夏休みが終わると同時に士官学校の学園祭の準備が始まる。
 士官学校の学園祭は、秋を告げるイベントでもあり、社交シーズン最後の催しだ。
 士官学校の学園祭は、新年の剣舞と同じようにコロッセオで行われる。日ごろの鍛錬の成果を発表する場でもあり、騎士と市民の交流の場でもある。
 こんなことでもなければ、騎士と触れ合うこともないので、学園祭はいつも大盛況だ。

 一日目は交流を兼ねた催しだ。出店や、市民参加型の騎士体験などが行われる。
 二日目が鍛錬の発表で、武術や乗馬などを披露する。そしてその後、王宮で舞踏会が開かれ、この年の社交シーズンは終わるのだ。





 一日目の催し物で、各学年一つ出し物を出す。そもそも人数が二十人程度と多くないので、内容は限られてくる。
 合唱だったり、合奏だったり。寸劇などもある。今はそれの打ち合わせだ。

「社交ダンスはどう?」

 シュテルが突然言い出した。

「社交ダンス? 男同士で?」

 クラスメイトが怪訝そうに尋ねる。普通その反応だと思う。私もそう思う。
 シュテルは当然だ、というふうに頷いた。

「学園祭は北の国の姫が観覧されるって聞いてるよね? だったら、ご令嬢方が喜ぶようなものを……ってマレーネに相談してみたんだ」

 ツキリ、北の国の姫の話が出て、胸が痛んだ。北の国の姫とシュテルの間には、以前婚約の話が出たことがあったのだ。
 シュテルが断って話はたち消えたが、そこまでが大変だったようだ。その姫君が来ることに、なぜだが不安になってしまう。
 美しいと有名な北国の姫。どんな人なのか見てみたい、でも見たくない。騎士姿のシュテルを見て欲しくない、見られたくない。


「制服姿でタンゴを踊れば壮観だと思う」
「ええぇぇぇ……男同士のタンゴなんか見て面白いか?」

 不満の声が上がる。

「ベルン!」

 突然呼びつけられて驚いた。
 手を差し出されたから、思わず手を取る。
 グッと腰を引かれ、腕を伸ばされた。タンゴのポーズをとらされる。背中がのけ反って、ハラリ髪が落ちる。

「どう? カッコよくない? タンゴはもともと男同士で踊るものだったみたいだしね」

 シュテルがにんまりと笑った。
 おお! とどよめきが起こる。
 その反応を見て、シュテルが満足げに体勢を戻してくれた。耳元で小さく、急にごめんね、なんて囁く。耳が熱くなる。

「いいんじゃね? ペアはどうする?」
「僕はベルンと!」

 シュテルが主張すれば、クラスメイト達が呆れたように笑う。

「殿下のベルン好き好き病が始まった」
「俺もベルンがいいぞ」

 フェルゼンが不機嫌に言えば、さらに笑いが起こる。

「テンプレか!」
「テンプレだな」
「フェルゼン、たまには譲ってやれよ。最後の剣舞はフェルゼンとベルンなんだからさ」

 クラスメイトに言われて、フェルゼンが忌々しそうに唇をへの字に曲げて黙る。

「ベルンは?」

 シュテルが意地悪な目で私をみた。試すような視線だ。
 こんなことでもなければ、私は一生シュテルと踊ることはないだろう。そう思えば、自ずと答えは決まっている。

 でも、ちょっと悪戯だ。

 ご令嬢にダンスを申し込むように、シュテルの手を取った。

「私と踊っていただけますか?」

 上目使いでウインクすれば、シュテルが顔を真っ赤にした。
 ヒューヒューと口笛がなる。

 いつも、やられっぱなしって訳じゃないんだぞ!

