頼りにしていた窓から入る微かな光はすでに消えて。
窓に吹き付ける雨と風の音。響く低重音。必死に耳をふさぐ。

お化けは怖くない。もしいたとしてもとりあえず話してみればいいと思っている。話してみればいい人、なんてよくある事だ。血まみれでも、怖い顔をしていても、話さなければ分からない。まずはそこが第一歩、だから怖くない。高い所も、虫も、コモドオオトカゲだって怖くない。

・・・でも。

「っ・・・!」

あ、光った、と思った瞬間にまた大きな音が響く。
心臓がどきどきして、じわりと涙がにじんだ。この音は駄目だ。心臓の下から響いてくるようなこの音だけは、どうしても苦手だ。
充電が切れたスマホを握りしめる。この奥に人がいるわけでもないのに、でも、もう頼るものが何もない。

どきどきが激しくなって息が苦しくなる。呼吸を整えようと大きく息を吸ってみれば、埃っぽい空気にむせる。さらに苦しくて、息が吸えなくて。
わたしは、わたしは、どうすれば。誰か。誰か__

瞬間。また大きな音が響いて強く耳をふさげば、
眩しい光が視界に映って思わず目を瞑る。

雷?いや、違う。これは雷の音じゃなくて。これは、雷の光じゃなくて。

「っ秋山!!どこ!!」

普段は見れない必死の彼の姿をこの目で見たかったけど、
今の私にそんな余裕なんてなくて。

「すのっ・・・はらく・・・」
「大丈夫。もう大丈夫だから。ゆっくり、息吐いて。」
「っ・・・」
「そう。大丈夫。ゆっくりでいいから。」

そう言いながら背中を撫でてくれる。
大丈夫、もう大丈夫。ゆっくり、息が出来る。

「安心して。もう、大丈夫だから。」

なんて春原くんの優しい声が聞こえて、
今度は別の意味で涙が滲んだ。



「・・・少し落ち着いた?」
「・・・うん、ありがとう。」

気付けば激しく打ち付けていた雨は止んでいていて、雷の音も、もうしない。
涼し気な虫の鳴き声も聞こえてきて、なんだか、別の世界みたいだ。

「なんで、私がここにいるって分かったの?」
「春日が。」
「・・・そっか。」

二人で体育倉庫のマットの上に腰かけたまま、
窓から入る月の光を見上げる。

少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。

「・・・美和ちゃん。」
「ん?」
「付き合ってくれてたの。えっと、私の練習に。ほんとだよ。」
「・・・練習って、何の?」
「えーっと。・・・跳び箱?」
「なんで跳び箱?」
「・・・なんか。飛びたくて。」
「なんで春日と?」
「・・・・・・なんか美和ちゃん、いつも飛んでるから。」
「それディスってるよね?」

違う違う。いや、ディスったかもしれないけど。・・・ん?違うな、春原くんの方が絶対ディスってるな??
じゃ、なくて。

「間違えて、カギ閉めちゃったの。」
「・・・。」
「間違えちゃったの。・・・分かった?」
「・・・はいはい。」

少し呆れたように、彼はため息をつく。
そんな彼の前髪は珍しく寝癖以外で乱れていて、私の事を、探してくれたからだろう。

手を伸ばして、彼の前髪に触れる。
驚いた顔をした春原くんだったけど、私の手をのける事はしなくて。

・・・春原くん。

「助けに来てくれて、ありがとう。」

怖くて苦しかった時間がもうずっと前の事のようで、
暗闇に飛び込んできてくれた春原くんが、ヒーローみたいだった。

彼は一瞬固まって、そして斜め下を向く。その表情が見えなくて覗き込もうとすれば、私の頭をポンポン、と優しく叩いて、彼は笑う。

「・・・本当に、秋山は。」

バカだなあ、そう言て私の頭を撫でる彼がまるでとても愛おしいものを見るかのような目をしていたから少し、ドキっとしてしまった。




「美和ちゃん。最近来ないねえ。」

購買で戦争ののち手に入れたメロンパンにかじりつきながら、
ドアの外を見つめる。
数か月間ずっとそこにあった姿は、ここ最近見かけなくなっていた。

「まあ色々反省してるんじゃない?」

同じくメロンパンをかじりながらさっちゃんも扉の方に目を向ける。

あの日、体育倉庫に閉じ込められた日。
春原くんと一緒に教室にカバンを取りに戻れば、そこには泣きじゃくる美和ちゃんと怖い顔をしたさっちゃんがいた。あの顔で怒られたら私も号泣するだろう、間違えない。
美和ちゃんは泣きながら何度も私に謝罪をして、最後は走って教室を出て行ってしまった。それからというもの、学校で話す機会は無くて。

