「あれ、かんちゃん」
季帆と別れ、家に帰っていた途中で、声をかけられた。
七海と同じ呼び方に、声質も七海とよく似ているから、声だけだといつも一瞬わからなくなる、その人。
「おばさん」
振り返ると、七海の母親が自転車を押しながらこちらへ歩いてくるところだった。前カゴに、近所のスーパーの袋が入っている。
「どこか遊びに行くとこ?」
「いや、今帰ってきたとこ」
「そう。七海はね、今日も朝から学校行ってるのよ」
「今日も?」
うん、と相槌を打ちながら歩いてきたおばさんは、俺の前で自転車を止めて
「生徒会ってほんと忙しいのね。びっくりしちゃう。ねえかんちゃん、あの子最近どう?」
「どうって」
「大丈夫そう? 勉強とか、ちゃんとついて行けてる?」
「……さあ。あんまり話してないから、最近」
返した声は、思いのほか素っ気なくなってしまった。
だけどおばさんはとくに気にしなかったようで、そっか、と朗らかな表情のまま
「そうよね。かんちゃんだって忙しいだろうし、七海にばっかりかまってられないよね。ごめんね、いつもつい頼っちゃって」
穏やかに向けられた言葉に、ふいに胸の奥がぎりっと痛んだ。
いつも。
たしかにおばさんからは、何度となく頼まれてきた。
――七海のこと、よろしくね。かんちゃん。
高校に入学するときも、おばさんは俺にそう言った。うれしそうに、俺の手をとって。
――かんちゃんと七海が同じ高校でよかった。かんちゃんがいるなら、私も安心だ。
なんて言って。
いや、と俺は曖昧に首を振ってから
「べつに……てか、忙しいのは俺より七海のほうだし。生徒会とか」
「ああ、そっか。たしかに忙しいみたいだもんね。毎週毎週、最近は土日もずっと学校行ってるのよ、七海」
「……毎週?」
生徒会ってそんなに忙しかっただろうか、と俺がふと訝しんだとき
「うん。今度の連休にも、一日生徒会の活動があるらしいし。朝から夕方まで一日がかりで」
何気ない調子で続いた言葉に、俺はおばさんの顔を見た。
「……連休?」
「うん。ほら、来週の三連休」
「三連休の、いつ?」
「え? えーと、真ん中の日曜日って言ってたかな」
「なんの活動があるって?」
「さあ。そこまでくわしくは聞いてないけど。ていうか、かんちゃん知らなかったの?」
不思議そうに聞き返され、俺は視線を落とした。
「……知らなかった」
――七海のやつ。
軽く唇を噛んでから、俺は「おばさんさ」とあらためて口を開くと
「七海に、彼氏ができたの聞いた?」
「へっ、彼氏?!」
案の定、おばさんからは心底びっくりした声が返ってくる。
「なに、あの子彼氏なんてできたの?! いつ?」
「けっこう前。今月の頭ぐらい」
「やだ、びっくり。知らなかった。ぜんぜん話してくれないんだから、あの子」
自分の頬に手をやりながら、おばさんが興奮気味に呟く。
「……七海、おばさんに話してなかったんだ」
「うん、今初耳。こういうこと、話してくれるかと思ってたんだけどなあ」
俺も、てっきり話しているかと思っていた。
七海が、こんな姑息なことをするとは思わなかった。
正直に話せば反対されると思ったのか。だとしたら、遠出が危ないということぐらい、七海も自覚しているということか。
そうまでして、行きたかったのか。樋渡と。
出先で体調を崩し、また何日も寝込むようなことになっても。
俺やおばさんに、さんざん心配をかけるようなことになっても。
「――連休の話」
「うん?」
ふいに、胸の奥でなにかが首をもたげる。
ひどく冷え切って、淀んだ感情だった。
放り出すような気分で、俺はおばさんの顔をまっすぐに見つめると
「嘘ついてるよ、七海」
「え?」
「本当は生徒会の活動なんてない。その日、彼氏と日帰りで旅行に行くって聞いた。柚島まで」
「……そうなの?」
おばさんの顔が軽く強張る。
いつも朗らかなおばさんの、そんな見慣れない表情を眺めながら
「今日も本当は、生徒会じゃなくて彼氏とデートだったんじゃないの、七海」
「え、そうなの?」
「知らないけど。でも前はこんな土日まで忙しくなかったはずだし」
「……言われてみれば、そうね」
硬い表情のまま、おばさんは考え込むように顎に手をやる。
そんな様子を見ているだけで、わかった。
きっとこれで、七海は旅行へは行けない。
だけど七海が悪い。ちょっと走っただけで、倒れるような身体のくせに。自分の体調管理も自分でできないくせに。嘘なんてつくから。隠したりしようとするから。七海のくせに。
