一組と二組担当の体育の先生が、インフルエンザにかかったらしい。朝のホームルームでわざわざ報告があった。
 三組でなぜそんな報告をするのかと思ったら、そのため今日の体育は一組二組と合同で行うとのことだった。ちなみに、普段は四組と二クラス合同で行っている。
 男女は別れて違う競技をすることも多いけれど、今日は男女ともグラウンドでサッカーをするらしい。


 迎えた体育の時間。グラウンドに出ると、当たり前だがいつもよりたくさんの生徒がいた。
 季帆の姿もあった。
 グラウンドの隅のほうで、手持ち無沙汰な様子で授業の開始を待っている。
 やはりというか、孤立しているらしい。誰も季帆に話しかけには行かない。女子たちは季帆から少し離れた位置で、それぞれ友達同士かたまってしゃべっている。

 なんだかいたたまれなくなって、話しかけに行こうかとしたとき、ふと季帆が俺に気づいた。
 目が合うと、けわしい顔をして小さく首を横に振ってくる。来るな、ということらしい。
 そういえば、人のいるところで話しかけるなと言われていた。

 仕方なく頷き返して、足を反対方向に向けたとき
「……あ」
 ちょうどグラウンドに出てきたところの七海が目に入った。
 樋渡はいない。友達らしい女子二人と連れだって、こちらへ歩いてくる。
 彼女が体操服を着ているのを見て、俺が思わず眉をひそめていると
「あ、かんちゃん」
 近づいたところで、七海も俺に気づいた。軽く片手を挙げると、いっしょにいた友達になにか言ってから、こちらへ歩いてくる。

「そっか。今日は三組四組といっしょなら、かんちゃんともいっしょか」
「なんで」
「ん?」
「なんで体操服着てんの、お前」
 つっけんどんに尋ねると、七海はきょとんとした顔で
「え? なんでって、体育だから」
「参加すんの?」
「うん。体調もいいし」
 当たり前のようにそんなことを言う七海に、「だから」と俺はよりいっそう顔をしかめながら
「見学しろっつってんじゃん。今はよくても、体育したら悪くなるかもしれないだろ」
「やだ。体育したいもん」
 話を打ち切るように、きっぱりと七海が突っ返す。
 駄々をこねる子どもみたいな調子だった。
「したいもん、じゃなくてさあ」それに俺はイライラと頭を掻きながら
「お前、いい加減用心するとか覚えろよ。何回それで体調崩してると思ってんの」
「いいんだよ」
「は?」
「体調、悪くなってもいい。それでも体育がしたいの」

 七海の顔を見ると、思いがけなく真剣な表情をした彼女と目が合った。
 一瞬、息が詰まった。
 そこには、はっきりとした反発の色があったから。
「……は?」息苦しい喉から押し出した声は、自分でもちょっと驚くほど冷たかった。

「なに言ってんのお前。いいわけないじゃん。体調崩してまで体育するって、ただのバカだろ」
「じゃあ、バカでいいよ。うん、わたしバカだ」
「七海」
 ふて腐れたような七海の口調に、腹の奥のほうがぼうっと熱くなる。
 見限るように俺から視線を外した彼女の肩へ、思わず手を伸ばしかけたとき

「――いいじゃん、もう」
 ふいに後ろから声がした。耳慣れない、男の声。
「やりたいって言ってるんだから」
 振り返ると、樋渡がいた。
 さながら、いじめられるヒロインを助けに来たヒーローみたいなタイミングだった。
「させてあげれば。ほんとに体調もいいみたいだし」
 少し困ったような笑顔で、子どもの喧嘩をなだめるみたいに樋渡が言う。
 ああ、やっぱり。
 その落ち着いた声に、よりいっそう腹の熱が膨らむ。
 こいつは、こういうことを言うんだな。
 こんな、ただ甘いだけのことを。

 なにも知らないくせに。
 いや、なにも知らないから。


 樋渡、と口を開きかけた俺をさえぎるように、グラウンドのほうから声がした。
 招集をかける先生の声だった。
「あ、授業始まるよ」
 助かったとばかりに、七海がそちらへ目をやる。そうしてほっとしたような顔で、「行こ」と告げて早足に歩き出した。当たり前のように、グラウンドのほうへ。
 それに眉をひそめながら、だけど俺も少しほっとしていた。
 あのまま口を開いていたら、俺は樋渡に、なにを言っていたかわからないから。