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 期末テストも三日目を迎えた。

 ここまでの感想を一言でいうなら、『簡単過ぎる』、これに尽きた。

 一学期までの学習内容を踏まえ二学期の授業を理解しきっていれば、回答できない問題などない。それはそうだ。定期テストというのは、決まった範囲について理解できているかを確認するものでしかないのだから。

 そういう意味で、期末テストは簡単だった。

 しかし、これは決して良い意味ではない。

 私にとって簡単ということは、当然鹿島くんにとっても簡単だということだ。期末テストの中に、私たちに解けない問題はない。これでは差がつかない。

 もし差がつくとしたら、ミスか、難問・奇問の類かだ。

 ミスはあったかどうか分からない。時間内にあると分かっていたら潰すし、自己採点と振り返りは全教科終わるまではお預けにしているので、現時点では不明。今は、各教科一つずつくらいあってもおかしくない、くらいの気持ちでいる。

 特別難しい問題や変わった問題もあるにはあった。引掛け問題、ちょっと思いつきが必要な問題などなど、各教科で一問か二問くらいは軽く捻った問題が出た。テストを作った先生の遊び心というか、丸暗記しているだけじゃなく実力が身に付いているかを試す問題だ。とはいえ、しっかり勉強していればまともに解ける範囲の問題だ。私はできたし、鹿島くんも落としはしないだろう。

 しかし、最後の最後になってとうとう難問・奇問が登場した。

 期末テスト最後の時間は世界史だった。

 奇妙な縁、というべきか。追追試のときも最後は世界史だったし、一年一学期の期末テストもそうだった。

 そして今回。世界史のテストでそいつは現れた。

 論述問題が並ぶ問題用紙右下の最終盤、何故か一つだけぽつんと置かれた選択問題。もうその登場の仕方からして、嫌な気配はぷんぷん漂っていた。

 しっかり問題を読み込むと、嫌な予感は確信に変わった。aとbは誤っていると確信を持っていえるのだが、残りcとdがどうしても分からない。そもそも選択肢に書かれた名称に見覚えがないのだ。間違いなく教科書にも授業にも登場していない。恐らく、世界史用語集をめくれば辛うじて一行説明が載っているレベルの用語であり、問題自体はどこぞの難関私立大学の過去問だろう。

 最初に時間のかかる論述問題を片付け、地図や年表の穴埋め記述問題や選択問題は後回しにして、例の難問を再読した。

 ……駄目だ。確信を持って答えるのは不可能だ。cもdも知らないのだから、正誤判定の仕様がない!

 この問題、鹿島くんならどうするだろう?

 確か、箴言メモにはこうあった。

 『後悔しない選択肢を選べ』と。

 そんなこと言われてもどうしろと。cだろうがdだろうが、どちらを選んでも間違ってたら後悔するでしょう!

 一応、箴言メモを念頭に置いて選択肢を読み直す。

 cは『を契機として』という記述が怪しい。

 dは『三分の一を占める』という記述が胡散臭い。

 どちらの選べば精神的なダメージは少ないだろう。

 『契機として』が嘘で、時系列が逆だったり因果関係が無かったりしたら? 知らなかった私が悪いと思えるかも。

 『三分の一』が嘘で、本当は『半分』だったら……知るかそんなの!

 決めた。cだ。

 もしdを選んで『三分の一』が嘘だったら、かなりの後悔に苛まれるはずだ。

 ……待って。ちょっと待ってよ。

 この問題、鹿島くんもcを選ぶのでは?

 流石の鹿島くんでもこのレベルの問題に自信を持って答えられるはずはない。私と同じ思考回路でcを選ぶはずだ。

 重要なのは、こういうとき鹿島くんが見せるファンタジックな勘の悪さだ。

 選択問題が大嫌いだという鹿島くん。彼は、面白いようにハズレを引く。

 私が後悔しない選択肢は何か? 改めて考えてみると、一つの答えが出る。

 この問題で鹿島くんと同じ答えを選んで同点、若しくは他の問題で負けたら、私はきっと後悔する。

 敢えて違う選択肢を選び、挑戦の末に敗れたら、きっと私は後悔しない。

 だとしたら、私が選ぶべきは……。

 問題用紙のdに丸をつけ、回答用紙にdと記入する。

 と、したところでふと気づいた。

 私、さっきから鹿島くんのことばかり考えている。

 彼に教わったことを思い出し。

 彼だったらどうするかを考え。

 彼を基準にして答えを選んだ。

 私の中に鹿島くんがいて、思い出すのはいつも頑張っている姿で……だから私も頑張れる。

 さあ、残るは記述式と選択問題だ。