ザントの一件で、私はマレーネ姫の警護によく呼ばれるようになった。メイド姿はほとんどないが、騎士姿でもお声がかかる。
姫に抱きつかれても抱き返さなかった事が、分をわきまえた距離感と評価され、侍女から推薦されているようだった。
光栄なことだと思う。
しかしお声がかかるたびに思うのだ。姫様のためにも、女騎士団が必要ではないかと。
「ねぇ! マレーネの婚約者になるって本当!!」
朝からシュテルが煩い。ここは士官学校の学生寮、朝の食堂である。
シュテルの問題発言に、みんなの視線が一斉に集まった。クラウトも顔を上げてこちらを見ている。
私を女だと知っているフェルゼンですら、私をガン見している。
「そんなことないよ」
「あの視察で侍女がベルンならって推薦したらしい」
「え? それはまずい……」
「まずいって、ベルン。人の妹、誑かしてそれはないでしょ! すっごい仲いいって聞いた。マレーネもベルンの話ばかりするし、結婚式上げたんだって嬉しそうに言ってた!」
シュテルが怒り心頭で、ガンガン嚙みついてくる。
周りは好奇心丸出しで、耳を大きくしてこちらを伺っていた。
私は大きくため息を吐き出した。
「結婚式なんか上げてないよ。小さな子がブーケをくれただけだって。それに国王様が何と言おうと、父が許さないと思うし」
「どういうこと? 王家との婚姻が不服なの?」
「不服ではなくて。アイスベルクは王家と婚姻を結ばないという家訓があるからだよ」
「……え?」
シュテルが驚いて私を見つめた。特にはっきりとした公的な取り決めがあるわけではないけれど、アイスベルク家の中では決まっていることだ。昔からそれが良いと納得している。
ハッキリと説明して、みんなの誤解を解いてしまいたい。
「アイスベルクはこの国で唯一私的な軍を持っている」
「ああ、騎馬隊か」
シュテルの言葉にうなずく。
「だから、あまり権力に関わらない。軍事力だけで十分だろ? 外戚にでもなって、反旗を疑われるのも嫌だし、権力をもって担ぎ上げられのも困るから。国内で軍を二分にするなんておぞましい限りじゃないか。うちは領地さえ保証されていればそれ以上のものは望まない。危ない橋は渡らないんだ」
「危ない橋……」
シュテルが呆然とする。
フェルゼンがそれを聞いて、楽し気に笑った。
「王家もアイスベルクの前じゃ形無しだな。みんなが欲しがる王家の力すら、『危ない橋』呼ばわりだ」
笑い声が広がる。それに伴って、もったいないという声も広がる。確かにマレーネ姫はみんなの憧れで、可愛らしい。だけど、それだけだ。
「マレーネ姫は可愛いし、とっても魅力的だけど、私は結婚することはない」
「……王家とは結婚しない……」
シュテルが噛みしめるように呟いた。
「兄上も姉上もね」
なーんだ、なんて声が広がって、みんなの関心が他所へ向く。私はホッとした。
変な噂は困るのだ。
フェルゼンは機嫌良さそうに朝食を食べだした。
シュテルはなんだか難しい顔をしている。まだ疑っているのだろうか?
「それに、マレーネ姫は私のことを男として好きではないと思うよ」
「……そんなことわからないだろ」
「女装の私が気に入ったみたいだから。お姉さまと呼ばれたし、私も妹みたいには思ってる」
安心させるためにそう言えば、シュテルは眉の皺を深くした。一層機嫌が悪くなる。
「なんか、ヤダな」
それを見てフェルゼンが笑った。
「お兄ちゃん、嫉妬かよ?」
「違うよ!」
「シュテルも女装すれば? お姉さまって呼んでもらえるかもよ?」
私が茶化す。
「ベルンまで! 僕はシスコンじゃないからな!」
「はいはい。わかったから早く食べよう」
そう言えばシュテルは渋々とパンを口に運んだ。
「僕の方がベルンを好きなのに」
堂々と告げられる言葉にドキリと胸が鳴った。
あの告白の後から、シュテルはどこでもかまわず私を好きだと公言するようになった。周りのみんなはそれを見て、いつものことだと笑っている。
「……やっぱりマレーネだけズルい」
「またそんなこと」
拗ねるシュテルが可笑しくて笑ってしまう。
「ベルンと旅行とかズルい」
「公務でしょ?」
「僕の公務だとベルン付かないじゃないか!」
「当たり前」
「そうだ! 夏休みに旅行へ行こう! ベルン!」
「俺も一緒だよな?」
フェルゼンが間髪入れずに突っ込んだ。
シュテルが嫌そうな顔をする。
「失敗した、フェルゼンがいないところで誘えば良かった」
「どちらにしても断る。警護とかメンドクサイ」
私はアッサリと断る。マレーネ姫についていったのは仕事だ。あんなふうに警護の騎士を引き連れてなんて遊べない。
シュテルがあからさまにムッとする。
「そんなこと言わないでさ。卒業したら夏休みなんて一緒にとれなくなるんだよ?」
「ええ……やだよ」
「ベルン! お願い!」
「えー……やだ」
「だったら、アイスベルクに泊めてよ。僕、行ったことがないし、あそこならお忍びで行けでしょ」
「絶対ヤダ!! うちの領地は遊ぶようなところ何にもないし、もっと面倒」
「フェルゼンは狩に行くんだろ?」
「フェルゼンは王子様じゃないし、お忍びでもないし。ヴルカーンおじさまなら厩でも寝るだろうし」
「ベ~ル~ン~!」
シュテルがしつこく食い下がらる。
だって、旅行だなんて何かあってボロを出したら困る。アイスベルクを歩き回れば、子供たちから私が女だとばれてしまうかもしれない。
絶対に無理だ。
「だったら、離宮に行けばいい」
フェルゼンの提案に、シュテルが顔を輝かせた。
「鏡の離宮か!」
シュテルが答えた。
「確かにあそこならお忍びでなくても行ける」
「鏡の離宮?」
「ベルンがいるなら渡れるだろ?」
「確かに」
私は鏡の離宮を見たのは一度だけだ。エルフェンお兄様が、初めて離宮に氷を張るとき、岸から見学をしたきりで、湖を渡ったことはない。
お兄様が氷を張り、湖を先導していく様子は美しく、とても憧れた。
それを私がやっても良いのだろうか。
「いいのかな?」
「うん、信用してる、落とさないでね」
シュテルがいたずらっぽく笑った。