私はあれからアイスベルクの領地に戻った。お母様はいつものように出迎えて、私の好きなものを用意してくれた。
士官学校には、その日のうちに退学届けを出した。受理されたかは不明だ。あの事件は、大問題に発展しており、いまだに私に沙汰はない。
何しろ、北の国の姫君自ら、明らかな害意をもって我が国にモンスターを持ちこんだのだ。モンスターに操られたのだとしても、許されるものではなかった。
でも、あの北の国の姫君の気持ちが、私には痛いほどわかってしまう。望んではいけないとわかっていても、シュテルが欲しかったのだ。魔物の言葉に惑わされたのは、それだけの大きな情熱があったからだ。
私だってあの時、リリトゥの声につられそうになった。シュテルが手にはいるならと、一瞬考えた。でも、あんなやり方だとシュテルに嫌われると思ったから、踏みとどまれた。手に入っても、嫌われてるなんて悲しすぎる。
その上、あのモンスターとの対峙で、私、ベルンシュタイン・フォン・アイスベルクが女であったことが知れ渡ったのだ。男として幼年学校から士官学校まで通い、騎士として国を欺き続けていた。そのことが大いに取り正されている。
やはり、宮廷の一部では、アイスベルクの陰謀だと、騎士団を篭絡させるためのスパイだったのだと噂されているらしい。
自主退学はもしかしたら認められないのかもしれなかった。
あの後、お姉様はタウンハウスに戻らずに、そのまま領地に帰ってきた。
出迎えた私を見て、ただ黙って抱き締めてくれた。
お兄様は、謹慎後、降格の上アイスベルクと反対の南への配属になった。『お前は何も心配するな、後は任せろ』そう手紙が来た。
フェルゼンは約束通り、知らぬ存ぜぬを通した。
シュテルは初めから知らなかったから、それは衝撃を受けていたと伝え聞いた。
戸籍上も、女のベルンシュタインは存在しない。処罰に困っているのだろう。
お父様の祈りがすべての原因だが、父は宮廷に役職がない。ヴルカーンの参謀もその日のうちに返上した。自宅にこもっているが、それはいつものことで謹慎処分と言いにくい。後は爵位と領地を剥奪するくらいのものだが、それは最後の手段だろう。
アイスベルクには騎馬隊がある。最悪、内戦が始まる。
そうでなくても今回のことで、アイスベルクの騎馬隊たちは荒ぶっている。あの場に、女の騎兵がいたから最悪の事態が免れたと、私がいたから助かったのにと怒ってくれるのだ。
その気持ちを押さえるためにも、私は毎日騎馬隊の訓練に行った。暴走されては困る。
お父様は、私の判断は間違っていなかったと褒めてくださった。
きっと何度あの日をやり直しても、私は同じようにするだろう。お姉様やお兄様に迷惑をかけると知っていても、王都を見捨てることなどできないから。
でも、私のせいで鏡の離宮に橋を架けられるとしたら嫌だなと思う。
仕方がなかったと思う。
何時かはバレたのだきっと。それが早まっただけだ。
ただ、初めてのキスがあんな悲しいキスになるなんて思わなかった。
リリトゥの呪いを解く唯一の方法は、愛する者からのキスだ。リリトゥ以外の者に抱く強い思いが、呪いを解く。
一か八かの賭けだった。
もし本当に、シュテルが私を好きでいてくれたなら、もしかしたらと思ったのだ。
そしてシュテルは目覚めた。
私はそれだけで満足だ。もう会えなくてもいい。
私は唇をそっと撫でた。
机の上の手鏡を覗く。髪をおろした自分を映して、なんだか寂しくなった。最後まで見せられなかった本当の姿。
シュテルから貰ったあの日の手鏡は寮に残してきたままだ。あの日、帰ることができなかったから、想い出の品物はすべてあそこに置いてある。
星の入った水の瓶。あの後フェルゼンから貰ったリボン。
全部捨てられてしまっただろうか。
自業自得とは思っても、一つくらい手元に残しておきたかったと未練がましく思った。