夏休みの残りは、アイスベルクでウォルフと女騎馬隊の訓練をして過ごした。
 士官学校に戻る前に、一度タウンハウスへ戻る。
 タウンハウスの自室に戻ると、机の上に宛名も差出人もない白い封筒が置いてあった。
 不審に思って開けてみて、ぎょっとする。
 書き出しが、『マレーネたん すはすは』だったからだ。

 送り間違いだろ、っていうか、交換日記の上に手紙とか厚かましくないか? なんて思ったが、私の名前があってゾッとした。

- ベルンちゃんへ 誰にも秘密で一人で来るように 意味は分かるね -

 息が止まる。
 ザントからの脅迫状だ。
 指先が凍える。 

 相談する? 無視する? でも、だけど……。

 ザントの紫の瞳を思い出す。何を考えているか分からない瞳。
 お兄様は、信じて良いと言っていたけれど、私はまだ信じられない。

 私は手紙をグッと握りしめた。心を決める。
 
 行こう。行って相手の出方次第で、……最悪はぶちのめす、かなぁ?






 ザントの屋敷に向かえば、使用人たちがバタバタとしていた。なんとなく、脅迫するような雰囲気ではなくて気がそがれる。
 雑にザントの私室に通される。
 ザントは満面の笑みで私を迎え入れた。


「ベルンちゃん、良く来たね!」
「あなたが呼んだからでしょう」

 イラっとして答えれば、まぁまぁなんてヘラヘラしている。

「今日はベルンちゃんにお願いがあって来てもらったんだ」
「はぁ……」
「きょ、きょ、きょう、ま、ま、マレーネたんが、うちの夜会に、く来る。っていうか、夜会を開かされた、マレーネたん強引」
「ヨカッタデスネ」
「ヨ。ヨ。よくないっ! だって、無理、無理すぎる……。執事はノリノリだし、うち女主人居ないのに」
「ガンバッテクダサイ」

 棒読みで答えた。なんだ、なんで私が呼ばれるのか分からない。

「だ。だから、ベルンちゃん、ボクを助けて!」
「はぁ?」

 ザントは涙目だ。

「一人でマレーネたんとかむり。マレーネたんは王太子殿下と一緒にいらっしゃる。挨拶の時だけでも、ボクと一緒にいて!」
「意味が解りません」

 ザントが説明を始めた。
 ザント曰く、私を代理の女主人に仕立てたいということだ。もちろん、女主人としては紹介しないけれど、一対一でマレーネ姫に対応するのを避けたい、ということらしい。
 しかし、マレーネ姫を前にするとこれだけ不審者だということは、社交界には秘密にしているから、知っている私にフォロー役として白羽の矢が立ったということだ。

 正直大迷惑。速攻断る案件だ。

「そんなことしたら、身バレするのでお断りします」
「魔法をかけるから! 絶対バレないようにボクが保証するから! この国で一番の大魔道士のボクが保証するからっ!」

 確かに彼は、変態でもこの国一番の大魔道士なんである。

 その大魔道士に半泣きにすがられて、私はため息をついた。恩を売っておくのも悪くない。

「わかりました」

 答えれば、ザントはにっこりと笑った。

「左手を貸して」

 言われるがまま手を出す。
 ザントは呪文を唱えながら、手の甲に筆で魔方陣を描いた。薄紫色のインクが不思議な紋様を描く。

「!?」
「目眩ましの魔法だよ。目の色と髪の色が変わる。もうだれも君とは気がつかない。今から君はボクの作った土人形プッペだ。今夜の余興として紹介する」

 鏡を手渡されて覗き込むと、中には茶色の髪と瞳の私がいた。ストレートの髪は、柔らかいウエーブに変わっていた。まるで別人だ。

「声を出すと魔法が解けるから気をつけてね。次の間にメイドがいるから、着替えさせてもらって」

 そういって、グローブを渡された。魔方陣を隠すためだろう。

 私はグローブをはめながら次の間へ行く。
 次の間にはきらびやかなドレスと、ヤル気満々なメイドたちが待機していた。
 言葉を発っせない私は、されるがままに飾りたてられる。

