「あなたには分からないって言葉は、ずるいよな。」

誰もいない化学準備室。
話を聞いてくれた花ちゃんは、コーヒーを一口飲んで。

「ずるいけど、意味がないなんて言葉も残酷だよな。」
「・・・うん。」

さっちゃんの事が心配で、でも私の話を聞いてくれない事が悲しくて、彼女が言われたくないと分かってる言葉を言ってしまった。分かってて、言ってしまった。

「・・・私はどうすればよかったんだろう。」

何を言えばさっちゃんの心に響いたんだろう。ただただ心配で、それが一番なのに。
ポツリ、とこぼれた私の言葉に花ちゃんは腕を組む。人差し指で頭を掻いて、そして急に人差し指をたてた。

「問題です。ライト兄弟が成し遂げた偉業とは何か、完結に答えよ。」
「・・・私文系だもん。」
「いいから、答えて見て。」
「・・・ライト兄弟はアメリカ合衆国出身の発明家活世界初の飛行機パイロットの兄弟であり、自転車屋をしながら兄弟で研究を続けて1903年の世界初の有人動力飛行に成功した。」
「・・・その感じで賢いのまじで怖いわ。」
「失礼すぎません???」

まあいいや、と花ちゃんが一つ咳払いをする。いや私は良くない、なんで暴言はかれたの、解せぬ。

「そんな彼らの名言として、こんな言葉があります。」

「『今正しい事も、数年後には間違っていることもある。逆に今間違っていることも、数年後には正しい事もある』」

人差し指を建てたまま、花ちゃんはゆっくりと繰り返す。

「・・・結局は絶対に正しい事も絶対に間違っていることもないんだよな。言葉をどう受け取るかだって人によって違うし、考え方は時代によって変わっていくし、同じ状況でもこの人には響く言葉もこの人には響かない、何てことザラにあるだろ。」

めんどくせえよなあとため息をついてから、私の顔を見る。

「今の白河にとっては秋山の言葉は響かなかったかもしれない、それでお前は自分も無力に思ったかもしれない。でもそれがイコール間違えじゃない。」

花ちゃんの言葉がスーッと胸にしみ込んでくる。

「数日後、数週間後、数か月後、数年後。いつかは分からない。分からないけど、今日の言葉が白河の救いになる日は絶対に来る。あの時は受け入れられなかったけど今なら分かる、なんて日が絶対に来るんだよ。だから、間違えじゃない。正解も間違いも、決めつけるには早すぎる。いつだって早すぎんだ。」

「『いつか来る日』の事を考える事でしか人は気持ちを整理できない。いつかに希望をもって生きていくしかない。なーんか虚しいし、ちっぽけだよな。」

でも、ともう一度私の目を見て、
花ちゃんは悪戯っ子のように笑った。

「俺はそんな俺たちのちっぽけな所が、嫌いじゃないぜ。」

ちっぽけなわたし達。

どうしようもなく苦しい時、悲しい時、いつかの事を考えて乗り越える。未来の事を考えて、そんな日が来ることを夢見て、今を頑張れる。少しずつ進んでいける。そんなことでしか進んでいけない私たちだけど、でもそれでいい、それがいい。正解が不正解に変わる日も、不正解が正解に変わる日も、色んな日を願って生きていく。色んな日を夢見て生きていく。




ガタン、と自販機からスポーツドリンクが落ちる。
はい、と会長がそれを手渡してくれて、有難く受け取ることにした。

部活終わりの夕方。既に夕日は沈みかけていて、日が短くなったことを実感する。

「体調はどうだ?」
「大分よくなりました。ありがとうございます。」

自販機の横の石段に会長と共に腰かける。部活終わりに再び少しふらついてしまったところにたまたま会長が通りかかり、座れるところまで連れてきてもらった。
こまめな水分補給は意識しているつもりだが、一口飲んで自分ののどが思ったより乾いていた事に気が付く。

私の頭の中にはさっきの結依の姿が浮かぶ。結依は中々人前じゃ泣かない。いつもおどけて、笑って、辛い時も全然口に出さない。そんな結依に、あんな顔をさせてしまった。そしてそのまま置き去りにしてしまった。胸が痛くて、涙が滲みそうになる。

「・・・私、結依に酷い事を言ってしまいました。」

ポロリ、と独り言のように言葉が落ちた。それ以上口を開いたら、この情けない心を全てさらけ出してしまいそうで、そのまま黙る。
そうか、と会長は呟いて、そして。

「だったら、謝らなきゃなあ。」

え、と思わず声が出た。その言葉に会長が焦って「な、なんか変な事言ってしまったか・・・!?」と目をぱちくりさせるから、私も焦って首をする。
ううん、全然変なことなんかじゃない。そうだ。当たり前の事だ。

「秋山くんに酷い事を言ってしまって、早紀さんは後悔しているんだろう?だったら、謝らないと。」

会長の声は落ち着ていて言葉がスっと耳に入ってくる。そういえば全校集会の時も、生徒会の時も、会長が話し出すと自然に静かになるんだよな。すごいな。

悪い事をしてしまったら謝る、なんて幼稚園児でもできるのに。うんと小さい頃に教わった人間として大事なことを、どうして私は忘れてしまっていたんだろう。

過ぎてしまった事は変えられない、言ってしまった事は取り消せない。
だから、気持ちを伝え続けていくしかないんだ。心の中なんて誰にも読めないんだから、口に出していかなきゃいけないんだ。伝えたいと思ったことを伝え惜しんでたら、私はきっと私じゃなくなってしまう。

「・・・ありがとうございます。」

小さく呟いた私に会長は無言のまま首を振る。そしてそのまま静かに立ち上がって、よし、と背伸びをした。

「本番でも本来の力が発揮できるおまじないを教えてあげよう。」
「おまじない?」
「そうだ。こう見えて俺は緊張しくてな。いつもこれをやってから本番に臨むんだ。」

会長は子供みたいにはにかんで、私に手を差し出す。

「大丈夫。きっとうまくいく。」

背後に残った夕日の光が会長と重なって。うーん。眩しいなあ。