なぜか、ワンコがいる。正確に言えば、クラウトがワンコに見える。昨日の一件から、妙に懐いてしまったクラウトが、足元で子犬のワルツを踊っている幻想がみえる。
昨日の寝不足のせいだ。
シュテルから教えられた宿営地の話で、私は頭がいっぱいになって上手く眠れなかった。
考えもしていなかった。自分が男から恋愛対象として見られる可能性があるということ。他人から見れば、シュテルやフェルゼンと付き合っているように見えること。
何もかもがキャパオーバーで、処理できずに朝になってしまったのだ。ねむい。
「ベルン先輩、ベルン先輩!」
子犬がきゃんきゃん吠えている。じゃなかった、クラウトが一晩明けたらベルン先輩呼びになってただけだった。明日にはパイセンとか言い出しそうだ。
「なに?」
「昨日は殿下と何をお話だったんですか?」
問われて、ボッと顔が熱くなる。
そんな意識するようなことはない。無かったはずだけど、耳に残ったシュテルの感触。真剣なまなざしと、言葉が今っさっきの出来事のように巻き戻る。
不思議そうな顔をするクラウトに曖昧に笑った。
「……おこられた」
「怒られたんですか?」
「宿営地の認識不足を正してくれたんだよ」
「そうなんですね。仲が良いですね」
「うん。仲は良いよ。でも、フェルゼンもシュテルも私にはすぐ怒る。私が弱いから心配なんだろう。もっと強くならないといけないと反省した」
力なく笑えば、クラウトが真剣なまなざしで私を見た。
「そんなことないです。ベルン先輩は強いですよ!」
拳を作って力説してくれる。
私はクラウトの頭を軽く叩いた。
「ありがとう」
「は、はひぃ!」
クラウトが変な声を出したから思わず笑えば、クラウトも照れたように笑った。
「さぁ、行こう。出立だ」
日の高いうちに森の中のモンスターを倒さなければいけない。夜になると不利になるからだ。
森の反対側は、アイスベルクの領地。王都を守り、領地を守る。私はそのためにここへ来た。
士官学生のいる小隊は本陣の両翼を守ることになっていた。
クラウトは、木属性の魔法を扱い森の道を開ける。
私は氷で防御壁を張り、炎の魔法を持つフェルゼンは、攻撃の先陣を切る。
シュテルは金属性の魔法で、仲間の武器の強化とモンスターへの攻撃だ。シュテル自身の弓矢は、矢じりが水銀魔法でコーティングされているらしいから、正直えげつない。
どんなモンスターも、シュテルの矢の前には敵わないのだ。
さすがにいつもの討伐訓練とはモンスターの格が違った。
倒しても倒しても、新しいモンスターが立ち上がる。
討伐部隊の本陣が目指す、ボスクラスを仕留めなければ際限がない。
徐々に怪我をするものも増え始め、私は出血を凍らせて一時的な血止めをして回ることになった。
後方には救護隊が配備されているから、そこまでの応急処置だ。
「ベルン! サンキュ!」
「良いから下がれ!!」
止血が終わった者を送り出す。背中のシールドに衝撃が走って振り向けば大型モンスターだ。
氷のシールドの中央にサーベルを向けて、魔力を放出する。氷の中央が盛り上がってさらに鋭い切っ先になり、そのままモンスターを貫通した。
霧散していくモンスター。
でも、なんだかおかしい。
このクラスのモンスターが、なんでこんなところにいるのだろうか。もっと中央にいるはずだった。
「わぁぁぁ!! サラマンダーだぁ!!」
「なんでこんなところに!?」
「本陣が向かってるんじゃなかったのか!?」
叫び声が響く。
ボスクラス級の炎のモンスターの出現に、周囲は恐怖に包まれる。赤々とした身体を打ち付けるサラマンダー。離れていても伝わる熱気に怯む。士官学生は軍人ではあるが、経験値も少なく強くはないのだ。
「総員退避!!」
リーダーの号令が響く。
最前線には道を開いているクラウトがいた。
私はクラウトの横へ急ぐ。
氷のシールドを張ってクラウトを防御する。
「クラウト! 進路を閉じろ!!」
「は、はい!」
開いていた木々が、一斉に行く手を阻むように道を塞ぐ。
自然に出来た生木のバリケードにサラマンダーが炎を吐く。
燃えないように、木のバリケードを凍らせる。
「クラウト! 退路を拓け!! 行け!!」
「はい!」
「俺がサポートする!」
フェルゼンがクラウトにつく。サラマンダーと同じ炎系のフェルゼンは、打ち合うには効果が薄い。氷の私が残るのが最善だ。
「フェルゼン! 困ったら小川の水だ! あの小川は主様に通じる!」
「分かった!! ベルン、無理するなよ!」
「うん!」
フェルゼンは小川に剣を入れ、その水を熱して水蒸気に変えた。キリが立ち上がる。目くらましになる。聖なる水にモンスターは怯む。
シュテルの矢がサラマンダーに向かう。炎に触れて音を立てて溶ける。
「シュテル! 駄目だ! サラマンダーは炎だ、金の属性は無効化される!」
「分かってる! でも、ベルンを残して行けるか!」
退避する士官学生たちと私たちを分断するように、小物のモンスターが回り込む。
氷の防御壁を張る私の背中にシュテルが回り、小物モンスターを振り払う。
「数が多い!」
「ああ」
サラマンダーは今だ諦めずに防御壁を崩そうとしている。みんなの退避路は確保できたはずだ。そろそろ私たちも潮時だが。
「退くのは難しいな。ベルン」
シュテルが苦笑いする。
「まったく。帰ったら退却の勉強だ」
集中を切らせば、あっという間にサラマンダーが防御壁を破るだろう。
だからといって、このままでは、こちらの魔力が切れて負けるのは目に見えている。
応援が欲しい。
フェルゼンが応援を呼んでくれたら!
