一瞬、その単語の意味を思い出せなかった。
けして好意的ではない、その響き。
「……仕返し?」
「はい」
「俺への?」
「はい」
「……え、俺、お前になんかしたの?」
「はい。四月十四日の朝、私に声をかけてきました」
「……は?」
わけがわからず、心の底から困惑して季帆の顔を見つめる。
たしかに声はかけた。季帆の顔色が悪かったから、大丈夫? と。
だけどべつに、それ以外はなにもしゃべっていない。失礼なことをした覚えもない。むしろ、感謝される行動かと思っていた。
というか、それでお前は俺に惚れたんじゃなかったのか。
「いや意味わかんないけど。なんでそれで」
「ほら、今日雨じゃないですか」
唐突にそんなことを言って、季帆が窓のほうを指さす。
外は薄暗く、朝早くに降り出した雨が、今も降り続いている。
「雨だけど」
「私、雨の日は偏頭痛がするんです。中学生の頃からずうっと」
「……は?」
急になんの話だ。
ぽかんとして季帆を見る俺にはかまわず
「だから今日は朝からしんどくて。おまけに今日、生理二日目なんですよ。私、生理痛もひどいんです。脂汗が出るぐらい。痛み止めは飲んだんですけど、それでもやっぱりしんどくて。頭もお腹も痛いし、身体は重いし、今日はほんと最悪でした」
話の流れがさっぱりわからない。
俺に仕返しをする理由を教えてくれるんじゃないのか。
「あ、あと」ついていけずにいる俺は放って、季帆はさらに思い出したように声を上げると
「今日は大好きなクリームパンが売り切れだったんです。それだけならよくあるんですけど、もうひとつ大好きなほうじ茶ラテも買えなかったんです。両方だめだとさすがにテンション下がりました。お昼の楽しみだったのに」
「……それがなんだよ」
耐えかねて口を挟めば、季帆が俺の顔を見た。目を細める。
「――そういうの、ぜんぶ、土屋くんのせいなんです」
「は?」
「今日、頭が痛かったのもお腹が痛かったのも、クリームパンとほうじ茶ラテが買えなくてがっかりしたのも。ぜんぶ、あの日、土屋くんが私に声をかけてきたせいなんです」
「……は?」
さっきから、「は?」以外の言葉が出てこない。
だって、なにひとつ、意味がわからない。
ひたすら困惑する俺に、季帆はやけに穏やかな笑顔のまま
「だから、仕返しをします。土屋くんに」
「……仕返しって」
「七海さんから樋渡くんを奪って、七海さんを土屋くんのもとに返します」
続いた言葉も、さらに意味がわからない。仕返しって、相手を痛めつけるものじゃないのか。それじゃむしろ、俺の得になるだけの気がする。
「それで土屋くん、明日も生きたいと思えるでしょう? もう死にたくなくなるでしょう? 七海さんが手に入るなら、ずっと生き続けたいと思えますよね?」
淡々と重ねられる問いに、ふいに背筋を冷たいものが走る。
最初に会ったときから、ぶっ飛んだ子だとは思っていた。だけどもしかしたら、俺が思っているよりずっと、危ない子なのかもしれない。なんというか、電波な子なのかもしれない。
急に怖くなってきて、思わず後ずさろうとしたとき
「だから土屋くん、私の損とか得とかは考えなくていいんです。これは土屋くんへの仕返しなんです。私がしたいからしていることです。それに、土屋くんにとっても悪い話じゃないでしょう? 私が樋渡くんを七海さんから奪えたら」
――季帆が、七海から樋渡を奪えたら。
一瞬、その光景が頭をよぎった。
樋渡に裏切られて、泣く七海。俺はそんな彼女の背中を撫でて、優しい言葉をかけてやる。慰め方なら知っている。小さな頃から何度も、そうやって泣く彼女を慰めてきた。だからきっと、うまく慰められる。俺なら。そうしたら。
「ね。――奪い返しましょう、土屋くん」
俺は黙って季帆の顔を見つめていた。
その目には、なんの迷いもためらいもなかった。ただひたすら、まっすぐだった。
