頭頂部に視線を感じて顔を上げれば、前の席に反対向きに座った塚田がこっちを見ていた。

「・・・なに。」
「別に?」

そう答えつつ、塚田の視線は俺を捉えたままだ。
もう一度目で訴えかけると彼は少し楽しそうに笑う。

「いや?春原がそんなに余裕ないとはなあって。」
「・・・うるさい。」
「秋山、落ち込んでたぞ。」
「・・・分かってる。」

分かってる、そんなこと。秋山を傷つけていることも、彼女は何も悪くないことも、全部自分の中の勝手な気持ちだと言うことも。
謝るタイミングを逃してしまって、今日こそは謝ろうと思った。しかし帰りのホームルームが終わるタイミングで彼女はすぐに教室を出てってしまい、まだ戻ってきていない。

カバンが置きっぱなしの隣の席を見て、そのまま視線を前の席に向ける。そこにもスクバが置かれたままで、ああ、ダメだ。どうしても気持ちがコントロール出来なくて、思わずため息がこぼれた。

そんな俺を見ながら塚田は困ったような、微笑ましいような、からかうような、なんとも言えない表情を浮かべるから机の下で足を蹴っておいた。
・・・今日はもう帰ろう。

これから自主練をして帰るという塚田と別れ、1人廊下を歩く。人気の少ない歩いていればなんかいい匂いがするなあ、なんて思ったのと同時に聞こえてきたのは悲鳴で。

「きゃああああ!」

女子のものと思われる悲鳴が重なる。
なにがあったのかと少し駆け足で悲鳴が聞こえた方角へ向かう。
どうやらいい匂いも悲鳴も出処は同じく調理室のようだった。

「っ・・・大丈夫!?」

ガラガラ、と勢いよくドアを開ければその中にいたのは見知った顔の人達だった。

半泣きで固まっている春日と、同じく真っ青な顔で固まる雪緒。その傍では秋山が両手を丸めて合わせていてその中に何かが入っているようだ。

そのままテコテコと窓の方まで歩き、彼女は手のひらの中から何かを逃がす。
・・・虫?

「もう帰ってくるんじゃないよ〜」
「結衣先輩っ!はやく!手洗ってください!!」

春日に急かされるまま秋山が石鹸で手を洗って、そのままふっと顔を上げた。

「!?!?春原くん!?」
「そんなに驚く?」

まるで幽霊でも見たかのような顔をする。雪緒たちもそこで俺の存在に気づいたようだ。雪緒もまたひどく驚いた顔をして、そしてなぜか顔を赤らめた。

何か事件じゃなくて良かった、と安心すると同時に視界にラッピングされたお菓子の存在が目に入る。赤いリボン。中に入っているのはケーキだろうか。

俺の視線を辿って、なぜか雪緒がひゃあ、と変な声を出して更に顔を赤らめた。そんな彼の背中を、春日がグイグイと押す。

「あーーもう!ひっそり引き出しの中に入れようと思ってたのにい!」
「それ普通に怖いですから。ほら、早く早く。こうなったら今言っちゃいましょうよ。」

押されるままにおずおずと前に出てきた彼は少し俯いて、意を決したように顔を上げた。

「こ、これ!ハミングバードケーキって言って、アメリカではメジャーなスイーツなの!中に入ってるのはパイナップルとオレンジ。甘いものが苦手って聞いたから、スポンジにもクリームにもお砂糖は入ってないから、だからもしよかったら・・・」

食べて欲しくて。消えかかりそうな声でそう言い切った雪緒はそのまま俯いて後ろに下がろうとする、がそれを春日が許さない。自分で手渡せ、と言わんばかりに雪緒にケーキを握らせた。
彼もまたふう、と息を吐いてからラッピングされたケーキを恐る恐るという様に俺に差し出す。

「・・・ありがとう。」
「あ!!全然!!嫌だったら捨てて・・・」
「捨てるわけない。食べるよ。」
「・・・本当に?」
「うん。ありがとう。」

嬉しい、と俺が言う前に雪緒があああああ、と変な声を上げる。

「もおおお、死ぬかと思った・・・」
「頑張りましたね、えらいえらい。」
「・・・アンタ、意外といい奴ね。」
「意外じゃないでしょ、見た感じいい奴でしょ。」

崩れ落ちる雪緒の頭を春日がポンポン、と叩いていて、そんな彼の声は教室の時よりもワントーン以上高い。それはさっきからだけど。一人称も変わっていて、けれどそれに驚くというよりも彼の王子様スマイル以外の表情を見れたことが何だか新鮮で、やっと雪緒の体温を感じられた気がした。

