一息ついたところで、農園を案内してもらう。
私はマレーネ姫にピッタリとついていく。騎士たちは少し離れて警護をしていた。見晴らしの良い丘からすそ野に向かって、たくさんの花が種類別に植えられていて、カラフルな絨毯のようだ。
「綺麗ですね」
マレーネ姫が感嘆すれば、農園主が嬉しそうに説明する。持ち主はクラウトの父だが、実際の経営をしているのはこの農園主だ。
ほのぼのとした良い空気が広がる。
農園で使用人たちが花を摘んでいる。中には生花としては売り物ならない花があったようで、使用人の子供が籠に入れて集めていた。
「この花はどうするのですか?」
「ドライフラワーや押し花、ポプリなどにします。食用のものは先ほどのようにお茶や、砂糖漬けにも致します。今の時期は結婚式も多いので、その際にフラワーシャワーにしたりもします」
「まぁ素敵ね」
マレーネ姫は女の子らしく瞳を輝かせた。
小さな男の子がトコトコと歩いてきて、マレーネ姫に小さな花束を差し出した。
さすがにそのまま受け取るわけにはいかず、私がそれを改める。
不審な物がなかったので、マレーネ姫様に直接手渡せるように、小さな子供を抱き上げた。
「ひめさま どうぞ」
可愛らしい舌足らずの言葉で、必死に手を伸ばして花束を渡そうとする。
「こら、だめよ!」
子供の母親らしき人物が恐縮するのを、私が目で留める。
「ありがとう」
姫はにっこりと笑って、花束を受け取った。男の子は顔を真っ赤にしながらも、満足そうだ。私は男の子をそっと下した。
男の子はスキップして母親のもとに帰り、母親は何度も頭を下げた。
「かわいいですね」
マレーネ姫に笑いかければ、姫はびっくりしたように瞬きした。そして顔を頬を染める。
「べ、ベルン様は子供はお好き?」
「ええ、可愛いと思います」
「わ、私もです! 私も子供大好きです!!」
なぜか力説されてちょっと驚く。でも、そんなところが可愛らしくもあった。
「姫様を見ればその優しさが子どもにも伝わるのでしょうね」
「そ、そんなこと……」
姫は恐縮して目をそらした。
その瞬間。
花吹雪がフラワーシャワーのように舞い踊る。下から土が盛り上がった。
マレーネ姫の叫び声が響く。
突如土の中から現れた黒い人影に、騎士たちがサーベルを構えた瞬間、それに立ちふさがるような土の壁が立ちはだかる。
私は自分の背に庇うようにして、マレーネ姫とメイドたちを隠した。
「マレーネたんメイドさん ラブラブハッピーウエディングぅぅぅ!」
仮面をかぶった黒い影が、気持ち悪い奇声を発する。
私は生理的に気持ち悪すぎて、思わず顎を回し蹴りした。同時に出現元の地下へ逃げられないように、地面に手をつき凍らせる。
「げぇ。短パンはいてるの? 卑怯! 卑劣!」
「余裕あるなコイツ!」
スカートの中から魔力を抑える暗器を取り出し、倒れ込んだ変態をマントごと地面に縫い付ける。
馬乗りになって仮面を外す。
騎士たちが土壁を打ち破って駆け付ける。
「な、こいつは……」
「大魔道士ザント……どの」
辺りはシーンと静まり返った。
まさかの内部犯。ザントは、この視察のための対策チームに入っていた魔道士だ。
大魔道士ザントは、若くして大魔道士の称号を受け、王宮の守護をつかさどっている男だ。だからこそ、マレーネ姫の私室に怪文書を送り付けることができたのだろう。無駄に使われるハイスペック。
非公式ではあるが、マレーネ姫の婚約者候補の一人とされている。齢二十四歳。未来を約束された男である。
紫の髪に切れ目の紫の瞳は涼やかで、いつもは寡黙でミステリアスな男と有名だった。私には良く分からないが、巷ではイケメンと人気があるらしい。
それの本性が、こんなに痛々しいとは今まで知らなかった。そうまさに、残念なイケメン。
「マレーネたん……す」
「すはすはじゃなーい!」
暗器の後でガツンと殴る。ぐふっと変な音がした。しらん、変態など無視だ、無視。
馬乗りになったスカートに手を入れられ、足を触られゾッとする。
「ひいっ!」
思わず膝と膝を合わせて内またになる。
「はぁはぁ、メイドさんメイドさん。ガーターベルトイン暗器最高はぁはぁ、でも短パンは反則だよぉ」
容赦なく腕をつかみねじりあげて押さえ込む。
「押し倒すなんて大胆っん」
氷で抑えたはずの土が盛り上がってくる。さすがの魔道士だ。魔力を抑える暗器を使っても、私一人の力では押さえがきかない。
もあり上がった土が足を這いあがる。膝がしらにギュッと力を入れ、内腿に触れられないようにする。ゾワゾワと鳥肌が立つ。気持ち悪い。
「シュテっ!」
とっさにシュテルに助けを求めようとして、口を噤む。今日はここにいないのだ。
思わず涙目になる。気持ち悪い。
クラウトが慌てて駆け寄ってきて、魔力封じの縄を蔦に絡ませ、ぐるぐる巻きに拘束し、ザントの顔を踏みつけた。
クラウトは私の脇に手をいれ、抱き上げた。ホッとして、思わず腕に縋りついた。クラウトは安心させるかのように、頷いてくれる。
「死ね、変態!」
「ああ、マレーネたんとメイドさん、尊い。メイドさんマレーネたん、モグモグ」
意味不明すぎてコワイ。引く。なんだろう、こちらが制圧したはずなのに、心が死んだ。
無理すぎる。
「ベルン先輩……」
クラウトの腕に縋った手をそっと撫でられて我に返った。心配そうに窺うクラウトがいた。
シッカリしなければ。
「ありがとう、クラウト」
「いえ、当然のことをしたまでです」
クラウトはにっこりと笑って一歩下がる。警備隊が、グルグルになったサンドをズルズルと引きずっていった。
私たちは呆然としてそれを見送る。
「犯人は魔道士殿だったようですね」
「あ、ええ」
あっけにとられる姫様。当然だ。
「マレーネメイド……? ラブラブ……ウエディング……」
ぼんやりとした顔で、マレーネ姫様が復唱する。意味がわからないのだろう。そんなの復唱しなくていい。
「姫様? 大丈夫ですか?」
顔を覗き込めば、ハッとしたように私をまじまじと見た。なんか、目の色がいつもと違う?
