『ちゃんと生きてます。おやすみ』
 送らなかったら本当に家まで押しかけてきそうな気がしたので、寝る前、言われたとおり季帆に生存報告をしておいた。
『よかったです。おやすみなさい』
 五秒後に返ってきた季帆からの返信は、意外とシンプルだった。会話を続けようとすることもなく、その一通でやり取りは終わった。

 七海からは、とくになんの連絡もなかった。
 寂しいようなほっとしたような、複雑な気分だった。今日あの男のことを報告されたら、俺は彼女になにを言っていたかわからないから。もちろんこちらからも、なにも連絡はしなかった。
 

  翌朝、いつもと同じ電車に乗って学校へ向かう。
 七海はいない。今日も一本早い電車に乗ったらしい。
 高校に入学したばかりの頃は毎日いっしょに登校していたのに、最近は七海と朝会うことはほとんどなくなった。七海が生徒会に入り、俺と登校時間がずれたから。

 七海が生徒会に入りたいと言ってきたとき、軽く「いいんじゃない」なんて答えてしまったことを、今は痛烈に後悔している。生徒会がこんなに忙しいものとは知らなかった。放課後だけでなく、早朝や休日にまでときどき活動しているらしい。おかげで、俺が七海といっしょに過ごす時間は格段に減ってしまった。

 ……そのせいじゃないのか。
 俺と七海の時間がすれ違うようになったから。そのあいだに七海とあの男が近づいてしまったのではないか。なんとなく、生徒会に入っていそうな男だったし。
 そもそも、七海はどうして急に生徒会に入ろうなどと思ったのか。中学の頃は、生徒会なんてまったく興味もなさそうだったのに。
 ……まさか、あの男がいたから?

 嫌な考えが頭の隅をよぎって、振り払うように顔を上げる。
 そこでふいに、視線を感じた。
 座席は埋まっているけれど、すし詰めというほど混んではいない車内。俺がいるのは二両目の先頭のドア近く。なんとなく、毎朝きまってこの場所に乗っている。
 嫌な予感が湧く。
 ゆっくりと横を向いた先、やはりいた。
 薄く染めた茶色い髪。うちの高校の白いブラウスに、羽織った紺のカーディガン。

 ――いつも同じ電車に乗ってます。いつも見てます。

 季帆は同じ車両の真ん中のドア近くに、こちらを向いて立っていた。
 目が合うと、にこりと笑って小さく手を振ってくる。けれどこちらへ歩いてくることはなく、かといって視線を逸らすでもなく、じっと俺のほうを見つめ続けていた。彼女の言葉どおり、本当にただ、俺を見ているだけ。
 毎朝、季帆はこんなことをしていたのだろうか。まったく気づかなかった。

 離れた位置から一方的に見られているのは居心地が悪かったので、仕方なく俺のほうから季帆のもとへ歩いていく。
「……おはよ」
「おはようございます、土屋くん。無事でなによりです」
「だから、死ぬ気とかないって」
 朝からいっきに疲れた気分で、季帆の向かい側に立ち、壁にもたれると
「いつもこんな感じで見てたの?」
「はい、だいたいいつもこの場所から。気づきませんでした?」
「ぜんぜん気づかなかった」
 今思えば、なぜ気づかなかったのか不思議だ。あれだけガン見されていたのに。
「……駅、いたっけ?」
「いました」
 みじんの隙もなく即答されたけれど、ぜったいいなかった。いたらさすがにそこで気づく。やっぱり季帆の最寄り駅は、中町駅ではないらしい。
 どうしてここまでするのだろう。
 半年前に一言二言しゃべっただけの男に。

「……なあ」
「はい」
「なんで俺なの」
 思わず口をついていた疑問に、季帆が俺を見た。
 彼女は軽く目を細め、穏やかに笑うと
「あの日、土屋くんが私に声をかけてきたからです」
「あの日?」
「四月十四日の朝。この時間の電車で」
「……俺、なんかそんなたいそれたこと言ったのか?」
「いえ、ぜんぜん。私が顔色悪かったから、心配して声かけてくれただけです。大丈夫? って。話したのはそれだけ。そのあと駅員さんを呼んできてくれました。ホームに具合の悪そうな人がいる、って」

 言われて、少しだけ記憶がたぐり寄せられた。
 四月。まだ高校に入学したばかりの頃。たしかに、朝の電車で女の子に声をかけたことがある気がする。以前、七海が登校中に倒れたことがあったから。顔色の悪かったその子を、見逃せなかったのだろうと思う。

 ……だけど、それは、季帆だっただろうか。
 季帆がこう言っているから、季帆だったのだろうけど。
 記憶の中ではどうにも違った気がして、なんだかしっくりこなかった。