宿営地に戻れば、熊を担いできた私にみんながギョッとした。
「クラウト、その熊はどうした?」
「ベルンシュタイン先輩が、熊を倒しました」
答えれば、ドッと歓声が上がる。
「小熊が親熊倒すとか、最強か」
「今夜は肉か!?」
「でかした! ベルン」
今夜は干し肉だと皆思っていたからテンションが上がっている。
しかし、それを咎めるようにフェルゼン先輩がベルンシュタイン先輩に詰め寄った。
「って、……フェルゼンが怒ってる」
「うわー、あれマジのヤツだ」
「過保護だよな、ベルン強いのに」
「あの顔で、野生ではダントツだよな」
「全くだよ」
周りのみんなは面白そうに見ているけれど、私のせいでベルンシュタイン先輩が怒られるのは良くないと思った。
思わず事情を説明しようとすれば、ベルンシュタイン先輩が人差し指を唇に当て、口止めの合図を送ってくる。
シーッとか可愛い。なにあれ、さっき熊倒してきた人間と思えない。かわいい。
私の胸はキュンと高鳴った。顔が熱くなるのがわかる。
「あの一年」
「「「ああ、あれは、落とされたな」」」
「うっわ、フェルゼン、キレた」
「今ので、怒る理由変わったな」
「ベルン、御愁傷様」
外野がワイワイ言っているが、私の頭はグルグルだ。
落とされたってどういうことだ? フェルゼン先輩がキレるのはどうしてなんだろう。
なんて思った瞬間、ベルンシュタイン先輩がつま先立ちして、フェルゼン先輩の頭を押さえ込み、ほっぺに顔を近づける。
一瞬、周りに薔薇の花が舞った気がした。
フェルゼンの顔が真っ赤に染まり、先程の勢いはなくなって静かになる。
!? キスした!?
うそ、だ。そんな。だって、そんな。
仲が良いとは聞いていたし、知っていた。でも、だけど。キスだなんて、恋人じゃなきゃ。
恋人、なんだろうか。
「おい……あれ見たか、ベルンのやつ」
「ああ、フェルゼンと」
「き、キス、した?のか?」
「しかも、フェルゼンのあの反応」
「……ああ、あの女たらしのフェルゼンが」
「顔を真っ赤にして」
「何も言えなくなるとか」
「なにしてんだよ……ベルン……」
「いや、ベルン、まぁ、そこそこイケメンとは思ってたけど?」
「ま、まぁ、そうだよな、宵闇の騎士様だしな?」
「しかし」
「なんだ、あれだ、今まで気が付かなかったけど」
「「「魔性」」」
「だな」
「やべーよ、アレは」
ザワつく言葉。私の心もザワついた。
チラチラと光る眼はベルンシュタイン先輩を見ている。士官学校の中では、男同士の恋人達もいないわけではなかった。
だけど、ベルンシュタイン先輩がそういう人なんて。
そういう人だったら。
私も。
そう思う自分に驚いた。私もキスしたいだなんて。相手は先輩なのに。男なのに。それなのに。
私はベルンシュタイン先輩が嫌いだった。
引きこもり侯爵の二番目の息子とかで、めったに王都に来ないくせに、殿下の幼馴染として馴れ馴れしくしていたからだ。
私だって侯爵家で、住まいは王都なのに、たった一つ年下なだけで殿下のお側に置いてもらえない。そのことが悔しかった。私は一学年の首席であり、私の方が殿下の友人として相応しいはずなのに、だ。
私の家ヴルツェル侯爵家は、昔から王家に深い深い敬意をもってかかわって来た。私の父は国王の学友であったし、母は王妃と幼馴染、兄は第一王子と学友で仲が良い。それなのに私は、たった二日遅れて生まれてきたために、シュテルンヒェン第二王子と同学年になれなかった。そしてそのため、友情を育めていない。
そのことを家族はとても残念がった。それでも何時かは、そう思いながら自己研鑽をしてきたのに、殿下は私ではなくベルンシュタイン先輩を側に置いた。
だからことあることに、ベルンシュタイン先輩に挑戦した。私が彼より優秀だと分かれば、殿下も私を見てくれる、そう思ったからだ。
しかし、ことごとく失敗した。でもすべてあと一歩なのだ。だから余計に腹が立つ。年下の私と変わらないくせに、どうして殿下のお側が許されるのか。
フェルゼン先輩が殿下のお側にいるのは当然だ。二年生の中でも殿下についでの成績で、剣に関せば殿下よりも上の腕前。背は高く、筋肉もついた美丈夫で、出自も申し分がない。明るく男らしい性格は男の中の男と憧れの対象だった。
それに比べて、ベルンシュタイン先輩は背も低く薄っぺらな身体。優雅だと言われる身のこなしは、文官ならともかく騎士としたらなよなよしすぎている。弓も剣も劣っていて、唯一のものは乗馬だが、そんなの名馬の名産地出身なのだ。馬がいいに決まっている。
いつでも取り澄ました顔をして、麗しきマレーネ姫にでさえ目を奪われるようなことはない。だからクールな騎士だなんて呼ばれているけれど、きっと心が冷たいのだ。そんな人間は殿下に相応しくない。
そう思っていたのだが、今日の一件で見方が変わってしまった。
森に明るく、騎士道以外のサバイバルにもたけている。瞬時の判断力と、それを行動に移せるだけの実力の持ち主。剣の腕を甘く見ていたが、実戦ではそんなことは全くなかった。殿下のサポートを瞬時に理解し、魔法も使わず熊を倒したのだ。
すっかり打ちのめされた。
罵倒されても仕方がない私の行動に、ベルンシュタイン先輩は窘めただけでクドクドと言わなかった。怒れないのではなく怒らないのだと殿下に教えられ、そこにも痺れた。憧れた。
殿下に命じられ、私は熊を担いで帰路についた。
それが私にできる精一杯の反省だと思えたのだ。
重い熊を引きずりながら、殿下やフェルゼン先輩に認められるも当然だと理解した。嫌味ばかり言う可愛くない後輩のために、こんなに大きく強い獣の前に躊躇いもなく立てるだろうか。
少なくとも私には無理だ。
私は、この人が、ベルンシュタイン先輩が好きだと思った。
でも、アレを見てしまったら。
フェルゼン先輩と付き合っているのだろうか。
だとしたら私に勝ち目などない。
尋ねてみれば、殿下と共に否定する。
その様子から、もしかしたら殿下と付き合っているのではないかと思う。
そのままそれを尋ねれば、それもあっさり否定され安心する。
誰とも付き合っていないと否定される。
殿下やフェルゼン先輩と仲が良すぎるとは思うけれど、違うというなら信じたい。
だったら、少しの可能性はある。可能性があるなら諦めたくない、そう思った。