けして好意的ではない、その響き。
「……仕返し?」
「はい」
「俺への?」
「はい」
「……え、俺、お前になんかしたの?」
「はい。四月十四日の朝、私に声をかけてきました」
「……は?」
わけがわからず、心の底から困惑して季帆の顔を見つめる。
たしかに声はかけた。季帆の顔色が悪かったから、大丈夫? と。
だけどべつに、それ以外はなにもしゃべっていない。失礼なことをした覚えもない。むしろ、感謝される行動かと思っていた。
というか、それでお前は俺に惚れたんじゃなかったのか。
「いや意味わかんないけど。なんでそれで」
「ほら、今日雨じゃないですか」
唐突にそんなことを言って、季帆が窓のほうを指さす。
外は薄暗く、朝早くに降り出した雨が、今も降り続いている。
「雨だけど」
「私、雨の日は偏頭痛がするんです。中学生の頃からずうっと」
「……は?」
急になんの話だ。
ぽかんとして季帆を見る俺にはかまわず
「だから今日は朝からしんどくて。おまけに今日、生理二日目なんですよ。私、生理痛もひどいんです。脂汗が出るぐらい。痛み止めは飲んだんですけど、それでもやっぱりしんどくて。頭もお腹も痛いし、身体は重いし、今日はほんと最悪でした」
話の流れがさっぱりわからない。
俺に仕返しをする理由を教えてくれるんじゃないのか。
「あ、あと」ついていけずにいる俺は放って、季帆はさらに思い出したように声を上げると
「今日は大好きなクリームパンが売り切れだったんです。それだけならよくあるんですけど、もうひとつ大好きなほうじ茶ラテも買えなかったんです。両方だめだとさすがにテンション下がりました。お昼の楽しみだったのに」
「……それがなんだよ」
耐えかねて口を挟めば、季帆が俺の顔を見た。目を細める。
「――そういうの、ぜんぶ、土屋くんのせいなんです」
「は?」
「今日、頭が痛かったのもお腹が痛かったのも、クリームパンとほうじ茶ラテが買えなくてがっかりしたのも。ぜんぶ、あの日、土屋くんが私に声をかけてきたせいなんです」
「……は?」
さっきから、「は?」以外の言葉が出てこない。
だって、なにひとつ、意味がわからない。
ひたすら困惑する俺に、季帆はやけに穏やかな笑顔のまま
「だから、仕返しをします。土屋くんに」
「……仕返しって」
「七海さんから樋渡くんを奪って、七海さんを土屋くんのもとに返します」
続いた言葉も、さらに意味がわからない。仕返しって、相手を痛めつけるものじゃないのか。それじゃむしろ、俺の得になるだけの気がする。
「それで土屋くん、明日も生きたいと思えるでしょう? もう死にたくなくなるでしょう? 七海さんが手に入るなら、ずっと生き続けたいと思えますよね?」
淡々と重ねられる問いに、ふいに背筋を冷たいものが走る。
最初に会ったときから、ぶっ飛んだ子だとは思っていた。だけどもしかしたら、俺が思っているよりずっと、危ない子なのかもしれない。なんというか、電波な子なのかもしれない。
急に怖くなってきて、思わず後ずさろうとしたとき
「だから土屋くん、私の損とか得とかは考えなくていいんです。これは土屋くんへの仕返しなんです。私がしたいからしていることです。それに、土屋くんにとっても悪い話じゃないでしょう? 私が樋渡くんを七海さんから奪えたら」
――季帆が、七海から樋渡を奪えたら。
一瞬、その光景が頭をよぎった。
樋渡に裏切られて、泣く七海。俺はそんな彼女の背中を撫でて、優しい言葉をかけてやる。慰め方なら知っている。小さな頃から何度も、そうやって泣く彼女を慰めてきた。だからきっと、うまく慰められる。俺なら。そうしたら。
「ね。――奪い返しましょう、土屋くん」
俺は黙って季帆の顔を見つめていた。
その目には、なんの迷いもためらいもなかった。ただひたすら、まっすぐだった。