「・・・あれ。その子じゃない?」

意識がトリップしていた私を塚田くんの声が現実に呼び戻す。

その言葉に教室の入り口に目を向ければ、
彼女がペコッと会釈をした。



美和ちゃんに呼び出されて、2人で空き教室の机に腰かける。

「結構バッサリいったね。」
「これはなんというか、けじめというか・・・。」
「可愛い、似合ってる。」

皆にまだ言ってない事があった。私は女の子は断然ショートカット派です。
可愛い~と言いながら近づいて髪を触りまくる私に、
美和ちゃんははあ、と少し呆れたようにため息をついて。

「先輩って、やっぱりヘンですね。」
「え、そう?」
「自覚無いんですか。・・・あの、この前は本当に・・・」
「やめてよ。もう大丈夫だから。」

私が止めるのにも関わらず、美和ちゃんは深々と頭を下げる。
震える声のまま、彼女は勢いよく顔を挙げた。

「私の、ただの嫉妬です。どれだけアピールしても全然響いてないのが分かって。その上友達関係も上手くいかないし。」
「美和ちゃん・・・」
「悠先輩が結依先輩のことをなんか特別に思っているのにも気づいてしまって。本当にただの嫉妬。八つ当たりです。」
「それに関してはきっと勘違いだよ。」

そこで一度黙って、美和ちゃんはこぶしを握り締めて、意を決したように口を開く。

「だ、だから・・・大嫌いって言うのも、訂正させてくださいっ・・・!」

恥ずかしそうに、情けなさそうに、真っ赤な顔して彼女は不安げに私を見る。
きっとこれが、美和ちゃんの精一杯。十分だ。

「でもやっぱり私、悠先輩の事が好きです。」

まっすぐ私の目を見て、美和ちゃんはそう言って微笑む。

「入学式の時、学校に来るまでの途中で迷ってしまって。スマホもまだ持ってなかったし、時間も迫って困ってた時に。悠先輩が声をかけてくれて。」

『こっちだよ。』
『大丈夫。一緒に行こう。』

「それだけの事かって思うかもしれないけど。私意地っ張りだから人に頼る事ってあんまりできたことなくて。だから、すっごく、嬉しくて。」

入学後、顔だけを頼りに春原くんの事を探していて、1つ上の先輩だという事を知って。声をかけるチャンスを狙っていた。メイクを勉強して、料理を勉強して、可愛いって、思ってもらいたかった。

「話してからも、好きになる一方だったんです。悠先輩、無愛想だし、いつもだるそうだし、味の好みが意外とうるさいし、私に興味なすぎてもしかして同性が好きなのかなって思ったこともあるけど・・・」
「えーーっと?なんか大丈夫???」
「でも、本当はすごく優しくて、人の事よく見てて、細かい変化にも気づいてくれて。」
「・・・うん。」
「だから、私まだ悠先輩の事は諦めません。」

美和ちゃんの顔は、何かが吹っ切れたような顔をしていて。
心なしかお化粧も薄くなった気がする。

「正々堂々、ライバルやらせてもらいます。」

そっか、なんて返答してしまったけれど、いや違う。ライバルってなんだ。そこは勘違いだぞ春日。
それでは次移動教室なので、そう言って美和ちゃんはもう一度ペコリと頭を下げて、廊下を走っていった。短くなった髪がぴょこんと揺れて、ほんとに似合ってる。

呼び方が結依先輩になってる事が嬉しくて、でもそんなことを言ったらまた顔を真っ赤にしちゃうんだろうな。



「あれれ。春原くん。もしかして聞いてた?」
「ごめん、少しだけ。」

私も教室に戻ろうと振り返れば、そこのすぐ角に少し気まずそうな春原くんの顔がある。頭をポリポリとかいた彼は、私に向き合って。

「あのさ。・・・俺も、ごめん。」
「え、なんで?」
「いや。元はと言えば俺がはっきりしなかったせいでもあるなって。」
「いやいやいや。そんなことないよ。」

突然の謝罪を驚いて否定すれば、春原くんは少し困ったように笑って。

「それに。」
「うん?」
「春日が言ってたことも、あながち、間違えじゃない、から。」
「えーーっと・・・もしかして、塚田くんのこと・・・」
「ちげーよ。」
「すいませんでした。」

想像以上の鋭く険しいツッコミに即謝罪。危ない危ない。
はあ、と春原くんがため息をついて、あれ、また呆れられてる?
そんな話をしていればチャイムが鳴った。同時に声が出る。

「まずい、次花ちゃんの授業じゃん。急ごう。」

2人の最大限の駆け足(ほとんど駆けれてない)で廊下を急ぐ。
入学式、美和ちゃんを助けてくれたという彼の姿を想像してみる。きっとだるそうに、開いてない目で、平坦の声のまま、すごく当たり前の事のように手を差し伸べてくれたんだろうな。何でもない事のように、さらっと人を救ってしまう。彼にはそんなところがある。

「・・・秋山?どうしたの?」

ううん、なんでもない。と答えて階段を上がった。

入学式。たしかその前にホームルームと始業式があったよね。そう言えば隣が空席だったことを思い出した。・・・というか入学式中に入れ替わりで私達下校したよね。入学式ってお昼前からだったよね。うん、大遅刻すぎやしないか。