――七海のくせに。
季帆と別れ、家に帰っていた途中で、声をかけられた。
七海と同じ呼び方に、声質も七海とよく似ているから、声だけだといつも一瞬わからなくなる、その人。
「おばさん」
振り返ると、七海の母親が自転車を押しながらこちらへ歩いてくるところだった。前カゴに、近所のスーパーの袋が入っている。
「どこか遊びに行くとこ?」
「いや、今帰ってきたとこ」
「そう。七海はね、今日も朝から学校行ってるのよ」
「今日も?」
うん、と相槌を打ちながら歩いてきたおばさんは、俺の前で自転車を止めて
「生徒会ってほんと忙しいのね。びっくりしちゃう。ねえかんちゃん、あの子最近どう?」
「どうって」
「大丈夫そう? 勉強とか、ちゃんとついて行けてる?」
「……さあ。あんまり話してないから、最近」
返した声は、思いのほか素っ気なくなってしまった。
だけどおばさんはとくに気にしなかったようで、そっか、と朗らかな表情のまま
「そうよね。かんちゃんだって忙しいだろうし、七海にばっかりかまってられないよね。ごめんね、いつもつい頼っちゃって」
穏やかに向けられた言葉に、ふいに胸の奥がぎりっと痛んだ。
いつも。
たしかにおばさんからは、何度となく頼まれてきた。
――七海のこと、よろしくね。かんちゃん。
高校に入学するときも、おばさんは俺にそう言った。うれしそうに、俺の手をとって。
――かんちゃんと七海が同じ高校でよかった。かんちゃんがいるなら、私も安心だ。
なんて言って。
いや、と俺は曖昧に首を振ってから
「べつに……てか、忙しいのは俺より七海のほうだし。生徒会とか」
「ああ、そっか。たしかに忙しいみたいだもんね。毎週毎週、最近は土日もずっと学校行ってるのよ、七海」
「……毎週?」
生徒会ってそんなに忙しかっただろうか、と俺がふと訝しんだとき
「うん。今度の連休にも、一日生徒会の活動があるらしいし。朝から夕方まで一日がかりで」
何気ない調子で続いた言葉に、俺はおばさんの顔を見た。
「……連休?」
「うん。ほら、来週の三連休」
「三連休の、いつ?」
「え? えーと、真ん中の日曜日って言ってたかな」
「なんの活動があるって?」
「さあ。そこまでくわしくは聞いてないけど。ていうか、かんちゃん知らなかったの?」
不思議そうに聞き返され、俺は視線を落とした。
「……知らなかった」
――七海のやつ。
軽く唇を噛んでから、俺は「おばさんさ」とあらためて口を開くと
「七海に、彼氏ができたの聞いた?」
「へっ、彼氏?!」
案の定、おばさんからは心底びっくりした声が返ってくる。
「なに、あの子彼氏なんてできたの?! いつ?」
「けっこう前。今月の頭ぐらい」
「やだ、びっくり。知らなかった。ぜんぜん話してくれないんだから、あの子」
自分の頬に手をやりながら、おばさんが興奮気味に呟く。
「……七海、おばさんに話してなかったんだ」
「うん、今初耳。こういうこと、話してくれるかと思ってたんだけどなあ」
俺も、てっきり話しているかと思っていた。
七海が、こんな姑息なことをするとは思わなかった。
正直に話せば反対されると思ったのか。だとしたら、遠出が危ないということぐらい、七海も自覚しているということか。
そうまでして、行きたかったのか。樋渡と。
出先で体調を崩し、また何日も寝込むようなことになっても。
俺やおばさんに、さんざん心配をかけるようなことになっても。
「――連休の話」
「うん?」
ふいに、胸の奥でなにかが首をもたげる。
ひどく冷え切って、淀んだ感情だった。
放り出すような気分で、俺はおばさんの顔をまっすぐに見つめると
「嘘ついてるよ、七海」
「え?」
「本当は生徒会の活動なんてない。その日、彼氏と日帰りで旅行に行くって聞いた。柚島まで」
「……そうなの?」
おばさんの顔が軽く強張る。
いつも朗らかなおばさんの、そんな見慣れない表情を眺めながら
「今日も本当は、生徒会じゃなくて彼氏とデートだったんじゃないの、七海」
「え、そうなの?」
「知らないけど。でも前はこんな土日まで忙しくなかったはずだし」
「……言われてみれば、そうね」
硬い表情のまま、おばさんは考え込むように顎に手をやる。
そんな様子を見ているだけで、わかった。
きっとこれで、七海は旅行へは行けない。
だけど七海が悪い。ちょっと走っただけで、倒れるような身体のくせに。自分の体調管理も自分でできないくせに。嘘なんてつくから。隠したりしようとするから。七海のくせに。
――七海のくせに。