「完璧! です!! 土人形などとは言わせませんわっ!!」

 鼻息の荒いメイドに戦きつつ、姿見をみれば確かに完璧なレディーがいて戸惑った。
 自分ではないみたいだ。

 私は女として社交界デビューをしていなかったから、心が躍る。
 フワフワとした華やかなドレスは、レースがふんだんに使われていて豪華であっても野暮ではない。ハーフアップに結われた髪には、リボンがあしらわれている。
 私が淑女の礼をして見せれば、メイドたちは満足げに頷くいた。

「ご主人様に恥をかかせてはなりませんよ! プッペ」

 私はコクリと頷いた。何だかメイドの気迫にのせられたかもしれない。


 夜会が始まった。私はザントの横に立ち、来場者に挨拶をする。ザントは私を皆に、『土人形のプッペ』と紹介した。ついでに、土人形だから会話は出来ないと付け加える。
 皆新しいオモチャでも見つけたように私を見た。
 特に男達は興味を惹かれるようで、ジロジロと不躾に見られるのが不快だった。


 やがてマレーネ姫が、長兄の王太子とともに現れた。ザントがピシリと固まったから、背中をつつく。ザントはハッとして私を見た。
 しっかりしろ、と目で合図を送る。ザントは深呼吸をして、マレーネ姫の前に立った。仕事用に切り替えたらしい。
 視線はひたすら王太子を見ている。マレーネ姫のことは考えないようにしているようだ。

「これが、土人形かい?」
 王太子が物珍しげ私を眺めた。
「美しいですわ……私も欲しいわ……」
 マレーネ姫が呟いたので、ニッコリと笑って礼をした。
 ふらつくザントの腕に腕を絡ませ、しっかりしろと引き立てる。
「これは余興でして。言葉も話せませんし、タイムリミットも短いので実用化は無理でしょう」
 ザントは視線をそらしたまま、ようよう答えた。
 これ以上はボロが出そうだと判断した私は、ザントの腕を引き、魔方陣のある場所をトントン叩いて見せた。

「ああ、もうタイムリミットのようです。少し魔法をかけ直してきます」
 ザントはそう言うと、逃げるようにその場から離れた。
 
「ふひっ、し、死ぬかと思った……」

 ザントが変な笑いかたで、ヘロヘロとしている。

「ボクは少し休むから、プッペは一人で適当に歩いてきて。失礼な客は逃げていい」

 ヒラヒラと手を振られて、私は会場に戻った。
 美味しそうなスイーツのタワーもあったし、ホスト側の人間(人形?)が居ないのもよくないと思ったからだ。
 どうせ、話が出来ないのだ。周りも話しかけてこないだろう。

 目立たないように戻ったつもりだったが、視線が急に集まって戸惑う。ご令嬢とはこんなに視線に晒されるもなのだろうか。
 宵闇の騎士も注目を集めるが、あれは私を見ているようで虚像を見ているのがわかるから、宵闇の騎士のふりをして受け流すけれど、こういう直接的に見られるのは慣れていない。

 スイーツのタワーを見ていれば、どこかの紳士が皿をもってやって来た。

「食べたいのでしょう?」

 手渡されたので、素直にお辞儀して受けとる。食べやすいように小ぶりに作られたショコラを口に運んだ。
 上質な甘味が口に広がる。マレーネ姫をもてなすために、気合いが入っているのだろう。思わず頬が緩む。

 紳士と目が合う。彼は驚いたように顔を赤らめ、息を飲んだ。

「?」
「甘いものはお好きですか?」

 肯定の意味で頷くと、では、と手を引かれる。
 戸惑って見つめ返せば、ニッコリと笑われた。

「あちらにケーキを用意させます。立ったままだと食べにくいでしょう?」

 小さい子供に言い含めるように言われ、中庭の東屋へ連れていかれる。
 東屋に腰かけるように促され、素直に応じると、すぐ隣に紳士が腰かけた。
 
 話も出来ないので、とりあえず笑ってペコリとお辞儀をした。親切にありがとう、それくらいの意味だ。

 すると、紳士は私の太ももに手をおいた。ビックリして、手を払う。

「本当に話せないんだね?」

 ニヤリと笑われてゾッとする。慌てて立ち上がろうとしたら、腕をとられた。
 なぎはらって良いものか、一瞬考える。ザントにとって、どんな立場の相手かわからない。

「声も出ないの?」

 顔を覗きこまれる。息が近づいてきて気持ち悪い。最悪だ。

 騎士姿だったら、間違いなく制圧してやるのに!

