鏡の離宮は王都から急ぎの馬車で一日。ミルヒシュトラーゼの町にある。しかし、途中の町で一泊して、離宮に昼過ぎに着くようにした。氷を張るためだ。
離宮は、湖の中心に建っている。
白亜の宮殿が湖に反射して、湖のなかに、もう一つの城があるように見える。
湖には橋がなく、渡るには舟が必要だ。管理を任されている使用人などは、舟を使って行き来する。
しかし、王族は船を使わない。この国で最強の氷魔法の使い手、アイスベルクの者が湖を凍らせて、馬車を通すからだ。
これにより、王家がアイスベルクを命を預けることを表し、アイスベルクは王家に恭順を示すのだ。
過去に、王家とアイスベルクとの関係が悪かった時には、離宮に橋を架けたそうだ。その時の故事から、『離宮に橋を架ける』なんて言葉がこの国にはある。意味は、『愚かな争い』だ。
両家の恥でもあり、忘れてはならない戒めの言葉でもある。
湖の淵にひざまずき、静かに凪いだ水面にそっと掌を浸けた。暖かく柔らかな良い水だ。
王子を無事に渡らせてくださいと、祈りを込めて魔法をかける。
ピシパシ音を立てて水面が凍りつく。一人分の氷が張ったところで、その上に立つ。
最高の魔力を込めて、胸から対岸にかって手を振った。
バキバキと音を立てて一気に対岸まで凍る。
従者達から溜息とどよめきが起こった。
初めて氷を渡るのだろうか。馬車を引く馬が不安そうに足踏みをする。私は馬を安心させるべく、笑いかけて鼻先をゆっくり撫でてやる。馬はそれで落ち着いたのか、小さく嘶いた。馬の吐息が白く立ち込める。
私は先頭を切って渡り始めた。万が一がないように、周りの空気も凍らせる。足元が氷を踏む度に、キラキラとダイヤモンドダストが光る。
よかった、無事に馬車が後ろをついてくる。
全員が渡りきったところで、サーベルを抜き、作った氷の橋に真っ直ぐに刺した。
バリンと盛大な音が鳴り響き、橋が崩れ落ちた。粉々になった氷が湖面を流れていく。夏の光を浴びて綺麗だ。
サーベルを振って鞘にしまう。
歓声と拍手で辺りが包まれた。ホッとする。
「流石だ。ベルン!」
シュテルが飛び付いてくる。
フェルゼンが珍しく静かにしている。
「落ちなくて良かった……」
そう呟けば、シュテルは笑った。
「全くだ。橋なんか架けたくないからね」
ニヤリと笑うから、私もつられて笑った。そんな恥は二度とかきたくない。
初めて入る離宮はとても美しかった。磨きこまれた床は鏡のように光を反射する。
金銀の装飾やシャンデリアは言うまでもなく輝いて、王家の栄華を約束するかのようだ。
私たちは各々一部屋ずつ割り当てられた。
これなら安心してゆっくりできる。
部屋の中から見る湖もとても綺麗だった。
鏡の離宮での毎日は楽しかった。
三人での気楽な旅だから、特に格式ばったことはしない。ディナーも美味しいものを適当に楽しんで、起きる時間も自由。
ビリヤードもできるし、庭も広い。
気が向けば湖に氷を張って、近くの町へ遊びに出る。
ミルヒシュトラーゼの町は、いにしえの王都なのだ。現在の王都は、新しくできたミルヒシュトラーゼということで、ノイエ・ミルヒシュトラーゼという名になっている。
ミルヒシュトラーゼの人々にすれば、我こそが本家であり、アチラは新参。文化の成熟度では王都にも負けないプライドがある。その為なのか、王族にたいしての反応も穏やかで敬意があり過ごしやすい。
シュテルを王子と分かった上で、当然のごとく接してくれる懐の広さがあった。
歴史あるオペラハウスや、博物館など見るものも多い。
士官学校の制服ではない自由な時間を存分に楽しんで、気が付けばもう旅も終わり近くになっていた。
「今夜は天の川の祭りだ」
シュテルが言った。
「ミルヒシュトラーゼ? 王家に関係があるの?」
「うん、ここがミルヒシュトラーゼ家の発祥の地だからね。伝説では、僕のご先祖は星に乗って落ちて来たそうだよ」
シュテルがまるで信じてないように笑いながら言った。
その話は聞いたことがある。ミルヒシュトラーゼ家は夜空に輝く天の川から使わされたのだと。大きな星が地上に落ちて、離宮の湖を作ったのだと。
王子の名、シュテルンヒェンとは小さな星の意味を持つ。
「それを祝って祭りを開くんだ。離宮の湖の水を町の人たちが汲みに来て、持って帰る。夜店もあるし、出し物もある」
「王家が何かするの?」
聞けばシュテルは軽く頭を振った。
「やらないよ。というか、この日は朝から離宮を空にする決まりなんだ。だからみんな、祭りを見に行く」
「じゃ、今年も行こうぜ」
フェルゼンが言った。
「そうしよう!」
私も賛成する。お祭りなんて面白そうだ。
私たちは夜になるまで町で遊んで待つことにした。
今日は使用人の格好をして、目立たないように舟ででる。伝統的にそういう習わしらしい。小さな小舟は不安定でそれを漕ぐのも面白かった。
夜店を回る。串焼きの肉を買って、歩きながら三人で食べる。
町の真ん中で、寸劇が始まった。この祭りの謂れらしい。シュテルは興味なさげだが、私とフェルゼンは初めて見るから面白かった。
気さくなアクセサリーの店が輝いて見えた。思わず足を止めてしまう。
「見てくか?」
フェルゼンに問われて驚いた。男の格好なのだ。
「髪止めあったぞ」
フェルゼンが言った。そうか、髪止めを理由にすれば覗いても変ではない。