ブワリとサラマンダーの炎が大きく膨らむ。
氷の防御壁から、炎があふれる。
「ベルン!」
「シュテル!」
抑えきれない!
そう思った瞬間、シュテルのマントに抱き込められた。シュテルを越えて炎が舞う。熱い。
たくさんの矢が頭上を通過する。サラマンダーはそれを見て怯む。
「ベルン様か!」
馬の嘶きが響く。
顔を上げれば、そこにはアイスベルクの騎馬隊がいた。すでに小物は一掃されている。
先頭に立つ黒髪の騎士は懐かしい幼馴染だ。筋骨隆々とした騎士らしい体躯に、黒く鋭いまなざし。アイスベルクの騎馬隊と言えば、この人の名を知らないものはいない。
「ウォルフ!!」
懐かしい顔に、安堵の声が漏れる。ウォルフはヒラリと馬から降り、剣を抜いて私の側に駆け寄った。
「ベルン様! 魔力はまだ残っているか?」
「うん!」
「騎馬隊の矢にベルン様の氷の魔法を!」
「わかった!」
再度放たれるたくさんの矢に、私が氷の魔法をかければ、サラマンダーにまで弓が届く。次々に刺さっていく。
「……ベルン、君、他の人に魔法を分けるなんてできるの?」
「? うん」
「だったら、僕の矢にも君の魔法を!」
シュテルが苦しそうな表情で、足もとに散らばった矢を拾い、つがえる。
銀色に輝く矢に私の魔法をかける。キラキラと輝きが増す。
シュテルは歯を食いしばって矢を引き絞り、サラマンダーに向けて放つ。真っ直ぐに放たれ矢は、迷うことなく額に食い込んだ。
この世のものとも思われぬ絶叫が響き渡る。
のたうち回りながら、サラマンダーは倒れた。
「やった! やったよ! シュテル!」
「……よか、……た」
ぐらりとシュテルがふら付いて、私にもたれかかる。赤くなった頬、額に汗がにじむ。
「シュテル?」
「……ちょっとだけ、甘え……たい、気分?」
シュテルは顔を歪めて笑って見せる。
「ばか! 何言ってんるんだ!!」
シュテルの背中は、サラマンダーの炎でマントを焼き火傷を負っていた。私を庇ったせいだ。弓矢が散らばった時点で、私が気が付かなきゃいけなかったのに。
「褒めて……よ、ベルン」
シュテルは歪に笑う。
息ができない。苦しい。
私は答えが上手く見つからなくて、慌てて氷の魔法でシュテルの背中を冷やす。
「きもち、いい」
シュテルがホッとしたように呟いて、力を抜いた。
重い身体が私にのしかかる。伏せられた睫毛が微かに震えている。苦しそうな吐息。
私はシュテルを抱きしめた。
「ウォルフ! どうしよう、どうしよう、シュテルが! ねぇどうしたらいい?」
どうしたらいいかわからなくなって、ウォルフに助けを乞う。このままだと、シュテルが死んでしまうかもしれない。
私は治癒魔法なんか持っていない。サラマンダーの炎には魔力があるはずだ。普通の火傷では済まない。シュテルは金の属性だから、炎の魔法には弱いのだ。
「ねぇ、ヤダよ! こんなのヤダよ! 私のせいでシュテルが。氷の私が傷を受ければよかった」
「落ち着け!」
ウォルフが一喝する。
ビクリと体が震える。泣き出しそうになって唇を噛む。怖い。怖い。怖い。
シュテルがいない世界なんて、イヤだ。
ウォルフが私の頬をパンと両手で挟み込み、じっと瞳を覗き込んだ。
頬がジンジンとする。
「しっかりしろ。大丈夫だ。助ける」
ポロリと瞳から涙が落ちる。低くて深いウォルフの声。絶対の声。小さいころからウォルフの言うことは正しかった。間違いがなかった。
ずっと兄のように慕って、信頼してきた人だ。ウォルフが言うなら大丈夫だ。
「……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。だから、ちゃんと聞け」
私は瞳だけで頷く。
「いいか。お前が怪我をしなかったから、彼を助けられるんだ。分かったな? お前が彼を助けるんだ」
「……うん!」
「ここからだとオレ達の本営が近い。彼を運ぶぞ」
「わかった、私の馬で運ぶ」
「彼の馬は?」
「スノウだ。あの子ならついて来れる」
「スノウ? だったらこのお方はシュテルンヒェン殿下か!」
騎馬隊に緊張が走った。
ウォルフが手を上げて指令を出す。
「先に連絡をしろ。敵は炎のサラマンダーだと伝えろ! 殿下の属性は金だ! 絶対にお助けする!」
伝令が馬を駆る。
「お前は殿下の背中を冷やしながら、オレの後について来い」
「はい」
私は、青毛の愛馬レインに跨った。シュテルを向かい合うようにして馬に乗せ、胸で抱きながら背中を冷やす。
先を行くウォルフは、歩みやすい道を選んで騎馬隊の本営へと案内してくれた。