 遠慮なく距離を詰めようとする相手の顔を押しやったら、その手もとられる。

「!!」
「そこで何をしている?」

 静かに怒る声が響いて、紳士は硬直した。
 見れば騎士姿のフェルゼンがいた。

 慌てて俯く。

 聞いてない! 夏休みなのに、なんで警護に入ってるの!?

 目眩ましの魔法がかかっているから、バレるはずはないのだけれど、万が一を考えてドキドキする。

「何をしている?」

 もう一度、フェルゼンが問う。

「愛の語らいですよ」

 紳士がキザったらしく答えるから、私は慌てて首を振った。

「同意の上ではないようだが?」

 私を見てフェルゼンが紳士に問い直す。

「! こういう場で二人きりになるなんて、同意だろう! 常識だ!」
「嫌がっていたら離れるのが常識では?」

 フェルゼンがさらに問い質せば、紳士は慌ててその場を去った。
 私と気がついていないフェルゼンに安心して、頭を下げる。
 本当に助かった。

 フェルゼンは怒ったままの顔で、私を見つめた。赤い目がギラギラしている。本気で怒っているのがわかる。

「夜会では、本命以外の異性と安易に二人きりになってはいけない」

 フェルゼンの非難のこもった声に、シュンとして頭を下げる。

 令嬢として社交界に出たことがなかったから、その辺りの決まりを知らなかった。

「知らなかったのなら、気を付けるように」

 うなだれた私を慰めるように、フェルゼンの大きな手が私の頭に乗った。

 それにしても、フェルゼンは誰にでも紳士的で優しいんだな。

 顔を上げて、理解したと微笑んだ。
 フェルゼンが息を飲む。頭の上に乗っていた手が、するりと後頭部に下がった。耳の下に沿わせるように、もうひとつの手が頬を撫でた。

「運命の人……」

 驚いて目を見張る。見たこともないフェルゼンの顔。熱に浮かされたような瞳が潤んでいる。
 見ていられなくなって、顔をそらす。

 頬にあった手の掌が、そのまま首をくだり鎖骨をなぞる。
 
 怖い。知らない、こんな男を私は知らない。

 慌てて離れようとする。ピッとリボンを引かれる感触。

「逃げたら解けてしまいますよ」
「!!」

 私は思わず、フェルゼンを突き飛ばして、髪が乱れるのもかまわずに慌ててその場から逃げ出した。

 ビックリした。ビックリした。
 女に見せる顔のフェルゼンを初めて見て、驚いた。

 さすがに情熱の騎士といわれるだけある。気が付かなかったと言え、泥人形を口説くなんてどんだけのタラシなんだ。

 バクバクと心臓がなって、指が震える。
 ザントの引き籠り部屋に逃げ帰った。

「どうしたの? ベルンちゃん」

 ザントが不思議そうな顔で私を見た。

「話しちゃった?」
「……一声もだしてない」

 上がる息で答えれば、ザントが眉をしかめた。

「でも、そこの髪だけ青い」

 驚いて鏡を覗き込む。リボンを解かれた一筋の髪が、青く輝いている。ザントの魔力が剥げているのだ。

「うそ、なんで?」

 ザントが慌てて私のグローブを剥く。
 手の甲にかかれた、薄紫の魔法陣の一部が赤色に変わっていた。

「!」
「こんなこと、初めてだ……」

 いつから? 気づかれてた? いや、だとしたらあんなことするわけない。

 混乱する頭。

「リボン、盗られちゃったんだ?」

 カッと顔が熱くなる。

 ザントは少し考えてから、今夜はもう帰った方がいいね、そう言った。





 あれからフェルゼンは私に何も言わない。
 気が付いていなかったのか、話題にも出さないし、あの夜会のような男の顔はおくびにも出さない。
 私はそれに安心した。