「姫?」
「ベルンさまっ! 恐ろしかった……」
マレーネ姫が抱きついてくる。それほどまでに恐ろしかったのだろう。確かに、あれは怖い。鍛え上げられた私ですら引くぐらいだ。深窓の姫ぎみなら当たり前だろう。
私はマレーネ姫の肩をポンポンと慰めるように叩いた。
「もう大丈夫です、姫」
「でも、まだ怖いわ……」
「おそばにおります」
「ベルンさま……」
ぎゅっと腰を抱き締められ、不味いんじゃないかなと心配する。一応、男女な訳だから。
侍女に目を向けたら、親指を立てて頷いた。
グッジョブじゃないから! まずいでしょ、嫁入り前の姫君が臣下と抱き合うとか!
「マレーネ姫様? そろそろ」
「もう少しだけ、お願い」
か弱い姫にそう言われて、引き離せるほど私は冷たくない。だけど、困ってしまって周りを見渡せば、クラウト以外はニヨニヨとしている。
クラウトは思いっきり睨み付けてきていた。そうだ、最近忘れてたけど、彼は王家過激派だった。シュテル同様マレーネ姫も信仰しているのだ。
視線がいたたまれなくなり、マレーネ姫の腕を外した。そして膝をつき、うつむく姫の顔に視線を合わす。
「不安なのは承知しております。しかし、ここでは人目がありますゆえ」
「あ……私ったら……」
マレーネ姫は恥じ入るように視線をそらした。初めての宿泊を伴う公務で、こんな目にあったら不安だろう。最悪、トラウマになってしまうかもしれなかった。
どうしようかと考えつつも、私には采配出来るような力はない。
「ご無礼でなければ御手を……」
そう言えば、姫はうかがうようにオズオズと私を見た。
メイドの服装だ。怯えきった少女と手を繋ぐくらいは許されるかもしれないと思ったのだ。
「手を繋いでくださるの?」
「私でよろしければ」
マレーネ姫は満開の笑顔で笑った。こんな顔は、幼かったシュテルによく似ていて天使だなと思う。
そっと小指を捕まれて、なんだかくすぐったい。妹がいればこんな感じなのかなと、ほんわりと思う。
「でも、本当はご迷惑でしょう?」
不安そうに見つめる茶色の瞳。この目はシュテルと違う色だ。優しい穏やかな光。シュテルみたいに眩しくない。
「いいえ、光栄すぎて戸惑っております。妹がいたらこんな感じなのかなと思いました」
微笑み返せば安心したように、マレーネ姫が寄り添ってきた。
「今だけお姉さまとお呼びしても?」
「構いませんよ」
思わず笑ってしまう。
「お姉さま、ザント様はこれからどうなるのでしょう」
あんな変態にまで様をつけるとか、マレーネ姫、本当に良い子!
「そうですね、処遇が難しいところです。しかし、厳罰に処したいところだ」
どんな変態であろうとも、大魔道士だ。下手なことはできない。ただ、マレーネ姫の不安を考えれば、個人的には極刑でもいいくらいだ。
「あの方……そんなに罪に問われるようなこと、なさってないのでは?」
マレーネ姫の言葉にいぶかしむ。
「だって、お手紙をくれただけですもの」
「でも、あんな気味の悪い」
「脅迫も侮辱もありませんでしたわ」
確かに、それはそうだ。
「しかし、襲われました」
「あれはわたくしを狙ったものだったのでしょうか? 少なくとも私は指一本触れられていません」
私が先に制圧したからだとも思えるが、武器の所持はなかった。
殺害や誘拐予告があったわけでもなく、その場でも意味不明な言葉を吐いて、花吹雪を舞わしただけだ。土壁作るのは意味が分からないけれど。
法で裁くには根拠が乏しいと言えば、乏しい。
「しかし、姫の部屋や行き先を調べております」
「職務上知り得ただけと言われたら?」
「それを私用で使うのは、正しいことではありません」
「でも、厳罰に処するほどの根拠はないのですわ」
マレーネ姫の考えがわからない。法で裁く前に抹殺でもしようというのか。あの変態ならそれも喜びそうだ。
「姫様、何をお考えです?」
「お姉さま……」
茶色の瞳がトロンとしている。
「わたくし、初めての気持ちを知ってしまいましたの」
「もしや、あの変態に変な術でも!?」
「いいえ、お姉さま。私あの方とお友達になりたいのですわ」
「は?」
思わず素で聞き返してしまった。あの変態と、この清らかな姫がお友達? イヤイヤ、無理だろう。
「お話、したいのです」
マレーネ姫は確かにそう言った。