルゼンと私が知り合ったのはお互い五歳のころだったはずだ

 その日も、私は馬を駆っていた。

 馬に乗るのは気持ちがいい。高いところから見渡す景色は、いつもより遠くまで見渡せて、世界の広さにワクワクする。
 風のように走るから、少し遠くたって自分で確かめに行けるのだ。
 
 南の森の方から、ガラガラとした馬車の音が響いてきた。
 王都へつながる大きな道から、仕立の良い馬車がこちらへやってくる。
 四輪の大型箱馬車(ブルーアム)だ。きっと王都からのお客様なのだろう。
 私は、馬車の近くへ馬を寄せた。見覚えのある家紋を確認すれば、カーテンの奥に手を振る人が見えた。
 私も手を振り返してから、急いで家に戻る。
 我が家へのお客様の到来を、お父様に伝えなくては。



 急いで厩舎に馬を繋ぎ、家に入る。

「お父様! ヴルカーンのおじさまの馬車がみえました!」
「ああ。もう着いたのか」
「西の森を抜けたところです」
「まだしばらくあるかな? ベルンは着替えておいで」

 お父様の優しい声に頷いて、私は急いで部屋に戻った。
 ばあやがはしたないと眉を顰めたけれど、いつものことだ。

「ばあや! お気に入りのワンピース、あった?」
「若草色のものですね。すぐにご用意いたしますよ」

 ばあやは柔らかく微笑んだ。

「リボンは新しいレースのものにしましょうか?」
「ええ! 可愛く結ってちょうだい!」

 乗馬用のブーツとパンツを脱いで、お気に入りのワンピースに着替える。
 簡単に一つ結びしていた髪を、ばあやが解いて丁寧に梳く。今度はハーフアップに結い直して、結び目に淡いグリーンのレースを載せた。
 鏡の前でクルリと回って確認する。

 うん、イイ感じ! 


 お兄様の部屋のドアをノックして走り去る。お兄様にはこれで十分。
 お姉様の部屋はノックして中に入る。

「お姉様、ヴルカーンのおじさまがみえられました」
「あら、にぎやかになりそうね」

 お姉様は花がほころぶように笑った。
 私は窓の近くに椅子を二客用意した。お姉様は体が少し弱いから、窓の近くで外の様子が覗えるようにするのだ。きっとお母様はこちらに来るだろうから、椅子は二客だ。

「では後ほど!」

 待ちきれなくて庭へ出れば、牧羊犬のオブリがエスコートよろしく私の脇に寄り添った。あまりに紳士的で、思わず笑ってしまう。
 ふさふさの茶色い毛を撫でていれば、二つの影が落ちて来た。お父様とお兄様だ。

「おや、お嬢様見違えましたね」

 冷やかすようにお兄様が笑った。

「私はさっきの格好も好きだよ」

 お父様も笑う。

「私、両方とも好き!」

 ドレスアップするのも楽しいし、気楽な格好で駆け回るのも好きだ。

「ベルンは両方とも似合ってるよ」

 お父様が笑って、私の頭に手を乗せた。

「さぁ、お待ちかねのヴルカーン侯爵がお見えだ」

 先ほど見た立派な馬車が横付けされる。
 御者がドアを開けば、ヴルカーン侯爵が堂々と降りて来た。

 日に焼けた肌。厚い胸板。赤い髪には少しだけ白髪が混じっている。左あごには剣の傷が白く残って、いかにも強そうな王国の元帥閣下だ。

「おじさま!」
「やぁベルン、久しぶりだね。エルフェンは王都でも会ったな」

 ヴルカーンのおじさまはそう言ってから、お姉様の部屋の窓に目を向けて軽く手を振る。

「リーリエはますます綺麗になった」

 ヴルカーンのおじさまはお父様の昔からのお友達で、社交シーズンの終わった秋から冬にかけて、アイスベルクの領地へやってきて狩りを楽しみ、隣接するベルカーンの飛び地を見に行くのが毎年の習わしになっていた。
 王都からのお客様に会う機会の少ない私にとっては、珍しいお話を聞かせてくれる楽しいおじさまだった。

「今日はこの子を連れてきた」

 おじさまの後ろから現れたのは、おじさまにそっくりな男の子だった。
 褐色の肌、白髪混じりのおじさまの髪より真っ赤な髪。

「わあ、良いなぁ! あなた、将来おじさまみたいな可愛いピンクの髪になるのね!」

 そういえば、辺りがシーンと静まり返った。

 私は何事かと思ってキョロキョロする。おじさまは頬を赤らめて硬直し、お父様はソッポを向いて肩を震わせている。
 お兄様となんて信じられないものでも見るように私を見ていた。
 
 やらかした!?
 
 恐る恐る男の子を見れば、俯いて肩を震わせていた。

 怒らせてしまったかもしれない。慌てて弁明をする。

「あ、ごめんなさい。悪い意味じゃなくて、おじさまの髪、赤いのに白いのが混じってピンクで可愛くて。だから私もそうなりたいけど、私の髪だと無理だから……」

 青い髪は嫌いじゃないけれど、ピンクの髪はとても可愛らしく、おばあちゃんになるのも楽しいだろうなと羨ましく思えたのだ。
 男の子はブッと吹き出して笑った。

「父上を可愛いなんて言うヤツ、初めて見た!」

 そこで一斉に笑いが起こる。
 私は意味がわからなくてビックリした。

 そんなにおかしなこと言ったかな?

「さあ、おまえ達ご挨拶だ」

 おじさまがそう言うと、男の子は紳士の礼をした。

「私はフェルゼン・フォン・ヴルカーンです。今年五歳になりました」

 フェルゼンはかしこまった話し方で挨拶をした。

「私はベルンシュタイン・フォン・アイスベルク。同じ年なのね。よろしくお願いしますわ」

 私もワンピースの裾をちょこんとつまみ、淑女の礼をした。
 するとフェルゼンは、大きな瞳をさらに大きくして私を見つめた。

「ベルンシュタイン? お前がベルンシュタインなのか?」
「ええ」
「さっき馬に乗っていた?」
「ええ、先ほど馬で馬車を見に行ったのは私です」
「男じゃ……なかったのか」
「よく間違えられます」

 そう笑えば、フェルゼンはパチパチと瞬きした。
 そして、一度唇をかみしめて、地面に視線を落とした。両手が硬く握られていて、なにか怒らせたのかと不安になる。

「馬は……、すぐに乗れるようになるのか?」
「どうでしょう? やってみなくては分かりません」
「じゃあ、やる! すぐやる! 父上! 俺も馬に乗れるようになりたい!」

 フェルゼンがそういうと、おじさまはしてやったりという顔で笑った。

「ベルン、フェルゼンに付き合ってくれるかい?」

 おじさまがの言葉に、私は元気よく頷いた。




 同じ齢だったこともあり気の合った私達はたくさん遊んだ。
 都会育ちで田舎を知らないフェルゼンに、自然の中の遊び方を教えた。
 代わりに私は剣やボードゲームなどをフェルゼンから教わった。
 フェルゼンの砕けた口調に私もつられて砕けた口調となり、気が付いたらベルンと呼ばれるようになっていた。
 帰るころには二人で遠乗りに行けるほどに、フェルゼンは乗馬をマスターしていた。




「なぁ、ベルンは王都には来ないのか?」
「うーん、お父様もめったに王都へは行かないしね」
「……だったら、俺が来るしかないな」
「私も王都に行くときはフェルゼンのところへ行くよ」
「約束だぞ!」
「うん! フェルゼンもまた来てね!」


 私たちはそう約束をして別れた。
 それが、フェルゼンとの初めての出会いだった。