大魔道士ザントの夜会の警備を交代してほしいと頼まれ、俺は夏休みだというのに、急遽騎士の制服を着ていた。
 今夜の夜会は、王太子とマレーネ姫が出席するとのことで、近衛隊から警備員が数人配置されることになっていたのだ。


 俺は、屋敷の庭の影で警護をしていた。
 こういった場所は、夜会の席では逢引の場になりやすい。恋人たちの邪魔をしないようにと気を付けながら、周りを見回っていた。

 ふと目に入る、茶色に波打つ髪。
 
 俺が見間違えるはずもない、ベルンだ。

 どんな方法を使ったのか分からない。なんでこんなところにいるのかもわからない。聞いていない。
 けれど、どんなに髪の色を変えようと、どんなに瞳の色を変えようと、俺が見間違うわけはなかった。アレは、ベルンだ。
 見違えるような美しいドレスに包まれて、男に手を引かれていく。
 何の疑いも持たずについていく姿は、まるで子供のようで、しまったっと思った。

 ベルンは女としての社交界を知らない。
 そして、あの男は手が早くて有名な男だった。

 俺は慌てて後を追った。

 思ったとおり、ベルンは気安く触られていて、俺はカッとなった。

 間に入って救い出せば、安心しきった顔で微笑むから。

 化粧していても分かる。綺麗な鼻筋に、薄い唇は笑うと可愛い。
 
 触れたい。ずっと触れたいと思っていた。運命の人。

 士官学校では触れられない。卒業するまでは愛すら囁けない。
 でも、今夜は宵闇の騎士ではないのなら。
 知らないふりをしてしまえば、許されるのではないかと思った。

「運命の人……」

 呼びかければ顔をそらされる。
 切なくて頬に添わせていた手のひらを、ゆっくりと滑らせる。
 制服に隠れている細い首筋も今夜は伸びやかだ。俺だけが知っているはずの鎖骨は鍾乳石のように瑞々しく潤んで冷たい。

 触れたかった。ずっと、そう思っていた。

 驚いて離れようとするから、逃がさないようにリボンをつまむ。
 逃げられない理由を作るから、それを言い訳に留まって欲しい。

「逃げたら解けてしまいますよ」

 そう言えば、ベルンは俺を力の限りに突き飛ばした。

 解けるリボン。乱れる髪も厭わずに逃げ出すほど。

 手を伸ばして逃げられる。怯え切った瞳に心が痛む。
 明らかな拒絶。ベルンは俺とわかっているのに、それでも触れることを許さなかった。許されなかった。

 俺じゃ駄目なのか。

 突きつけられた現実に、泣きたくなる。

 逃げていくベルン。残されたリボン。
 俺は、残されたリボンを指に巻き取り、その残り香にそっとキスをした。

 この夜のことは誰にも秘密だ。
 ベルンにも、秘密だ。





 夏休み明け、ベルンが寮に戻って来た。

「フェルゼン、夏休み中に仕事してた?」

 ベルンが恐る恐る聞いてくる。

「ああ、交代頼まれて、ザント様のお屋敷に行った。なんで知ってる?」

 あくまでも俺は知らないふりだ。

「いや、噂で」
「……そう言えば、イイ女がいたぞ。めちゃめちゃ理想の女。スラリとした背丈に、綺麗な立ち姿でさ、凛としているようで笑顔が可愛い最高の女」

 ベルンが驚いて目を見張る。

「運命の人?」
「ああ、だと思ったんだが」
「だが?」
「ザント様の作った土人形だったんだよ」

 ガッカリしたように言って見せれば、ベルンはホッとしたようにため息を吐き出した。
 その姿に胸が痛む。そんな風に安心されたくない。でも、怖がられるのはもっと嫌だ。同じ部屋に居られなくなる。きっと、ベルンはここから去ってしまう。
 だから、俺は嘘を重ねる。少しでも長く、隣に居られるように。恋じゃなくてもいい。友情でいい。


「なーんだ。残念だね」
「まったくだ、折角見つけたと思ったのにな」
「またイイ人見つかるよ」

 ベルンは屈託なく笑った。

 お前以上の女なんて見つかるわけないのに。

 俺はポケットに隠したリボンを握りしめた。

「……いねーよ、ばーか」

 軽く笑い飛ばして、この想いに蓋をした。