暗い部屋で、部屋の主フェルゼンの帰りを待つ。もう一人の主ベルンは戻ってこない。
 
 僕は先ほどまで、軍部の調査を受けていた。フェルゼンはまだ少し時間がかかるだろう。
 フェルゼンは、幼年学校からずっとベルンと同室だったのだ。性別を知っていたのではと、当然のように聞かれているはずだ。

 僕は知らなかった。
 あんなに小さい頃から知っていたのに。
 ずっと秘密にされてきた。

 信じられて、なかった。

 ガツンとテーブルを殴る。
 
 どうして。

 王子だったからなのだろうか。どうして男と偽る必要があった?
 
 ずっとずっと、嘘をつかれていた。



 フェルゼンの机と並びあったベルンの勉強机。いつも羨ましいと思っていた。二段ベットの上部はベルン。まるで今にも帰ってきそうなほどそのままだ。
 ベルンは帰ってくるつもりだったのだ。
 だって、全てがそのままになっている。

 扉が乱暴に開かれた。

 顔を上げれば、怒り狂ったフェルゼンと目が合った。
 燃え滾る赤い瞳。毛羽だった短い髪。

 僕を見て、一瞬揺らぐ瞳。閉めるドアは静かだった。

「シュテルか……」


 ため息を吐き出すように、フェルゼンが僕の名を呼んだから、カッとなった。
 立ち上がって詰め寄って胸ぐらをつかむ。壁にフェルゼンを押し付ける。
 僕より大きなフェルゼンが、嘘みたいにされるがままで、そのことがまるで馬鹿にされているかのようで、止められない。

「君は知っていたのか!!」

 睨みあげれば、無言で睨み返す赤い瞳。

「なあ! 知っていたのか!!」

 怒鳴りつける。
 なんで黙っているんだ。それは肯定じゃないのか。

「ベルンが女だったって、君は何時から知っていたんだ!」
「声がでかいんだよ!!」

 フェルゼンが恫喝する。そしてため息を吐き出した。

「初めから知ってた。俺が初めて出会った時、ベルンはワンピースだったからな」

 小さな声だった。

 小さな声。それなのに、僕に与えた威力は大きかった。
 最初から、出会う前から、ずっと知っていて、ずっと僕だけ隠されてた。
 二人に騙されていた。

 信じていた世界が崩れていく。

 フェルゼンの胸ぐらをつかんでいた手を離した。
 情けない。
 自分が馬鹿らしくて笑えてくる。ずっと、仲間だと思ってた。何でも知っていると、何でも話してくれるって、この二人だけは他の人とは違うって、そう思っていたのに。

 裏切られた。初めから信じられてなかった。

 上に立つものとして、そんなこと初めてじゃない。よくあることだ。だけど、今回ばかりはきつかった。

「……僕が、……王子だったからか」
「違う」

 フェルゼンは間髪開けずに答えた。

「俺がワザと隠したんだ。……お前が、」
「僕が?」
「あの日、ベルンが女だと知ったら、絶対お前に盗られると思ったんだ」

 フェルゼンが絞り出すように答えて、唇を噛んだ。

 あんな、昔から。

 息を飲む。飲み込んだ肺が熱くて痛い。あんな昔からフェルゼンは。

「お前はアイスベルクに行けない。ベルンもめったに王都に来ない。お前はベルンを男だと思っていたし、言わなければ分からない、そう思った。男だったらお前はベルンを好きにならないはずだからな」

 フェルゼンもベルンが好きだった。だから。

「それなのに、男でも……なんだろ?」

 フェルゼンは僕を見て歪に笑った。泣くのを我慢してるみたいだった。
 僕はその言葉に頷く。

「俺はバカだよな。いつかバレる嘘なのに」

 力ないフェルゼンの声に、何と言ったらいいのか分からない。

「俺とお前がベルンに言ったんだ。幼年学校に一緒に行こうって。だからベルンはここへ来た。他愛もない子供の口約束で、全てを偽る覚悟で来た。俺はそれが嬉しかったんだ、そうまでしても一緒にいたいと思ってくれてるって。俺がアイツに嘘をつかせた。嘘を付かせ続けた」

 フェルゼンは腕で顔を覆った。


「それなのに、俺はアイツを守れなかった。そして、これからも知らなかったと嘘をつく。俺だけが守られたんだ。もう守りたくても守れない。アイツにはかかわれない」
「どうして」
「幼年学校の入学が決まったとき、アイスベルク辺境伯と約束した。ベルンの純潔を守る。バレた場合は、知らなかったふりをして一切の交流を断つ。意味は分かるだろ?」

 シンと静まり返る。部屋の空気が重い。

 ヴルカーンとアイスベルクが結託して、娘を士官学校にいれたとなれば、あらぬ疑惑を生むのはたやすい。片や元帥閣下、もう片方は参謀であり唯一の私兵をもつ侯爵家。両家が結託して軍部を牛耳ろうとしたとあれば、国家転覆の危機につながる。
 フェルゼンは絶対に関わってはいけないのだ。
 もし僕がそれを知っていて、見逃していたとなったら、僕の地位は完全に奪われるだろう。最悪の場合は、全員死だ。

