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 テストの朝は気持ちの良い冬晴れだった。

 電車の窓から見下ろした井の頭公園は、朝露の装いを煌めかせていた。駅から井の高への道も、日差しの下で眩く輝いているようだった。

 時刻は七時半。ホームルームは一時間後だが、通学路にも、校門から校舎までの間にも、結構な数の生徒たちがいた。早く来て最後の勉強をしたり、気持ちを落ち着かせたりするのだろう。私と同じだ。

 職員室にも半数ほどの先生が来ていた。ちょうど青木先生の姿があったので、空き教室の鍵を借りることにした。

「おう、鶴崎。期末も期待してるぞ」

「すみません。今回、本気なんですよ。ネタ回答はちょっと」

「そこじゃねえよ! 順位だ、順位」

「最下位はないと思います」

「俺もねえと思うよ! 逆だろ、逆。狙うは一位、そうだろ?」

「当然ですよ」

 それが何か? という顔をしたら、青木先生は「はっ」と愉快そうに笑った。

「……なあ、鶴崎」

 そして先生は、私に鍵を手渡しながら問い掛けてきた。

「意味が、見つかったんか?」

 そういえば、以前先生にも聞いたことがあった。報われない努力に意味なんてあるのかと。

 そして先生は答えた。意味があるか決められるのはお前だけだと。

 考えてみれば鹿島くんも似たようなことを言っていた。意味は見いださなければならないと。

「……見つけたような気もしますけど、まだ全部じゃないって気もしてます。だから、今探してるところですよ」

「そうか」

「先生も探してるんですか? 離婚に強い弁護士」

「お前はあれか、余分なこと言わないと死ぬんか?」



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 特別棟の廊下はいつものように寒かった。

 いくら天気がよくても、日陰には関係ない。

 空き教室の前に立つ。

 そのドアを開けるのが、怖い。開けて確かめるのが……。

 中を見るまでは、何も確定していない。

 そこに鹿島くんがいるのか。

 鹿島くんがテストを受けられるのか。

 そして、私が彼に勝てるのか。

 ふと、思ってしまった。

 いつまでもあの頃が続いてくれればよかったと。

 夏休みの、追追試のために補習を受けていたあの頃が。

 夏の喧騒を向こうにして、ただ二人いられたあの頃が。

 無為な思いにピリオドを打つため、私は空き教室のドアに手をかけた。

 ドアが動くか動かないか、そんな微妙な力を込める。

 手応えはなく、ドアは動いた。

「もしかして、君か?」

 と、ドアの隙間から声が届いた。聞き慣れた彼の声だ。

 ドアを開けると、いつもの席に座っていた鹿島くんが、

「よう、やっぱりか」
 と手を挙げた。

 机の上には教科書、ノート、そして分厚い紙の辞書。

 空き教室に来る。国語辞書に触れる。どちらも鹿島くんのルーティーンだ。

「準備はばっちりみたいね」

 私が尋ねると、鹿島くんは「君こそ、準備はいいのか?」と訊き返してきた。

「ルーティーンならもうやってるよ」

「違う」と鹿島くんは首を横に振った。

「遺書の準備だ。一番になるのは僕だからな」

 面くらい、思わず「は?」と声を出してしまった。

 一瞬置いてから、今度は笑いがこみ上げてきた。

「鹿島くんこそ、言い残したことはない? 偉そうなことばかり言ってすみませんでしたとか」

「そんな戯言は生涯言わないな」

 鼻で笑った後、鹿島くんは辞書を撫でつつ呟いた。

「……言い残していきたくはないな」

 鹿島くんとの冗談めいた会話は久しぶりで、楽しかった。

 地雷原で踊るような危うさすらもエンタテインメントだった。

 だから、おかしな話なのだ。

 冗談で泣きそうになるなんて、馬鹿げている。

 顔を背け、欠伸をする振りをして目許を擦る。

「……そろそろ教室行こうか」

 そう促すと、鹿島くんは「いや」と首を振った。

「僕は保健室でテストを受ける。それが一時外出の条件なんだ」

 退院できたわけではなかったのか。

「じゃあ、ここでお別れだね」

「ああ」

 空き教室のドアを開け、廊下に出たところで、背中から声をかけられた。

「『いつか山の上で君達と握手する時があるかも知れない』」

 その言葉は、実篤の『友情』、その一節だった。