「このまえの模試の結果出たってよー」
「マジ? 見に行こー」
 後ろでしゃべるクラスメイトの会話が耳に入って、俺も立ち上がった。
 教室を出て、一階に下りる。成績表は、職員室前の掲示板に貼られる。

 順位なんて、見なくてもわかっている。入学してから半年のあいだ、俺の名前がいちばん高い位置から動いたことはいちどもない。だからべつに、今回も一位とれたかな、なんてドキドキはない。ただ、確認しておくだけ。全国偏差値とか、二位のやつとの差とか。

  職員室前には、普段はない人だかりと喧噪があった。
 中には矢野もいて、俺を見つけると意気込んだ様子で声をかけてきた。
「お、つっちー残念だったなー」
「あ?」
 妙ににやけたその顔と向けられた言葉に、眉を寄せる。
 人混みの中心にある成績表に目をやる。
 探す必要はない。俺の名前がある位置は決まっているから。上位五十人の名前が並ぶその、いちばん上に――

「……は?」
 なかった。
 俺の定位置だったはずのその場所にあったのは、
「あの転校生、頭良いんだなー。頭良い学校から来たんかな?」
 ――『坂下季帆』の名前。
 俺は信じられない思いで、その光景を眺めていた。
 俺の名前は、季帆の下にある。
 点数差は12点。俺と三位のやつより大きい。

「土屋くん」
 まさかの事態に面食らう俺の背中に、声がかかった。
 ここ数日、おそらくいちばんよく聞いている、高い声。
「二位なんてすごいですね。勉強できるんですね、土屋くんって」
「……いや、お前のほうが上じゃん」
 眉をひそめながら振り返る。嫌みか、と続けかけた言葉は喉で消えた。
「え?」
 代わりに、間の抜けた声が漏れる。

「季帆?」
「はい、季帆です」
「なんだよ、それ」
「それとは」
「その髪とか、眼鏡とか」
 そこにいたのは、三つ編みを肩に垂らし、黒縁の眼鏡をかけた季帆だった。
 昨日まで茶色く、ゆるく毛先が巻かれていた彼女の髪。それが真っ黒になり、きっちりとした三つ編みにされている。顔には大きめの黒縁眼鏡。よく見れば化粧も格段に薄くなっていて、スカートの丈も昨日までより長い。

「はい、イメチェンしました」
「……なんで急に」
「樋渡くんを寝取るための、前準備です」
「ちょ」
 あいかわらず声量を落とさない季帆に、ぎょっとする。あわてて周りを確認したけれど、誰も聞いてはいないようだった。
 俺は季帆の腕を引き、喧噪から離れた階段下のほうまで移動してから
「なに、どういうこと?」
「樋渡くんの好みに合わせてみました。樋渡くん、こういう清楚で素朴な感じの女の子がタイプかなって」
「樋渡に聞いたの?」
「いえ、想像です。七海さんと付き合うということは、こういう子がタイプかなと」
「……七海、そんなださくないだろ」
 正直、清楚で素朴というより、単純に芋臭い。七海は少し地味目なだけで、もっとふつうに可愛い。
「え、いまいちですか?」
「いまいち。なんつーか、やりすぎ。もうちょい適度にしろよ」
「うーん、わかりました。検討します」
 自分のおさげに触れながら、真面目な顔で呟く季帆に
「……つーか、お前」
「はい?」
 本気だったんだな。
 わかってはいたけれど、激変した彼女の髪型に、あらためて突きつけられる。三つ編みはともかく、色まで変えるのはなかなか面倒なはずだ。
 私が奪います。昨日聞いた季帆の声が、頭に響く。
 ――本当に。
 どうしてここまで、するのだろう。

 いいよ、と俺は額を押さえながら呟いた。
「え?」
「そんなこと、しなくていい。寝取るとかさ、なにも俺のためにそこまで」
「べつに土屋くんのためじゃないですよ」
 静かだけれどはっきりとした声で、季帆は言った。
 え、と困惑した声をこぼす俺に
「私がしたいからするだけです。だから土屋くんになんて言われようと、します。土屋くんはただ、七海さんとの関係を切らずに待っていてください。やけになって冷たく当たったりしたら駄目ですよ。ちゃんと優しい幼なじみのまま、七海さんの傍にいてくださいね」
 淡々と告げる季帆の表情には、言葉どおり、俺がなにを言っても揺るぎそうにない意志があった。
 俺はひたすら困惑して、そんな彼女の顔を眺めていた。
 季帆がなにを考えているのか、さっぱりわからなかった。