「お前にまで嘘をつかせたくなかったんだよ」

 ゴメン、フェルゼンがそう言って項垂れる。

「……僕に、話してよかったの?」

 きっとずっと二人だけで守られていく約束だったはずだ。
 これを僕が知って、僕が怒り、誰かに伝えたら、ヴルカーンもアイスベルクもただでは済まない。

「お前は仲間だからな」

 フェルゼンが情けない顔で笑った。

 胸の奥がパチンと弾けた。

 崩れ落ちたと思っていた世界がここにある。僕の足もとは守られている。ベルンとフェルゼンに、嘘に、守られていた。

 僕はフェルゼンの肩を掴んだ。

「ベルンを連れ戻す。協力してくれ、フェルゼン」

 なんとしてもベルンを連れ戻す。僕たちだけがのうのうと、なにも無かったことにして生きていくなんてできない。

「お前より先にそれを言えない俺は……、だから駄目なんだろうな」

 フェルゼンが笑った。
 もういつもの笑い方だった。



 部屋がノックされる。
 フェルゼンがドアを開けると、そこにはクラウトがいた。
 厳しい顔つきで決意を秘めている緑の目。

「フェルゼン先輩にお願いがあってやってきました」

 深々と頭を下げる。手には紙の束を持っている。

「ベルン先輩を助けたいので協力をお願いします」
「それなに?」

 僕は手元を覗き込んで尋ねた。
 クラウトは慌てた様子で答える。

「た、嘆願書です。今、貰えるだけ貰ってきました」
 
 僕とフェルゼンは顔を見合わせた。

「ベルンは愛されてるな」

 フェルゼンが嬉しそうに笑う。

「そうだね」

 僕も胸がいっぱいになる。これだけの人数がいたら、何とかなるかもしれない。何とかしなくてはいけない。

「丁度僕らも同じことを考えてたところだよ。君にも協力してもらいたいんだ」
「はい!」


 それから僕らは、ベルン奪還作戦を始めた。
 ベルンが、偽らずにいられる場所を作るのだ。
 王国に女騎士団を創設する。

 宮廷内は混乱していた。この機に乗じて、アイスベルクの広大な土地を得ようとしている輩。アイスベルクの持つ立場を得ようとしている奴ら。虎視眈々と狙っている大言壮語の狸どもに、口を噤んだ善意の人たち。
 
 マレーネは、ベルンが護衛につかないなら、不安だから公務を控えると言い出した。今までベルンに守られてきたマレーネの言うことだ。説得力がある。実際、女騎士団を何よりと必要としているのはマレーネなのだ。なかなか無下には出来ない。
 しかも、マレーネの公務は国民に人気があるため、控えられると困るのが実情だ。反アイスベルクの連中ですら、マレーネには視察に来て欲しいのだ。
 
 クラウトの実家ヴルツェル家からも、ベルンの許しを願ってきた。マレーネの件も実際目にしていて、ヴルツェル領の中ではベルンは人気があるらしかった。その上、クラウトが熊の一件を家族に話していたから、その恩を返したいというのもあったらしい。

 白百合のお茶会メンバーは、ベルンのために結託しているらしかった。社交界の一大派閥、白百合のお茶会から、あくまで『噂』ではあるが、『恭順を示すため、アイスベルクは一切領地から出ない、馬の供出も王家の許しがあるまで止めるつもり』だとリーリエ様が仰った、などと話が広がっている。
 きっとこれを聞いた反アイスベルクはギョッとしているところだろう。
 アイスベルクに隣接する森のモンスターは、今までアイスベルクの騎馬隊が自発的に退治してきた。しかし、今後はそれをしないとなったらどうなるか。
 アイスベルクの騎馬隊の助力が得られない、馬も手に入らない、その意味することを自覚させた。

 兄のエルフェンバイン様は、南の辺境の地へ送られた。アイスベルクから物理的に離して、様子を見るための処置だろう。気難しい上官と荒くれどもが集まる場所だ。
 穏やかなエルフェンバイン様が、そんなところでやっていけるのかと周りは心配していたが、何の不平も漏らさず、それどころか成果を上げているらしかった。その姿だけでも、アイスベルクの信頼は高まる。南部で一個隊の隊長を、そんな声が上がっているが、隊長を引き受ける条件として、ベルンの復帰を要求しているらしい。
 もしかしたら今までの穏やかなエルフェンバイン様は、演技だったのかもしれない。 
 アイスベルグの兄姉は、王都にいなくても恐ろしい。

 ヴルカーン侯爵は、一切アイスベルクを庇うことはなかった。しかし、その潔いまでの姿に、アイスベルクとの謀略説は日に日に弱まってきていた。
 フェルゼンもその姿に従って、知らぬ存ぜぬを貫き通している。フェルゼンにしてみれば、不本意で苦しいところだろう。しかし、そうすることでアイスベルクの疑いを晴らすことができるなら、死んでもその役目を全うすると笑っていた。


 不思議だったのは大魔道士ザントの動きだ。ザントは王宮に何も働きかけをしない。何を聞かれてものらりくらりと答えるだけだ。
 それなのに、休みのたびに『私用』でアイスベルクに行く。ヴルカーン家でさえ距離を置く今、アイスベルクと懇意だということは、メリットがないはずなのに、あえてするだけの価値がそこにはあるのか。
 その動きが、反アイスベルクを不安にさせた。


 町の中には『宵闇の騎士』を復帰を願う、青い扇がそこかしこに広がっている。大きな声で騒ぐ者はいない。何かを表明することはない。ただ青い扇を持ち歩くだけだ。
 だが、知っているものが見ればわかる。青い扇はベルンの印なのだ。


 反旗の意志は見られないアイスベルク。
 ただひたすらに許しを請うだけだ。

 何の地位もないはずなのに、なぜか大きな波が沸き上がっていた。