「っ!! ベルンが王子さまで酷い!」

 シュテルが抗議する。

「王子はお前だろ?」

 フェルゼンが呆れたように笑う。

「殿下、諦めてベルンに抱かれろよ」

 クラスメイトが囃し立てた。

 
 それからは、毎日タンゴの練習になった。クラスでの合同練習はなかなか迫力がある。
 軍隊だから、全員がピッタリと息をあわせるようにスパルタだ。軍服スラックスの一糸乱れぬラインが美しい。
 練習にかこつけて、シュテルと踊れるのがうれしかった。
 こんなことでもなければ、ダンスをシュテルと踊ることなどできないからだ。恋人みたいな距離感。でもみんなと一緒に練習だから、後ろ暗いことなんてない。
 単純に嬉しくて、楽しかった。


 迎えた学園祭一日目。
 七ペアほどの男子が、カツカツと足音を立ててダンスを踊る。センターはシュテルと私だ。
 その後ろではバンドネオンやバイオリン、ギターを奏でる騎士がいる。フェルゼンが伸びのあるテノールで愛を歌う。
 コミカルなダンスから始まって、男同士だからこそのアクロバットなターン、しっとりしたパート。
 長い足を絡ませあって軽快にステップを踏む。少し乱暴に抱き上げられて腰に絡みつくように足を回せば、そのまま体を軸にしてクルリと反対側に下される。ターンして突き放せば、それ以上の力で引かれる。挑発的に輝く金色の瞳に、私も負けじと見つめ返す。

 フェルゼンのせつない歌声が響く。
 心の中には君ばかり、そう嘆く歌声。

 密着した抱擁(アブラソ)。練習通りのはずなのに、今日はなんだか熱を帯びている。頬に手を添わせて見つめあう。触れそうで触れない唇。手首を捕らえて突き放す。
 吐息だけが絡まって、どうにかなってしまいそうだ。
 
 終わってしまえばもう二度と、シュテルと踊ることはないだろう。
 寂しさが胸の奥を押し上げる。絡ませあった指に力を籠めれば、答えるように力が返ってくる。

 本当はあなたが好き。ごめんなさい。嘘つきで。

 音楽がピタリと止まる。のけ反ってフィニッシュ。私の首筋にシュテルの唇が触れて、言葉もなく『すきだ』と息が震えた。息が止まる。

 泣き出したくなりそうなほど、狂おしい気持ちがつむじ風を生む。
 
 側にいるために嘘をつく。そんな我儘な自分が嫌いだ。


 一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手喝采。私たちは正面に向き直って、深々とお辞儀をした。




 タンゴが終われば、屋台の手伝いに回る。私は氷の魔力を買われて、ヨーグルト屋さんの手伝いだ。カップに盛られたヨーグルトにトッピングをかけたものを、私が凍らせてお客さんへ手渡しする。これがなかなか好評で、長蛇の列になっている。
 先ほどタンゴを見たお客さんも大勢いて、口々に感想を教えてくれて嬉しい。中には、私ともタンゴをと言う積極的なご令嬢もいた。とりあえず曖昧に流しておく。

 フェルゼンは肉を焼いている。あの歌声で、これまで以上にたくさんの人々を魅了したらしい。武に優れたくましいフェルゼンが、歌声まで素晴らしいのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
 シュテルは弓矢の体験指導に回っていた。体験指導はいつも大盛況で、本物の騎士に教えてもらえると、子供たちがたくさん集まってくるのだ。


「ベルン先輩!」

 少し休憩しているとクラウトがやって来た。トッピングにクラウトの実家のジャムを使っているので、補充を持ってきてくれたのだ。薔薇や金木犀のジャムは目にも美しく、女性に大人気だった。

「タンゴ……素晴らしかったです!」
「ありがとう」
「……その、私とも」
「だーめ!」
「え?」
「踊って欲しいとかいうつもりでしょ? それ、何回も言われてて疲れてるんだよ」

 辟易した顔で答えれば、クラウトは情けない顔で笑った。

「何回も……」
「そうだよ、知らない人も冗談で言ってくるからね」
「……大変ですね」
「でも、盛り上がったならいい」
「すごい盛り上がりでした」
「よかった! 練習したかいがあったよ」

 ホッとしてほほ笑めば、クラウトも笑った。

「お疲れのベルン先輩には、後でヴルツェルのお茶を淹れますね」
「本当? 嬉しい! マロウのお茶ある?」
「ええ、もちろん! 終わったらお部屋に伺います」
「待ってるね」

 クラウトはそう言って持ち場に戻っていった。