本当によく気を配ってくれる。ありがたい。
「じゃあ、記念に何か買おうかな」
お店を覗いてみれば、星の祭りに合わせた趣向のデザインのものがたくさんあった。
レースにたくさんの星が編み込まれたリボン。星形の銀の髪飾り。凝った手鏡。ビーズで天の川を表したものもある。キラキラしていてとても綺麗だ。
「星の趣向がこんなに集まるの見たことがない」
ウキウキと声をあげれば、店主が嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば、マレーネも買ってたな」
シュテルが懐かしそうに目を細めた。
フェルゼンはご令嬢方にだろうか、何か見繕っているようだ。
私も自分とお姉様用にお土産を選んだ。
屋台で小さな瓶を買う。この祭りのメインは、離宮の湖の水を掬って帰ることだ。これを一年のお守りにするのだという。
瓶は色々な種類があった。大きなものから、凝ったデザインのもの、透明なもの色のついたもの。しかしすべての瓶に小さな星型の金が入っているのは共通だ。
私は星の彫られた透明の小びんを選んだ。
瓶を買うと白い紙袋と蝋燭がついてくる。不思議に思ったがそのまま受け取った。
この瓶をもって、人混みに紛れて湖まで歩く。皆、高揚した顔だ。
湖の周りには屋台などはない。灯りも道筋に掲げられているだけで、暗闇が濃い。
喧騒からの静寂で、思わず身が引き締まる。
湖にの淵に近づく。今日は離宮に人が居ないから灯りがなく闇が引き立つ。
湖面は真っ黒な天を映しとり、中にはキラキラと天の川が光る。まるで宇宙が地上に降りて来たような美しさだ。
「綺麗だ……」
思わず漏らせば、シュテルが真面目な顔で頷いた。
「この星を持ち帰るんだよ。今夜だけはこの水は天の川の雫なんだ」
湖の水を瓶に掬う。ガラスのふたでキュッと栓を占めて、ガラス瓶に星の雫を閉じ込めた。金の粒が水の中で揺らめく。
後ろの人に順番を譲って、私たちは歩き出した。
水を得た人々は、何やら湖畔にたむろしている。
しかし、シュテルは先に行った。
「どこ行くの?」
「秘密」
にっこりと笑うシュテルに、フェルゼンと二人顔を見合わせる。
しかし、こういうシュテルに尋ねても無駄だということは経験上知っていたから、私たちは黙って後をついていった。
少し小高い丘を歩く。熱帯夜のヌルヌルとした風が纏わりつく。草いきれが立ち込める。天の川が近い。
草原に腰をおろしてシュテルの指さす方角を見れば、鏡の離宮が見えた。
黒い湖。白い城。蠢く人たち。
「今日は離宮に僕のご先祖様がいらしてるそうだよ。だから、生者は祭りが終わるまでは入れないんだ」
湖畔が少しずつ光り始めた。ポツポツとした小さくて柔らかな灯り。それが、一斉にユルユルと空に上がっていく。
ランタンだ。
息を飲む美しさ。ただ空を見上げる。
たくさんのランタンが暗い夜空を埋めつくす。
「綺麗だ」
フェルゼンの声に頷く。
本当に美しい輝きだ。
「ああやって、降りてきた祖先を天に還すんだよ」
シュテルが言った。
そして、先ほどもらった紙袋を広げる。これがランタンだったのだ。
中に蝋燭を入れ、フェルゼンに火をつけてもらう。中の空気が温まって、ランタンが手から離れる。自ら天に昇って行く。
そして、空で燃え尽きて闇の中に消えた。
すべてのランタンが暗闇に消え、静寂に包まれた湖畔を、人々が後にする。
私たちはそれを見届けてから、帰りについた。
真っ暗な湖を舟で渡る。
舟を漕ぐ櫓の音だけが響く。
明日の朝まで、使用人は帰らないそうだから、私たちは大人しく部屋に戻った。
寝ようと思って準備をしていると、ドアがノックされた。
開ければシュテルだ。
「もう寝るところ?」
「そのつもりだったけど」
「ちょっとだけ付き合って」
手を引かれてついていく。連れて行かれたのは屋上だった。天の川が落ちてきそうな夜だ。
シュテルは私に小さな鏡を渡した。夜店で買っていたものだ。
「何?」
「ちょっとした占い。鏡に天の川を映して」
私は言われたように星を映す。
「少しこのままで」
「うん」
黙ってしまうシュテルに緊張した。
好きだとみんなの前では言うけれど、二人きりで言うことはなくなった。それに、あれから変な触れかたはされないから、大丈夫だと信じてる。
なのに気まずくて、ただ空を見上げた。心臓が苦しい。
「もう良いよ」
「何の占い?」
尋ねればシュテルは少し悪い顔で笑った。ゾクリとする美しさに震える。
シュテルは私の背中にまわった。そして、鏡を握る手をとって、私を映す。シュテルが映る。シュテルの瞳が小さな星みたいに瞬いた。
「この日の天の川を映した後に、初めて映る自分以外の人間が運命の人なんだって」
耳元で囁かれて、顔が熱くなる。暗くて良かった。耳まで真っ赤なのがバレてしまうところだった。
「……そんなの、ズルだ」
「僕は運命も作るよ」
真剣な声に息を飲む。鏡の中で視線が絡まりあう。
驚いて目を伏せた。
シュテルの手が、鏡から離れる。
「それ、あげる。要らなかったら割っちゃって」
シュテルは寂しそうに笑った。
その笑顔を見て、胸が苦しくなる。
あんな顔させたくなかった。
だって、私もシュテルが好きだ。そう自覚した。
だけどそれは告げられない。
側にいるためには、告げることはできないのだ。