何気なく調理台の上を見渡せば、赤いリボンのラッピングの横に透明な袋に入っただけの何かが見える。中身は何だろう、と思って近づけば、あああああと声を上げたのは今度は雪緒ではなく秋山だった。

「・・・これは。」
「ちょっと!!見ないで!!!」

焦げて・・・いるのだろうか。中に入っているものは所々黒くて(本当は所々以外が黒い)、そしてスポンジがポロポロと崩れてしまっていた。俺の前に立って、精一杯袋を隠す秋山。その背中を、今度は雪緒が押す。

「えっと・・・これは・・・」
「・・・」
「ハミングバードケーキ、になる予定だったものです。」

そのまま秋山は一度俯いた。その手は不安そうに制服の裾をつまんでいる。

「私、知らないうちに春原くんに嫌な事しちゃってたのかなって。」
「・・・ごめん、それは違くて・・・」
「全然何が原因なのか思いつかなくて、そういう所も駄目だなって思っちゃって。私あんまり賢くないから、人の気持ちとか分からない時あるし。」

だから違うんだよ、その俺の声に重ねて秋山が顔を上げる。

「でも、私やっぱり春原くんと話せないのは悲しい。悪い事しちゃってたならきちんと謝りたいし、ちゃんと仲直り、したいなって。」

そこまで言って、秋山の視線は机の上に戻る。真っ黒のケーキ。それを見つめて、秋山は遠い目をする。

「でも上手くできなくて。私の人生こんなもんですアハハハハ。」
「ゆいゆい、目が空洞になってるわ。」
「こんな時ですら何も上手くできない。ああ一体どうして私は・・・」
「結衣先輩、どーどー。」

宙を見つめて乾いた笑いをする秋山をすり抜けて机の上に手を伸ばす。あ、と彼女が止める前に封を開いて口の中に放り込んだ。

「・・・・・・おい゛じい゛」
「世界一分かりやすい気遣いをありがとう!ほら!ぺってして!!」

慌てふためく彼女を横目にすべてを飲み込む。ごっくん、という音と共に涙目になってしまいそれは隠せず。ごめん秋山。

「ありがとう。嬉しい。」
「そんな、わたしは・・・」
「あと、俺の方こそごめん。ていうか秋山は何も悪くない。何も嫌なことなんてしてない。」
「・・・春原くん。」

もう一度謝った俺の顔を少し不安そうに見上げて、彼女が手を差し出す。

「仲直り、してくれますか。」

迷わずに俺も手を差し出せば、彼女は少し躊躇いながら俺の手を握る。少しの沈黙の後、秋山はふふっと可笑しそうに笑った。

「お手本のような仲直りの仕方だね。」
「だね。」
「小学生に見せてあげたいね。」

いや、小学生の方がちゃんと仲直りできるか、見せるべきは大人かな?なんて真剣な顔で考え始めるから、思わず俺も笑ってしまった。




昨日も今日も。きっと明日も明後日も、雪緒くんは私にちょっかいを出してくる。

「ねえねえ、駅前にできたカフェ行こうよ。」
「いいね!そこのチーズケーキ美味しいって噂だもん!」
「プリンも美味しいみたいだよ。あとSNSフォローすれば割引あるって。」
「さっすが雪緒くん。ぬかりないね」

まあね、と答えた彼は春原くんの方を向く。

「春原くんも行くでしょ?」
「歩くのめんどくさい。」
「えー、冷たいなあ。」

あいかわらずの塩対応。
可愛くほっぺを膨らませた雪緒くんは、いいよ2人で行くから!と私に向き合える。

「秋山さん。」

「デートだね。」

・・・しまった、うっかりときめいた。声、表情、顔の角度、何もかもが完璧だった。くそう、何この敗北感。私の心の声が漏れたのか雪緒くんが勝ち誇ったように笑う、と同時に春原くんが顔を上げて。

「・・・俺も行く。」
「でも歩くの面倒なんでしょ?」
「気のせいだった。」
「甘いものも得意じゃないよね?」
「コーヒーとか飲む。カフェなんだからあるでしょ。」

ふーん、と雪緒くんは意地悪に笑って、そんな彼を春原くんが死んだ魚のような目で睨んでいた。果たしてこれでいいのかな?と思うのだが、どうやら彼は好きな人に意地悪したくなる典型的なタイプのようだ。困った顔を見るのが何より萌えるらしい。この話は雪緒くんから一方的にされた、あんまり聞きたくなかったけど。

そんなこんなで、私の大切な友達がまた1人増えたのだ。